10.呪いの沼とカエルの合唱団(2)
この世界に転生してから1週間が経った。その間、俺は異世界ライフをまったりと過ごしていた……かな?
現在の俺は――
「うひょょょ……!」
ユキの背中に股がり、涙目の俺。何故って、またユキさんのデッドコースターが絶賛発動中だから……。
それは、俺の不用意なひと言から始まった。
塔を取り囲む沼は広大だ。どれぐらいの大きさか、見た目でも分からないほどだ。しかし、人がいないのだから手入れがされる訳でもなく、周りは荒れ放題となっている。周囲の樹海は沼の畔まで押し寄せ、水中へと没していた。
それらを塔から眺め、思わず呟いてしまったのだ。
「朝夕、岸辺をユキと散策できたら気持ち良いだろうに、あれだと無理だなぁ……」と。
本当に配慮のない、不用意な言葉だったと思う。
その俺の呟きに、ユキの耳がピクリと反応した。で、またしても俺を背中に放り上げ、ユキの爆走が始まったのだ。
俺の許諾の意思は無視されて……。
道なき森を、邪魔になる樹木を薙ぎ倒し、時には弾き飛ばす。ユキが通る前には道はなく、通った後には完成した道が出来上がる。ユキが多目的土木重機と化していた。
ユキ一匹入れば、土建業は廃業ですな。
「ガウガウ!」
突然の、ユキの警戒を促す声。
「あ、あれは?」
暴走する進路上に、体長2メートルほどの巨大なムカデが現れた。
だがそれも……瞬時にユキが踏み潰して舜殺する。さっきも、6本腕の見るからに凶悪そうな、熊らしき大きな生き物が襲い掛かって来たが。
「げっ、腕の数が……」
と、俺が驚いてる間に、ユキが炎のブレスを吐き出し、一瞬で消し炭に変えていた。それ以外にも、何匹かの獰猛な獣が襲って来たが、その都度ユキが舜殺している。中には魔法らしきものを放つ獣もいたのだが、ユキから放射される黒い霧が全てを吸収してしまった。
そう、ユキの暴走が始まってから、何気に完全無敵の無双をしてるんですけど……俺って、とんでもないものを産み出したのでは?
この先、ちょっと不安。
ユキは自分に新たに備わった能力を、遺憾無く発揮していた。本能で使い方が分かるのか、或いは無意識でなのか、何故か完璧に使いこなしていた。
どちらにせよ、凄まじい能力だ。ユキが振るってる力とは、多分これらの能力なのだろう。
俺は【神眼】を使って、もう一度ユキの持つスキルを確かめる。
<火のブレス>
口から火炎を周りに吐き出す。
<闇のオーラ>
全身から漂う黒いオーラが、物理攻撃以外の攻撃を全て吸収する。
<地象操作>
地形操作ができる。
地属性の魔法が使える。
ユキが通った後にできる道。幅が三メートルぐらいの平らに均された、もはや道路と呼んでも差し支えないほどの物だった。途中に存在していた大岩なども粉砕し、全てを霧散させて真っ平らな道へと変えてしまう。
これらも、【地象操作】とかの能力を使ってるのだろうと思えた。
いつしか俺は、考えに没頭していた。ユキの暴走にも慣れてきたのもあった。何だかんだいって、ユキは完全無敵超獣なので安心だからだ。
だから、油断をしていた。
突如目前に迫る黒い影。ユキが粉砕した樹木の太い枝が、俺の胸を刺し貫いたのだ。
「え、嘘……あががががぁぁぁぁ!」
何だか久し振りの感覚。
――痛あぁぁぁい!
