21.銀狼の巫女と戦乱の予感(1)
今回は主人公とは別の視点です。
ひざを曲げ腰を落として、足下の地面を指先でなぞる。
「……固いな……やはり土属性の魔法か?」
それは、別に誰かに答えてもらう為のものではなかった。ただ単に、疑問に思った事を小さく呟いただけだった。しかし、私の横で佇む男ツバイが、律儀にも答えてくれる。
「そのようだ。微かに魔力の残滓を感じる……」
ツバイは目を細め、頭部にある耳や鼻先を忙しなくヒクヒクと動かしている。僅かな異変さえ見逃さぬようにと、周囲を警戒しているのだろう。
彼が、緊張した様子で用心を怠らず、辺りに注意を払うのも当然だ。ここは世界樹に繋がる『大森林』の南の森なのだから。危険な魔獣が蔓延る魔の森のはず……だった。
確かに、森に分け入った初日や2日目には魔獣の姿もちらほら見掛けたが、ここ数日は全くと言っていいほど姿を現さない。まるで、私たちの進む方向から魔獣たちが逃げ出したかのようだ。
それに、奇妙なのはそれだけでは無い。
私はもう一度、周囲に視線を向け目を見張る。それは、あり得ない事に、突き固められた完璧な道が存在していたから。幅は3トロン(メートル)以上あるだろうか。これでは、騎馬どころか荷馬車すら難なく通行できる。私たちは、そんな道が交差する場所に立っていた。
「何故、このような場所に……」
思わず、また呟いてしまう。
しかし、今度はツバイも答えようとしない。代わりに身構え、剣の柄に手をかけていた。
「……どうした?」
尋ねながら、彼の視線の先を追い掛ける。すると、私たちの立つこの奇妙な道の先に、二つの人影を認めた。
「あれは……トーゴたち?」
私の疑問に無言で頷くが、ツバイはまだ油断の無い眼差しで人影を見詰めていた。
彼らトーゴとザンジの二人は、朝早くから周囲の偵察に出ていたのだ。
その事を思い出し、駆け寄る彼らに労いの声を掛けようとするが……。
「……此方の先は行き止まりだ」
と、近付くやいなや、困惑した声を発するトーゴ。横にいるザンジも戸惑いを隠さず、片手に半弓を携えたままキョロキョロと辺りを見回している。
「この道はまるで迷路だ。何の計画性も無い――」
私たちの行く手、南の森に突如現れた謎の道。それは、好き勝手に森の中を縦横無尽に走ると、トーゴたちは困惑した表情で報告する。それを、ツバイが苦虫を噛み潰したような顔つきで聞いていた。
横で聞いている私にも、明らかに不可解な状況だと分かる。南の森にこのような道があると、噂にも聞いた事がない。この先に何かが有ると、子供でも考えるだろう。
「まさかと思うが、帝国の連中が森を切り開いているとか……」
「それは無いだろう」
トーゴが困惑した表情のまま言うが、ツバイは即座に否定していた。
私もそう思う。
私たち獣人族にも、それなりに情報網はある。そのような知らせは聞いていないし、何より帝国が軍を進めたなら森人族が黙っていないだろうと思うからだ。
「ふむ……どうするアリス?」
顔を曇らせたまま私を見詰めるツバイ。
……そう、これからどうすのかを決めるのは私だ。彼ら3人は、あくまでも私の護衛にすぎない。
――このまま進むべきか、或いは引き返し別のルートを辿るべきか……。
迷う私は、改めて3人の護衛を眺める。
ザンジは心配性の狐人族らしく、そわそわと辺りを気にしている。トーゴとツバイは、氏族こそ違うが私と同じ銀狼族。二人は勇猛でなる銀狼族らしく、上唇が捲れ上がり鋭い牙が覗く。警戒しつつも、獰猛な笑みを浮かべている。
そして、彼ら三人とも魔獣ラプラスの皮を鞣した革鎧を着込む。柔軟で強靭なその革鎧は、獣人族の戦士としては最も一般的なもの。本来は焦げ茶色の表面が、使い込まれ随分と黒ずんでいた。それだけでも、彼ら三人が歴戦の勇士だと分かる。しかし――革鎧を繋ぎ止める肩や関節部等は綻び、全体的に薄汚れていた。ツバイに至っては、背中に纏うマントが大きく切り裂かれていたのだ。
それに、三人の顔にも疲れが色濃く浮かんでいた。
――無理もない。
彼ら三人は先日の大戦の後、その戦塵を払う間もなく私の護衛として付き従っているのだから。
私たちが今『世界樹』を目指し南の森を進むのも、その戦に端を発していた。その事を、三人を眺め嫌でも思い出してしまう。
そもそもの始まりは五年前に遡る――
我々獣人族の集落は、普人族の国アッシア帝国の版図内に点在していた。といっても、獣人族は普人族の支配を受けていた訳ではない。古の約定により、大陸に覇を唱えんとする帝国を、陰ながら扶助する代わりに自治を認められていたのだ。
それが、大きく様変わりしたのが五年前。帝国は国内に向ける政策を大転換させたのだ。
それが、我ら獣人への迫害と排斥。普人族こそ最優種との考えの元、反獣人主義が国是となった。それは年を追うごとに苛烈なものとなり、獣人たちの集落を襲い国外追放、或いは捕らえたのちに強制的に重労働を科すなど、容赦の無いものとなっていったのだ。
