2.魔神と叡智の指輪(2)
あれは夢ではなかったのか。
では、あの人形白光体も、本物の神様なのか?
俺は、ぼんやりとそんな事を考えていた。と、そこで僅かな違和感を覚える。
何か変だ。何だろう――体を見渡し、唐突に気付く。
――あっ、縮んでいる?
俺の体が、確実に小さくなってるように思えるのだ。まるで、子供のような体。身長は百四十センチ程だろうか。小学校高学年、或いは中学生程度の大きさに見える。明らかにおかしい。それ以外にも、額に手をやると――ん、これは角?
俺の額には、少し捻れた小さな角と思われるものが生えていた。
――マジかよ。
ここには鏡などは無く全てを見ることは出来ないが、明らかに以前とは違う姿形に変わってると思えた。
どうなっている?
いや、その前に周りの光景は?
はっきりとしてきた意識が、ようやく周囲の異常さを認識する事が出来るようになった。
「おいおい、この体は? それにここは……」
呆然と呟く俺に、またしても【叡智の指輪】からの声が頭の中に響く。
『五十年ノ間、マスターカラ微カニ漏レ出ル神力ヲ掻キ集メ、ヨウヤク構築出来タノガ現在ノマスターノ体デス。現時点デノマスターノ神力デハコレガ限界――』
「ん? ちょっと待て!」
聞き捨てに出来ない言葉に、途中で慌てて口を挟む。
――ご、五十年って、何だよそれ?
あまりの衝撃に喋る声が掠れてしまう。
「最初から順を追って全てを話してくれ……」
それから【叡智の指輪】が語った話はこうだ。
俺が夢だと思ってたのは現実であり、あの白光体も本物の神様。その神様が、俺を邪神として元の世界に転生させようとしたら、別の世界から干渉が入ったと。要は転生中に事故が起きて、別の世界に送られたとの事だった。
神様のくせにと何をしてんだよと思うが、それは今は置いといて。
で、俺は別の世界に引き寄せられたが、そこでまた問題が起きた。俺の神力とかいう力と、その別の世界を存在させる力が反発し合ったのだ。あわや、対消滅するかといった危機だったらしい。そこで、新たな世界を産み出し緊急回避したと。その際、神力とかいう力を、俺は使いきってしまったようだが――その後、存在自体危うくなった俺を、【叡智の指輪】がここに繋ぎ止め、五十年掛けて新たな体を構築してくれたようだ。
――五十年かぁ。
それにしても、俺には世界を産み出した記憶など無いのだが……それとも、その時の出来事の煽りで記憶も逸失してしまったのだろうか。
周りを見渡し首を傾げるしかなかった。
俺が産み出した世界。それはあまりにも小さな世界。上下四方共に一メートル程の小さな空間。俺が産み出したと聞いて、小心者の俺らしいと妙に納得してしまう。
その小さな世界の中で、俺は両膝を抱え込み、体育座りの体勢で肩を落としていた。
「で、もう元の世界には……?」
『ハイ、モウ戻ル事ハ不可能デス』
だよな。それに五十年も経っていたら、今更戻ったところで知り合いもいないだろう。まだ生きていたとしても八十過ぎ……今更だな。総務課の美恵ちゃんも生きてたしても、もう八十歳近いのかぁ。
俺は片想いをしていた、同じ会社の同僚の面影を思い出す。元の世界では三十年生きてきた。その間、色々な事があった。それらを、あっさりと捨て去ってしまったのだ。夢だと思って調子に乗っていた自分を、早くも後悔していた。
そしてその後も、馬鹿な事をしたと、はっきりと断れば良かったと悔やみ落ち込んでいた。前にいた世界、日本では自分の優柔不断な性格で辛い事もあったが、それでも生まれ育った場所。両親こそもう他界したが、親類や友人知人も沢山いたのだ。そんな親しくしていた人達との、満足な挨拶も無しでの急な別れ。その事が悔しくて、涙が出そうだった。
『感情ノ昂リガ異常デス。正常値二戻シマスカ?』
「何だよそれ……ふざけんなよ!」
この時の俺はどうかしてたと思う。突然の出来事に、少し情緒が不安定になってたのかも知れない。悲しんでいた俺に届く【叡智の指輪】の機械的な音声が、俺の心を逆撫でした。俺の過去を馬鹿にされたような気がしたのだ。だから――こんな指輪は叩き潰してやると、激情に駆られて壊そうとしたのだ。
だが、人差し指から指輪を外そうとすると。
『警告シマス。私ハ既二、マスタート一体化シテイマス。無理二外ソウトスレバ、マスターノ身体ガ損傷スル恐レガアリマス』
知るかよ!