そして、俺の意識はプツンと途切れた。
目を覚ますと何時もの何もない空間――違う。今はもう、大きく広がる大地もある俺たちの世界。それがちょっと嬉しい。
笑いながら起き上がると、【異界門】を潜り抜け塔の2階へと出た。と、焦ったユキが、2階へと駆け上がって来るところだった。
「お、偉く早いかったな」
のんびりと声を掛ける俺に、ユキが「キュン、キュン」と甘えた鳴き声で鼻を擦りつけてくる。
俺が突然消え失せたので、よっぽど驚いたようだ。
「ほら、俺は大丈夫だから心配はいらないよ。不死身だからな、ははは」
首筋をわしゃわしゃと撫でながら宥めてやると、ようやく落ち着いてきた。それでも、「クンクン」鼻面を俺に押し付け離れようとしない。
「ユキを置いて、何処かに行ったりしないよ」
俺はこの世界に一人っきりでやって来たのだ。ここには、家族も友人もいない。今の俺には、家族と呼べるのはユキだけだ。だから、絶対に離れたりしないよ。それに、本来のボッチでは、この過酷な世界でとても暮らせそうになかった。それがユキのお陰で暮らせそうだし、何よりも前世の頃みたいに穏やかに生きていけそうなのだから。
ぼんやりと、そんな事を考えながらユキを撫で続ける。
転生してからのこっち一週間。何事もなく、のんびりと過ごせた。気がかりだった沼に響き渡る不気味な鳴き声は、日増しに騒がしくなる。それに伴い、不安も増大するのは確か。しかし、ユキのあれだけの無敵ぶりを見せ付けられると、感じていた懸念も杞憂になるとしか思えない。それにいざとなれば、俺たちの世界に逃げ込めば良いと楽観していたのだ。
それと、この1週間で分かった事が二つある。
ユキには俺と似た角が、額から生えている。多分これは、俺の眷属となったためだろう。その俺たちの角を重ね合わせると、会話こそ出来ないが、イメージのやり取りはできる事が分かったのだ。
因みに、今朝ユキから受け取ったイメージは、乙女チックな花びらが舞い散る場所を、俺とユキが追い駆けっこする姿。見るからに凶悪そうな俺たちが、「キャッキャ」とはしゃぎながら走り回る姿は、何ともシュールなイメージだった。
そんな夢でも見てたのだろうか。覗いた此方が恥ずかしいよ。それにしても、ユキも女の子なのだと改めて思うしかなかった。
もうひとつは、スキルの【神矢】を試してみたことだ。
カブトと対峙した時に焦って失敗したのだから、当たり前といえば当たり前なのだが。
その【神矢】も、ポイントを100で念じて発射すると、しっかりと光の矢の形となり飛んで行った。それも、2回ほど飛ばして止めた。神力ポイントが勿体無いからだ。
威力は、太さが50センチ程の樹木をあっさりと貫通した。ポイント数を増やせば、もっと威力が上がるだろうが、今はこれで良いだろう。
ユキも落ち着いたので、俺たちはまた塔の外へと向かう事にした。
お気に入りのスイカを収穫するのをかね、ユキの暴走で造られた道路を確認するためだった。調子に乗ったユキが、途中から沼の岸辺を離れて、森の中を縦横無尽に暴走していたからだ。
対岸へと続く小道をユキと連れ立って、のんびりと歩く。さすがに今度は、ユキも俺を背中に乗せようと無理強いはしない。
そのことにホッとしつつ、俺たちは周囲の沼を見物しながら、対岸に向かって歩いていた。
そして、沼のあちらこちらから不気味な鳴き声が響き、相変わらず騒がしかった。
――ケロケロゲロゲロと、本当に鬱陶しい。
まぁ、何かあっても、ユキがいるから大丈夫だろう。
そんな事を考えながら視線を向けると、ユキが突然立ち止まった。
「ん、どうした?」
俺の声が聞こえないのか、沼をじっと見詰めている。常にない様子のユキに、少し不安を覚えてしまう。もう一度、声を掛けようとした時、突如として唸り声を発して吠え立て始めた。
「ガウ、ガウガアァァ……!」
尋常ではない興奮を見せるユキ。今にも沼に飛び込みそうな勢いだ。いや、既にユキの前足は沼の中へと踏み込んでいた。
「どうした、何を興奮して……」
その時に気付いた。ユキが吠えたてる方向――沼の中央付近の水面に、ゆらりと黒い影が映る。次の瞬間には、ざぶんと豪快に水音を鳴らしてそいつが顔を出した。
そこに現れたのは、鰐と蛸を合体させたグロテスクな姿。俺が勝手に名付けたワニダコが現れたのだ。
