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その8 圧倒

「お父、様?」


 アニが、かすれた声を出す。薄く瞼を上げた、その視線の先には、一匹の「黒い龍」がいた。

 真っ黒なはずの鱗は、波打つようにして紅色にも輝いて見える。その四肢、翼、尾、灼熱の吐息。全てが、伝説の具現のようだった。


「『黒い龍』? 本物、かい?」


 ノートは目を丸くして、リコとアニの父親である「黒い龍」を見つめていた。だがその顔には、少しの歓喜の色も浮かんでいた。

 龍の、黒の中に沈む真紅の瞳が、倒れているアニと、彼女に寄り添うリコを写す。


「騒がしいテレパシーを伝って、何が起こったのかと来てみれば」


 龍が、言葉を話した。人間が出すことはできない波長の、低く重厚な声だ。

 龍の瞳は、次にノートへと向けられた。


「こんな人間風情に、遅れを取っているとは」


 ぼふっ、と龍の口から薄い炎が零れた。ため息なのだろうか。

 龍と目を合わせたノートの口の端が、避けるほどに釣りあがる。邪悪な、満面の笑みだ。


「ふふ、あははっ! 何て幸運だ! 成体の『黒い龍』と相まみえられるなんて! その血、鱗、牙! 宝の山だな、王国が潤うよ!」


 ノートの意識からは、すでにテオルたち三人は消えてしまっているようだ。「黒い龍」に向けられた狂喜の感情が、彼を支配している。


「下賤な」


 空気を裂く音を伴い、龍の腕がノートへと伸ばされる。――速い。

 間際のタイミングで光魔法を発動して逃れたノートの姿を、龍はまるで予測していたかのように目で追う。その視線の先に、驚きと焦りの表情をしたノートが。

 そして、龍の放った闇魔法が、ノートを撃った。


「うっ!?」


 それは、目を合わせた生き物の体の自由を奪う闇魔法。ノートは、糸の切れた操り人形のように、力なくその場に崩れ落ちた。

 龍が動き出してから、僅か数秒の出来事だった。


「この程度か? 他に抵抗は?」


 龍がたくましい四肢を地面にめり込ませながら、倒れたノートへと近づいていく。


「そ、んな」


 倒れたまま、目だけを動かして龍を見るノート。だがその目は、未だ戦意を失ってはいない。

 辛うじて龍の方へと向けた腕から、ノートの渾身の雷魔法が放たれる。間近での閃光と雷鳴に、目と耳を覆うテオルたち。

 ばちんと、雷が弾ける音がした。龍は片手で、その雷魔法をなぎ払い、かき消してしまった。

 目を見開くノート。龍との力の差は、絶望的だった。


「愚か」


 龍は羽虫を見るような目で倒れているノートを見下ろし、ゆっくりと腕を伸ばして、ノートの体を掴んだ。


「僕を、喰う、のか?」


 だらりと体に力を入れられていないノートには、もう魔法を唱える力も残っていないようだ。抵抗する術もなく、そのまま、龍の口の前にその姿を晒す。龍の口から零れる紅蓮の炎が、強さを増した。


「喰ってやっても良いが、残念ながら気分じゃあない」


「く、くく。そう、かい」


 そして。龍は口を開けて――掌の上に乗せたノートへ向けて、灼熱の炎を吹いた。辺りの空間が熱気に包まれ、紅色に染まる。


「凄ぇ」


 テオルは、信じられない思いだった。自分たちを圧倒したあのノートが、龍にまるで赤子のように扱われ、目の前で死んでいったのだから。

 ノートの体は、消し炭になってしまったようだ。唯一燃え残った金属の装飾が、龍の掌からポトリと地面に落下する。

 龍が、テオルたちの方へ視線を向けた。テオルの体に、思わず緊張が走る。


「心配するな。お前に危害は加えない」


 龍が、意外な言葉をテオルにかけた。その目は、次にリコとアニの方へ。


「お父さん、なの?」


 リコは呆然とした様子で呟いた。龍はリコ達の元へ歩み寄り、顔を近づけた。


「初めて姿を見るな。なるほど、人と血を分かつとこうなるのか」


 大きな深紅の瞳に、リコの姿が映し出されている。

 