指輪が話す言葉も機械的な音声も、その全てがいちいち腹立たしく俺の癇に障った。
『警告シマス――』
繰り返される指輪からの警告の言葉。それが、俺の怒りを更に掻き立て――ぞくりと、悪寒にも似た感覚が背筋を這い登る。沸き上がる抑えきれない破壊衝動。心の奥底の更に奥、俺自身を形作る精神の根幹を成す核というべき物から、黒い邪な塊が分離しようと身動ぎする。
――ピイィィ!
途端に頭の中に鳴り響く警戒音。
『感情ノ昂リガ危険領域二入リマシタ。コレヨリ、緊急回避モード二移行シマス』
その声と共に、急速に過去の想いは遠退き心に平静が訪れる。既に友人知人の面影、片想いだった美恵ちゃんの面影までもが霞み、心の奥底へと沈んでいく。もはや彼らの顔すら思い出せない程に――そうか、もうまともな人間では無いのだな。感情すら自分の思い通りにならない。
平常心へと落ち着いた俺は苦笑いを浮かべ、ちらりと指輪に視線を向けた。
それにしても、さっきの感覚。あの破壊衝動は何だったのだろう。今まで感じた事もない感覚だった。心の奥底で禍々しい黒い塊を感じたのだが……一瞬、不安を覚えるものの、その感覚もまた急速に遠退き忘れていく。
しばらくぼんやりとしていたが、気を取り直し改めて周りを見渡す。何処を見ても何もない真っ白な空間。小さな息をひとつ吐き出し、質問の続きをする。
「それで、今の状況は?」
『現在コノ世界八、NO413ノ世界二密着シテ存在シテイマス』
「ナンバー413?」
『グランドマスターガ、413番目二創成シタ世界デス』
「グランドマスター?」
知らない単語が次々と出てくる事に困惑するが、その都度質問を繰り返し念入りに話を聞き進めていく。それで分かったのは、あの神様と名乗っていた白光体が、グランドマスターと呼ばれていたこと。数多くの世界を産み出し管理する存在。それがグランドマスター。そのグランドマスターが413番目に産み出した世界に、俺が産み出した世界が張付いてるとの事だった。そして、この世界は413の世界から流れ出るエネルギーを糧として存続しているらしい。
まるで、寄生虫だな。いや、この場合は寄生世界か……。
「それで、そのグランドマスターとやらに、連絡は取れないのか?」
『今ノマスターノ神力デハ無理デス』
そうかぁ……。
そうなると、これから俺はどうしたら……まさか、ずっとこのままなのか。考えただけで気が狂いそうだ。こんな狭く何もない場所で何をすれば良いのだ。
「この先どうすれば……何か良い考えはないのか?」
明確な答えを期待していた訳ではない。何となく呟いただけだったのだが、【叡智の指輪】が即座に答えを返してくれた。
『マズハ、ココカラ脱出シテNO413ノ世界デ神力ヲ蓄エルベキデス』
「えっ、出れるの?」
何だよ、それならそうと早く言ってくれよ。悩んでいた俺が馬鹿みたいじゃないか。
「で、どうすれば?」
『ステータスヲ呼ビ出シ、【異界門】ヲ使ッテココト413ヲ繋ゲバ良イノデス』
ステータス?
