15.呪いの沼とカエルの合唱団(7)
物陰に隠れ、沼を監視する。
既に30分以上は……いや、緊張して時間の感覚が定かでない。まだ、5分ぐらいしか時間は経っていないのかも知れない。
俺達は広場横にある廃屋の陰に隠れ、広場とその先にある沼を窺っていた。合図からこっち、偶に何処かで水飛沫が上がるだけで、沼にはあまり変化がない。グロガエルたちも、水中で戦っているのか姿は見えない。
何が起きてるのか、作戦が上手くいってるのか、さっぱり分からないのは辛い。待ってるだけが、これほど苦しいとは思わなかった。ジリジリと焦燥感が沸き上がるのを押さえきれず、何気なくユキの首筋に腕を伸ばした。
ユキに触れると、微かな振動が腕を伝わってくる。ユキも緊張しているのか、僅かに震えていたのだ。それが、逆に俺を落ち着かせた。
「ユキ――」
首筋を抱き締め声を掛けようとした時――塔から此方に延びる小道上。そこにポチャリと水飛沫を上げて、沼の中から数匹のグロガエル(水妖精)が飛び出した。グロガエルの体長は50センチほどの大きさしかない。その彼らの喉元がググッと膨らみ、次の瞬間には口腔から次々と小さな水球を射ち出す。途端に沼の水面が、パッパッパッと数多くの水飛沫を上げた。その様子は、自動小銃がフルオートで弾丸をばら蒔いてるようだった。
――あれがグロガエルの能力か!
水属性の妖精種というだけあって、俺にはかなりの威力が有るように見えた。だが――激しく水飛沫を上げる水面がゆらりと盛り上がり、ドバンと音を鳴らして大きく弾けた。
「キィシャアァァァ……!」
甲高い叫び声が、周囲の空気をビリビリと震わせる。水面を大きく引き裂き割って飛び出して来たのは、俺がワニダコと呼ぶテンタクルリザーの亜種。その強烈な威圧感に、遠く離れた場所から眺めていても後ずさるほどだった。
「……来たか……」
俺の呟きに反応して飛び出そうとするユキ。慌ててそれを抑える。
「まだだ……もっと引き付けて……あと少し、もう少しだから」
グルグル唸り声を上げ猛るユキ。それを必死に宥めつつ、グロガエルたちに目を向ける。
小道上にいたグロガエルたちは、転がるように反対側の沼に飛び込む。その後をワニダコが追おうとするが、今度は岸辺近くの小道上に別のグロガエルたちが現れた。そして、またしてもワニダコに対して水球の弾幕を張ったのだ。
たちまち多数の水飛沫に包まれるワニダコ。しかし、苛つくように首を振り八本の触手をぬちゃりぬちゃりと動かし、新たに現れたグロガエルに向かって行く。
「ほぅ、グロガエルたちも考えたな」
見た感じだと、数匹のグループを幾つも作り、交互にワニダコ攻撃して、此方に引っ張って来てるようだった。が、やはり同じ属性の攻撃では、殆どダメージを与えられないみたいなのだ。
それでも、グロガエルたちは果敢に攻撃を放ち、ワニダコを誘導し此方に向かって来る。
時には立ち止まり水球の弾丸をばら蒔き、直ぐにまた駆け出す。ワニダコは怒り心頭といった様子で後を追い掛けていた。
よしよし、作戦通りに――あ、ゲロゲーロがいる!