「本当に、『黒い龍』が父上、か」


 そう言ったのは、倒れているアニだ。


「姿が違い過ぎて、信じられないか?」


「いや、あなたの姿を見ていると、懐かしいような安心するような、不思議な気持ちになる。私の中に流れる龍の血が、あなたが父親だということを告げているんだろう」


「お父様、ありがとうっ」


 リコが、龍の大きな片腕に抱きついた。


「離れろ。火傷するぞ」


「あちあち」


 成体の龍の体温は、人と比べてかなり高い。リコは舌を出して笑いながら飛びのいた。


「お前は誰だ? 敵ではないようだが」


 龍の視線の先に、テオルがいた。


「俺は、何だろうなぁ」


「これはテオル! 私のお兄ちゃん!」


 リコがふらふらの状態で立っているテオルに駆け寄って、今度はテオルの腕に抱きついた。


「痛てて。これって何だよ。お兄ちゃんでもないし」


「なんて言えばいいのじゃあ」


「考えてるとこ。あー、俺はこいつの名付け親だな」


「ほう。人が我の子に名を付けるのか」


 龍の返答を聞いて、テオルは少しひやりとした。


「ちょっと出過ぎた真似だったか」


「いや、構わん。貴様ら人間と違って、我らは名前などに執着は無い」


「私、リコって言うんだよ! 妹、じゃなかった、お姉ちゃんの名前はアニ! 私が付けたの!」


 リコはそう言って、アニを抱き起こす。


「って、お姉ちゃん、はだか」


 一度龍の姿に変身したアニの衣服は裂けて無くなってしまっていた。テオルはボロ切れのような自分の上の服を脱いで、アニへ掛ける。


「恩人、だろうな」


 アニが呟いた。


「恩人? 何の話だ?」


 テオルが聞き返す。


「お前が何者かが、だ。お前のおかげでリコはあの洞窟でも楽しそうだった、し。魔法使いに攫われたリコを助け出したのはお前だ。私も、お前には助けられた」


「ほう」


 その言葉を聞いた黒い龍が、静かに唸る。


「全くもって、過大評価だな」


 テオルが頭を掻いた、その時だった。

 突如リコの背後に、消し飛んだはずのノートが現れた。


「えっ」


 一瞬の出来事に、誰の思考も着いてこない。リコの側にいたテオルだけが、無意識にリコへと片腕を伸ばす。

 コンマ数秒後、空間を食むようにどこからか出現した真っ黒な闇がノートを、そしてリコを包み込む。


「リコ――!」


 リコへと手を伸ばしたテオルも、リコとノートを包む闇の、内側へ。


 ごぷんと、何かを呑み込んだような音を残して、ノート、リコ、テオルの三人は、その場からいなくなってしまった。アニと黒い龍の目の前で。


「何だ、どうなった!?」


 焦るアニが、黒い龍へと叫ぶ。龍は、怒りをぶつけるかのように大地に拳を打ち付けた。


「油断した。死に損ないが、禁じ手の魔法で二人を異空間へ飛ばした」


「何だと!?」


「空間移動ではなく、空間変異だ。ただの雑魚ではなかったようだ」


 空間変異とは、違う座標軸の空間、即ち異空間へと対象を飛ばす、禁じ手とされている超上級魔法だ。

 そして、黒い龍をも欺いたのは、ノートの「生」を操る闇魔法。龍の炎で、確かにノートは消し飛んだはずであったが――。


「じゃあ、リコは、テオルは」


 アニは悲痛な顔つきで、空間変異の際に持っていかれたであろう、えぐれた地面を見つめた。


「今は二人とも、やつの作った異空間に閉じ込められた。その作った本人と共にな」




「うっ、がっ」


 テオルは、数メートル落下し、地面へ叩きつけられた。先ほどとは違い、人工的な硬い地面だ。


「ここは、何だ」


 身を起こしたテオルは、ここが異質な空間であることを理解した。

 暗い。今は昼間のはずなのに、ここは夜のように暗い。見上げれば満月と、無数の星が煌めく夜空。その下にそびえるは、数多の摩天楼。夜空の星を鏡で写したかのように、ビルの窓から漏れる光が闇に点を打っている。かつて世界を旅したテオルですら目にしたこともない、近未来的で、非現実的な光景だ。

 その摩天楼の中の一つ、巨大な直方体建築物の屋上に、テオルはいた。


(異空間、か。リコは――)


 ここは、ノートが生み出した異空間。だが、一緒に呑み込まれたはずのリコの姿がない。


「やあ、君も来てたんだね」


 背後から、声がした。振り向くと、テオルのいる屋上より少し高い、隣接した建築物の屋上に、人影があった。

 ノートと、彼の片腕を首に回され捕らえられている、リコだ。


「リコ!!」


 リコは涙を流しながら抵抗しているが、ノートはびくともしない。それどころか、眼下で自分を睨みつけるテオルと視線を合わせて、彼はにたりと笑った。


「丁度いいかな。これから始める余興に付き合っておくれよ」




「二人を取り戻す、手段はないのか」


 平野で、アニは身を震わせながら、黒い龍へとすがっていた。目を伏せた龍は、呟くようにして答える。


「一つ、ある」


 その言葉を聞いて、アニの表情が変わった。


「本当か?」


「そうだ。途方もない技能を持った魔法使いを、一人知っている。奴ならば、あるいは」


 龍は翼を目いっぱい拡げた。ごうっと、空気の割かれる音が響く。ここから飛び立つつもりのようだ。アニは、龍の背中へと飛び乗る。


「その魔法使いに会いに行くんだな? どんなやつだ、信頼に値するのか?」


「おかしな奴だが、実力は確かだ。今は他の手段を考えている暇もない。名は――確か、テーチ、と言ったか」

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