あっ、そうか。俺はあの時グランドマスターに、ゲームのようにと願ったのだ。その事を思い出し――。
「ステータスオープン」
思い付いた単語を唱えると、自分の能力値が頭の中に浮かんでくる。
ま、マジかよ……。
これなら――俺の脳裏に浮かんだのは異世界無双の言葉。何だかんだと言いながら、俺もラノベ的異世界ファンタジーが好きなようだ。
俺は苦笑を浮かべながら、自分のステータスを確かめる。わくわくと期待に胸を膨らませて。何故なら、グランドマスターに頼んだのはゲーム的なものばかりでない。もうひとつは最強無敵。願いを叶えてくれているなら、異世界に行っても楽しめる。俺はそんな事を考えていたのだが――。
ステータス
名前 :−
年齢 :50
職業 :異界の魔神
称号 :恐怖の大王
level :0
HP :−/−
MP :−/−
神力P :5000
----------------------
筋力 :1
耐久力 :1
素早さ :1
知力 :1
魔力 :1
精神力 :1
器用さ :1
運 :1
スキル
神力 神眼 魔眼
あっ、あれぇ……。
俺は見なかった事にして「クローズ」と唱える。頭の中に浮かんでいたステータスは、たちまち霧散した。
うん、今の間違いだよな。だっておかしいだろ。レベルが0だぞ。存在すら否定しそうなレベル。あり得るはずなど無い……と思う。
俺は深呼吸を繰り返し、もう一度「ステータスオープン」と唱えた。そして浮かんでくるのは。
――何でだよ、何故0何だよ!
何度確かめても、やはりレベルは0だった。もしかして、グランドマスターに与えられたこのゲームぽいシステム自体に欠陥が――。
『欠陥ハ有リマセン。システムハ正常二作動シテイマス』
とのこと。【叡智の指輪】が言うには、俺の全ての能力は何故か封印されているらしい。
――封印? 何故?
記憶に無い五十年前の転生事故に関係しているのだろうか?
【叡智の指輪】も、そのあたりの事は知らないのか教えてくれない。疑問は尽きないが、分からない事は仕方ないと諦める。まぁ、実際のところはあまりの出来事の連続で、考えが付いて行けないというのが正直なところだ。
そして、この体も僅かに残る神力で、辛うじて維持しているようだった。
だから、この低い能力値なのだろう。実際は、【叡智の指輪】に聞くところによると、数値で表せられないぐらいの限りなく0に近いレベルだという事だった。
そうなのだ。願っていた最強無敵とは真逆、最弱の敵だらけの状態だったのだ。俺はがっくりと項垂れるしかなかった。
いや待てよ、その413の世界が平和で安全な世界なら、別に最強である必要もない。のんびりと暮らせば良い訳で。
「ちょっと聞くけど、ナンバー413の世界てどんな世界だ?」
『魔素二覆ワレ、危険ナ魔獣ガ跋扈スル世界デス』
……駄目だろそれ。完全に詰んでるよ俺。
といっても、何もないこの狭い世界でいつまでも膝を抱えてる訳にいかず、少し413番の世界を覗いて来ることにする。危険そうだったら、ここにまた逃げ込めば良いのだから。
「人間は、人もいるんだよな?」
『ハイ、マスターガモトイタ世界ト同ジ姿形ヲシタ普人族。ソレ以外ニモ獣人族ナド亜人ト呼バレル種族モ多数存在シテイマス』
どうやら色々と話を聞く限り、413の世界は剣と魔法のファンタジー世界のようだ。貧弱な俺では危険な匂いがぷんぷんするが、興味を引かれるのも確か。
――取りあえず、一度は覗いてみないとな。
俺はもう一度ステータスを呼び出し、改めて自分の能力を確認する。
――あれ、おかしいな。
最初に気付いたのは、名前が空欄になっていることだ。俺の名前は田中巧美のはずだったが……これは転生したから名前がないのか?