――なんだかヤバい。あいつはヤバい。そんな気がする。
俺の直感がそう告げるのだ。
「ユキ! ちょっと待て。落ち着くんだ!」
いくらユキが無敵の強さを誇っても、それは地上での事。さすがに沼の中では相性が悪すぎる。それにユキに関して気になる事もある。それは、俺にあってユキに無いもの――いや、その逆だ。ユキにあって俺に無いもの。それは……HP。これが意味する事は、俺は復活できるがユキは……HPが尽きると死ぬということだ。それは断じて避けたい。もう今の俺には、ユキを失う事など容認できないのだ。出会ってたった一週間だが、それほど大きな存在になっていた。
「止めろユキ!」
俺は叫びながらユキの首筋に飛び付く。その時には、ユキの体の半分は沼の中に沈んでいた。
「ユキ! 落ち着け、落ち着くんだ!」
耳元で叫ぶが聞いちゃいない。完全に怒りで我を忘れている。
――どうしたんだよ、ユキ。
くそ、こうなったらユキに俺からイメージを送り、自分を取り戻してもらうしかない。
俺は自分の角をユキの角に重ね合わせる。だが、俺が慌てているせいか、ユキが浮かべるイメージが先に俺へと流れて来た。
――あぁ、そういうことか。
途端に、俺は納得した。何故、ユキが怒りに我を忘れるほど感情を昂らせていたのかを。
流れて来たイメージはどろどろとした憎悪に縁取られた映像。その中で、元のユキとよく似た魔狼がワニダコに切り裂かれていたのだ。全身から吹き出す血流に、真っ赤に染まる魔狼。その後ろには、魔狼に庇われるユキの姿が……。
そうか、あいつはユキの母ちゃんを死に追いやった相手だったのか。母ちゃんは、我が子であるユキを守ろうとして死んだんだな。
ユキに取っては憎んでも憎んでも飽きたらないほどの敵。それで、これだけ興奮しているのか。
ユキの気持ちも分かる。仇も取らせてやりたい。だが、今は駄目だ。ユキがとんでもなく強いように、あいつからも尋常でない強さを感じる。だから、沼の中で闘うのは危険だと思う。
しかし、仇を目の前にしているのだ。もうユキを止めるには、よほどのインパクトあるイメージを送るしかないだろう。
――何か……。
そうだ。あれだ、あれを送ろう。今朝、ユキから送られたあの乙女チックなイメージを逆に送り返してやろう。
角を重ね合わせたまま、俺たちの恥ずかしいイメージを送ってみる。すると…………ビクッと体を震わせるユキ。そして、2、3度首を振り、俺を見詰めてきた。
――成功か?
俺はユキの首筋をゆっくりと撫でながら、ユキからの視線をしっかりと受け止め口を開く。
「いいかぁ、ユキ。よく聞いてくれ。奴はとてつもなく強い。だから、確実に仕留めるためには沼の中で闘っては駄目だ。相手の得意とする沼ではなく、ユキの得意な陸上に引きずり出すんだ。その為には、ちょっとした作戦も必要だと思う。だから、むやみやたら突っ込んでは駄目だ」
俺は角を重ね合わせたまま、噛んで含めるように言い聞かせる。
「俺もユキの母ちゃんの墓を立てた縁がある。俺も協力するから、今回は退こう。次は完璧に準備を整え、俺たちで狩ろう! だから……」
最後は願いを込めて語り掛けた。
ユキはちょっとの間、どうしようか逡巡した様子を見せた。その後……。
「バウ!」
ひと声吠えると、ゆっくりと戻り始めた。
「……分かってくれたか。一旦、塔に戻ろうな」
ほっと安堵して、何度も何度もユキの首筋を撫で上げた。
塔に戻る間も、ユキは何度も沼を振り返り、怒りの吠え声を繰り返す。
そして奴はというと、しばらく優雅に水面で泳ぎ、最後は俺達を嘲笑うかのように尻尾で水面を弾き、沼の中に消え失せていった。
完全に沼の中に没する前に、俺は神眼を使ってみた。能力の差がありすぎるのか、能力値とスキル等はわからなかったが――
種族
<テンタクルリザー 亜種>
本来は竜種の下位種だが、闇の魔素を大量に取り込み、亜種となり上位種並みの能力を有す。
称号
<水を征す者>
水流を操作する事ができる。
水中では能力が上昇する。
ステータスの中で、このふたつだけは見る事ができた。
能力自体は見る事ができなかったが。
――やっぱり、ヤバそうな相手だったか。
それにしとも、竜種とはな。この世界にはドラゴンもいるんだ。
俺は沸き上がる不安を、何時までも拭う事ができなかった。