他のグロガエルより一回り大きく丸い体は、遠くから見ていても目立ちすぐ分かる。仲間を庇いながら、一番最後に広場へと駆け込んで来るのがゲロゲーロなのだろう。殿で飛び跳ねながら、勇敢にもワニダコに水球を放ち誘導していた。
意外と良いやつかも……あの見た目と濁声がなければな。
しかし――
「あ、危ない!」
遂にワニダコの触手がゲロゲーロを、捕らえるかに見えた。
「ちっ、【神矢100】!」
物陰から突き出した手のひらから、光の矢を発射する。その光の矢は、今にもゲロゲーロを捕らえようとしていた触手を切り裂いた。
「早く此方へ!」
グロガエルたちは俺たちを認め、慌てて飛び跳ねて此方にやって来る。そして、ゲロゲーロも同じく飛び跳ね――いや、焦ってか、丸い体を転がし猛然と此方に向かって来る、ゴロゴロと転がって。
「ユキ、行くぞ!」
「ガウ!」
俺はユキの背中に跨がり、物陰から飛び出した。
本当はもう少し引き付けてからが良かったのだが――落とし穴からワニダコまでは、約20メートル。後は、俺たちが誘導するしかない。
ユキは引き絞った弓から放たれるが如く疾駆する。そのユキに跨る俺は、逃げて来るグロガエルたちの横を駆け抜けざまに声を掛ける。
「選手交代だ! あとは俺たちに任せておけ!」
ゲロゲーロも、「ゲロゲロ」言いながら俺たちの横を転がっていった。
そして、ワニダコはというと、突然現れた俺たちに驚いたのか、「シャアァ!」と威嚇の声を上げつつも、此方を警戒して動こうとしない。
そこに、逸るユキが突撃して行く。
「待て、ユキ! 落ち着け!」
地上でならユキが勝てるとは思うが、やはり心配だ。復活できる俺はともかく、万が一もあると思われるユキには、あまり危険な戦いはさせたくない。
ユキの首を軽く叩き落ち着かせる。
「ユキがせっかく頑張って作った落とし穴だ。奴をそこに落とそう」
「……バウ」
どこか渋々とした様子のユキだったが、素直に俺の言葉に従ってくれた。
「ガアァ!」
落とし穴の傍らに移動したユキが、ワニダコに向かって威嚇する。
そして俺も――
「【神矢100】!」
取り敢えず、さっきと同じポイント100を込めた【神矢】を放って様子を見る。
これで、此方の誘いに乗ってくれれば良いのだが――あ、弾かれた!
ワニダコの背中に命中した【神矢】だが、あっさり弾かれ霧散した。ワニダコの本体を守る硬そうな鱗は、傷ひとつ付いていなかった。
――【神矢100】では無理なのか。
しかし、少なくとも陽動にはなったようで――全く無傷に見えるワニダコだったが、「キシャァァー」と怒りを滲ませた雄叫びを上げると、此方に向かって突進して来るのだ。
「よしよし良いぞ。怒れ、もっと怒れ。そして、此方に向かって来い……あっ!」
だが、ワニダコは途中で何かに気付いたのか、突然踵を返して沼の方に戻ろうとしていた。
「ちっ、まずい。あと少しで穴に落ちるとこだったのに!」
奴にも、地上で戦う不利を覚るだけの知能はあるという事か。所詮は、争い事とは無縁の俺が立てた付け焼き刃の作戦。こちらの都合の良い事ばかり考えていた事に気付き歯噛みする。
――しかし、困ったな。
と、このまま逃がす訳にはと考えていた時だった。
突如、沼から100匹以上のグロガエルたちが姿を現したのだ。そして、膨らませた口腔から水球を続けざまに放つ。100を越えるグロガエルたちから放たれる水球は、凄まじい弾幕となり、ワニダコを地に縫い付ける。
「おぉ、凄えな。あれならいけるか!」
だが、同じ水属性のためか、やはりダメージ自体を与える事ができない。弾幕の中、押されながらもワニダコは、じりじりとゆっくり沼の方に近付いて行く。
――く、ここまでか……。
打つ手が無くなり困惑する俺を、ユキが背中越しに振り返った。
「ガウ!」
俺を見詰めるユキの眼差しの中に、決意、覚悟といったものが見え隠れしていた。
「……分かったよ」
ユキの、どうしても此処で決着を付けるとの覚悟に、俺は頷くしかなかったのだ。
――仕方がない……。
ユキの背中から降りると、もう一度声を掛ける。
「ユキ、思う存分にやってこい。だが、できれば穴の方に押し込み落としてしまえ。俺も後方から支援するから」
「ガウウ!」
ひと声吠え肯定の返事をすると、ユキは怒り狂ったように駆け出した。
さあ、第2ラウンドの始まりだ。今度は俺も、出し惜しみ無しの本気で行かしてもらう。
俺はグロガエルたちの放つ弾幕に包まれるワニダコを睨み据え、気持ちを引き締めるのだった。