そんな事を思っていると、ピコンと音が鳴り空欄にタクミ・タナカと文字が浮き上がる。
「あっ、ちょっと……」
どうやら自分の名前を念じたために、空欄に名前が書き込まれてしまったようだ。
あぁ、どうせならもう少し格好良い名前、シヴァとかケツァルコトルとかにすれば良かった……。しかし、もう変更も出来ないようだ。
ま、良いかぁ……使いなれた名前の方が、間違いもないだろう。ちょっと残念だけど……。
気を取り直して、続きを確認する。
年齢の50は転生してから50年が経ったということか。改めて、あれから50年の長い年月が過ぎ去ったのだと、感慨深い思いを抱いてしまう。しかし、知らない間に50も歳を取るとは……悲しんで良いのか少し複雑だ。まあ、考えないようにしよう。
そして、次の項目へと意識を移す。職業の欄、そこには【異界の魔神】となっていた。
【異界の魔神】とは何だろう?
たしか、邪神と聞いたはずなのだが……そもそも魔神は職業なのか?
微妙なステータスに首を捻るしかない。
そんな感じで職業の欄に意識を集中していると、【異界の魔神】の文字が暗転して詳細が浮かんできた。
おっ、これは便利だな。一応のヘルプ機能が有ることに、神様へ感謝しつつ読んでみる。
<異界の魔神>
異界より降臨した高位階の神
短っ! 前言撤回! もう少し詳細を教えろよ。これは手を抜きすぎだろ。と、このシステムを創ったであろう神様に、ぶつぶつと文句を呟くが……高位階の所がちょっぴり嬉しい俺。
えぇと、次は称号の【恐怖の大王】か。あまり良いネーミングセンスではないなと思いつつ、また意識を集中する。
<恐怖の大王>
見渡す事ができる範囲に畏怖をあたえる
……これは威圧みたいなものかな。見渡す範囲と書かれてる事から、かなりの広範囲に作用しそうだ。しかし、威力は微妙だろうなぁと思うしかない。何といっても、レベルは0だから……くぅ、涙が出そう。
あまり期待出来ないなと思いつつ、次へと意識を向ける。
HPやMPには表記が無いな。それに神力P5000とは何だろう。ポイントが5000貯まってるという事だろうか、よく分からない。これは飛ばして次だな。
そして次の項目は能力値なのだが……これは酷い。酷すぎる。オール1って何処の通信簿だよ。小学校も中学校でも、大学まで1なんて取ったこと無いぞ……と思う。随分と昔の事で忘れた……よな。
それにしても、知力が1は無いだろう。これでも三流とはいえ、大学を真面目に卒業してるのに。全てはレベルが0の所為だと思うけど……大丈夫かよ俺。この先ちゃんと生きていけるかな……。
将来に不安を覚えつつ、次へと意識を向けた。
えぇと、最後はスキルか。確か、【叡智の指輪】は【異界門】を使えと言ってたな。たぶん、スキルが関係してると思うが、確認できるスキルは3つ。
<神眼>
全ての本質を見抜く事ができる。予知、予測ができる。
レベルに依存する。
<魔眼>
あらゆる状態異常を与えることができる。
レベルに依存する。
意識を集中すると詳細が現れるのだが、最初の2つは他の項目と違って灰色へと色が変わっていた。どうやら、説明にレベルに依存とあるように、今のレベル0の俺ではまだ扱えないようだった。
レベルが上がれば威力も比例して上がっていくのだろうか? この2つは今後に検証していく必要があるな。今は使えないなら仕方がない。その内にレベルが上がれば、使えるようになるだろうと、楽観して最後のスキルに意識を向ける。
スキルの項目【神力】に意識を集中させると――何これ?
今までと同じように詳細が現れると思っていたが、【神力】の項目の下にずらりと新たな項目が増えたのだ。【身体強化】【神速】【蘇生】など、何となく分かるものから【轟天雷】【転】【金翅鳥王剣】など、よく分からないものまで何百、何千と数えきれない程の項目。
もしかして、これは全て神力系のスキルなのか? 一瞬喜んだのも束の間、よく見るとその全てが灰色の文字に変わっていた。
――あぁ、やっぱりな。
それらのスキルは、殆どが今の俺では使えないのだ。
だよなぁ。【叡智の指輪】も封印されてると言ってたし、俺のレベルは0だからな……とほほだよホントに。でも、【叡智の指輪】が【異界門】は使えるとか言ってたはず。
俺は数多くある項目を、順番に下へとスクロールさせていく。
もうどれぐらい時間が経ったのだろうか。全てのスキルを確かめた時には、一時間を優に越えていたと思う。
しかし、今の俺には時間だけは沢山ある。
で、そのスキルの総数なのだが……999999個。どんだけだよ。仮にも神? なのだから仕方ないのか?