噂では、帝国中央で皇帝を支える五人の執政官の中で内務卿が代替わりしたからとも。南方諸国を次々と併呑し肥大化する帝国内部で、高まる戦争への不満を獣人族へと向けたとも言われるが、その真偽は定かではない。
とにかく、追い詰められた我ら獣人は、氏族、種族すら越え連合を組むと、遂に帝国に対して牙を剥いたのだ。
それが先日の戦い……獣王率いる我等獣人の部族連合と、アッシア帝国が南の平原で会戦した戦いだった。
――だが……。
その結果は敗北……。獣王こそ無事だったものの、獣人戦士の3分の1が討ち取られるといった大打撃を受けたのだ。
確かに、兵数では倍以上の開きはあったが、我ら獣人は普人族にない身体能力の高さがある。それなのに……未だに我ら、勇猛なる獣人戦士が敗れたとは信じられない。
しかし、まだ完全に敗けたわけではない。もう一度、態勢を整えて戦い、最終的に勝利すれば良いのだから。
そのためにも、獣王が考えたのが、『世界樹の森』深くに隠れ住む民、森人族の協力を取り付け同盟を結ぶこと。森人族には、他の種族とは比べようもない程の魔力と火力を誇っているからだ。
今回の戦いでも、普人族の魔法兵団に散々に翻弄されたと聞く。森人族が共に立ってくれれば、十分に帝国に対抗できる。
そこで白羽の矢が立ったのが、私なのだ。
それは、おとぎ話でも有名な銀狼族伝説の巫女リュミエールの名を引き継ぐこの私、アリス・リュミエールだから。
……嘘か真実か、リュミエールの血統だと幼い頃から教えられて育った。私にはその実感は未だに無いが……。
とにかく、森人族は長命だとの話。私のリュミエールの名が有用だろうと――私が交渉に出向けば、無下に断る事も無いだろうとの思惑があっての事だった。
それに、普人族は魔力溢れる世界樹さえ狙っていると、噂に聞いた事がある。我々獣人連合が倒れたならば、次に普人族が兵を向けるのは世界樹かも知れない。森人族は、必ず我らと同盟を結ぶはず……いえ、必ず結ばなければいけない。
このままでは、獣人族も森人族も共に滅びてしまうから……。
――今回の密使。絶対に成功させなければ。
その時、使命感に心を震わせる私の物思いを、ツバイの鋭い声が引き裂いた。
「あれを見ろ!」
ツバイが警告と共に指差すのは、今まで私たちが辿って来た後方。樹木に遮られた少し離れた森の中から、ゆらゆらと煙りが立ち昇っているのが見えた。
「……狼煙?」
トーゴの呟きに、皆がハッとする。
「帝国の追手に違いない!」
慌てて早く逃げようと騒ぎ出すザンジ。
「追手かどうかは分からんが……俺たちが通った痕跡を発見した可能性は高い」
ツバイは顔をしかめたまま私を見詰め、どうするか早く決めろと促す。
「分かった……もう引き戻せない。取りあえず、先を急ぎましょう」
「そうだな。あれが追手の上げた狼煙なら、ここから半日も離れていない。先を急ごう」
返事をしたツバイを殿に、私たちは走り出した。
この道の先も気になるけど、今は後方から迫る危険の方が気になる。
しばらく走っていると、前を行くザンジが不安の滲んだ声で話しかけてきた。
「しかしよう……このまま進むと、あの沼に辿り着くんじゃないのか」
「呪われた沼の話……」
「ふんっ! ザンジ、お前まさかびびってるのかぁ」
私が答えようとしていると、先頭を走るトーゴが間に割って入り、鼻で笑ってザンジを馬鹿にしていた。
「違う!……ただ色々と良くない噂を……」
「それなら大丈夫だ。私はこれでも巫女の血統。アンデッド系の魔物にも対処できる」
「……そうなのか?」
「あぁ、だから心配するな」
それで一応は納得するザンジだったが、トーゴはまた馬鹿にしたように笑う。
「ザンジ、お前はびびり過ぎだ」
「うるせぇ!」
言い合いを始めようとする二人に、殿のツバイから叱声が飛ぶ。
「トーゴとザンジ! お前らはもう少し静かに走れんのか! 追われてるのかも知れんのだぞ。もっと周囲に注意を配れ!」
「…………」
押し黙った二人が、同時に首を竦めていた。
しかし……呪いの沼か。
呪われた云々の話は別にして、私が生まれる前にこの辺りで大きな戦いがあったのは確かだ。詳しい話は知らないが、我々獣人族も普人族と協力して戦ったと聞く。が、今は敵対して戦う事になるとは、祖父達も想像すらしていなかっただろう。
そんな事を考えていると、急に先頭を走るトーゴが速度を緩めた。
「どうして……」
問い掛ける途中で、それが何故なのか私にも分かった。
「匂い?」
それは、私たち獣人には強烈にも感じる甘い匂い。
これはアドリアの実の匂い?
でも、これほど強烈な匂いは初めてだ。
匂いに誘われ前方を眺めると、
「あれは、果樹園か?」
前方に広がるのは数多くのアドリアの樹木。それはまるで甘ったるい芳香を放ち、私たちを誘ってるかのようだった。
何故か、私の背筋をゾクリと寒気にも似た何かが這い登る。それは、巫女としての直感だったのかも知れない。