これから先もし使えるようになったとしても、数が多すぎて、この俺に上手く使いこなせるか自信もない。その前に、覚えていられるかどうかも不安だ。
まぁ、先の事を悩んでも仕様が無い。それこそとらぬ狸の皮算用だ。
というわけで、もう一度神力系のスキルへと意識を向ける。全てを検索して探し当てた、今現在で使えるスキルは2つ。
「ふぅ、散々探して2つだけかよ」
思わず愚痴を溢すほど大変な作業だったが――まぁ、封印されてレベルが0だからな。2つあるだけでもありがたいか。レベルは0だから、ある方が不思議なぐらいだよな。
それで、そのスキルとは――。
<異界門>
異空間を繋げる門。
必要 P 3000
<神オーラ>
神のオーラを漂わせて周囲に癒しを与える。
必要 P 秒/1
あっ、この必要Pというのがステータスにある神力Pの事だろう。やっぱりポイントの事だったか。しかし、ポイント制とは……ゲームのようにと頼んだのは俺とはいえ、凄く非現実感を覚えるのだが。
【神オーラ】とかは今の俺には必要ないか。ぼっちだしな。癒しというのもどういうものか分からんし、これは今はいいか。
で、【異界門】。これが【叡智の指輪】が言っていたスキル。このスキルを使って、413番の世界とに繋がるのだろうが……必要ポイントは3000。そして、俺が今持ってる神力ポイントは5000。
――くそっ! 半分以上かよ。
これって、インフレに凄ぇ振れてねえか……密かに5000ポイントも有ると喜んでたのに……。まぁ、とはいっても、今は他にポイントの使い道は無いしなぁ。それにここから抜け出して、ちょっと413の世界も見てみたいし。
俺は脳裏に浮かぶ【異界門】の文字に、意識を集中して叫ぶ。
「出て来い【異界門】!」
すると、目の前の空間がピシリと音を鳴らして縦に裂けた。
「おぉ……凄ぇ!」
魔法らしきものが使えた事に少し、いや、かなり感動。わくわくと気持ちを昂らせて、縦に裂けた隙間から向こうを覗いてみる。
隙間の向こうは、どろどろとした真っ黒な闇が渦巻いていた。
「……えっと……大丈夫だよな?」
『【異界門】ハ問題ナク正常二作動シテイマス』
本当に……。俺を騙してないよね。
俺の疑問に【叡智の指輪】が直ぐに答えてくれたが、どうにも信用できず、目の前にできた裂け目にそっと腕を伸ばす。
するりと裂け目の中に指先が入る。入った部分は消えたように見えるが、指先の感覚はある。思いきって手首まで入れても同じだ。手首から先は消えたように見えるが、確かに感覚は残っている。握ったり開いたりしても、しっかりとその感覚があるのだ。
引き抜いてみると、手首から先は確かに存在していた。どうやら、この裂け目から向こうは既に、別の世界になっているようだ。
――どうするかな。
やはり、別の世界に行くには勇気がいるのだ。そこで、肝心な話を聞くのを忘れていた事に思い当たる。
「そうそう、この【異界門】は何時まで存在しているのだ?」
『マスターガ、閉鎖ト望ムマデデス』
そうか、一度設置したら期限は無いのか。それなら安心だな。何かあっても直ぐに、此処に逃げ帰れば良いのだから。
「ここには俺以外の者も入れるのか?」
『マスターガ許可シナケレバ、誰モ入レマセン』
それなら、もう迷う事もない。
「……良し!」
俺は気合いを入れて、異世界へと一歩、踏み出したのだ。
と、格好良く行ければ良かったのだが――実際は這いつくばって、ずるずると匍匐前進の要領で異界門を潜る。何とも情けない姿だった。だって、此処は狭いもん。
――俺って、一応は邪神、魔神だよね?
俺は嘆きながら、【異界門】を潜るのだった。