その7 血を分けた
テオルたち三人は、薄暗い地下空間を走っていた。
牢獄空間を走っていた時とは逆で、テオルよりアニの息が上がっている。
「大丈夫かアニ」
「問題ない。だが、もう龍へ身体を変える魔力も残っていない。階段を探すぞ」
「無理をさせてすまなかったな」
「構わん。良い作戦だった」
やがて、リコがテオルたちの先頭に立った。ここへ連れて来られたときの記憶を辿って、帰り道を先導できる、と言うからだ。
それから数分間、薄暗闇の中に足音を響かせていると、無事に地上へと登る階段を発見することができた。
「ねぇ、あの魔法使いは、死んだのかな」
階段を登る最中、リコがテオルに訊く。
「死んだかもしれない。でも、お前が気に病むことじゃない。俺たちは、理不尽な危険に晒されたから、身を守っただけだ」
リコは沈黙したが、小さく頷いた。
そうして、他の生き物の妨害にも遭うことなく、三人は「奴隷置き場」の建物から脱出した――。
「お前達を乗せて、一刻も早くここを立ち去りたいところだが、魔力が回復するのを待ってくれ」
エル王国を出て、少し離れた平野にて。
アニが申し訳なさそうに、リコとテオルにそう話している。
「焦らなくてもいいよ! アニが一番の、こ、こうろうしゃ? だもんね!」
リコが無邪気に笑った。アニも「ありがとう」と、笑顔になる。
気持ちのいい風が吹き、辺りの短い背丈の草が、波のように揺れた。
ふとテオルは、エル王国の方を見た。小さな建物群が寄り添うその国は、弱い生き物たちが身を寄せ合うあの洞窟を、不思議とテオルに連想させた。
「魔力は、時間が経てば回復するからな。とにかく、何処か他に人がいるところを目指して歩いていこうか」
テオルの提案で、三人はエル王国を背にして、また歩き出した。
「それにしても、腹が減ったな」
そう言って、アニはじーっとテオルを見る。テオルの背中に悪寒が走った。
「頼むから我慢してくれ」
「冗談だ。私は人を喰う気はない」
「ホッとしたよ。心底」
リコがまた笑って、それに釣られてテオルとアニも小さく笑う。リコを助けられたということを実感できる、楽しいひと時だった。内容は笑い事では無いものなのだが。
――そのとき、だ。
「え」
リコが、気の抜けたような声を出した。三人は、目を疑う。突然、目の前に、一人の少年の姿が現れたのだ。今の今まで、誰もいなかったというのに。まるで、「瞬間移動」でもしたかのように、突然に。
「お前、は」
テオルは、その少年に見覚えがあった。
エル王国に、アニと二人で最初に足を踏み入れたとき。人混みの中で、テオルはとある少年にぶつかっていた。それが、彼だ。エル王国の国民にしては珍しく、首や手に金属の装飾を着けた、派手な身なりをしている。
「『奴隷置き場』から、抜け出したんだね」
少年が喋った。幼い声色。だが、テオルとアニは思わず身構えた。
「お前、何でこんなところに居る?」
テオルがそう訊いたが、返事はない。
風が吹き、少年の髪と金属の装飾が揺れ動く。
「あのとき、『マーキング』しておいて良かったよ」
少年の、その言葉の意味を、テオルはすぐには理解できなかった。
次の瞬間、少年の手のひらから放たれた細く鋭い電撃が、一瞬でテオルの体を貫く。
「がっ」
テオルは片膝をついてその場に崩れた。
「テオル!」「お兄ちゃん!」
駆け寄ってきたアニとリコが、テオルの顔を覗き込む。意識は失っていない。その目は、ぎらりと少年の姿を睨みつけていた。
「お前、魔法使いか?」
「そうだよ」
少年が、無表情で答えを返す。
テオルは、「奴隷置き場」の地下でのネロの言葉を思い出した。
『私たち【ギリカ兄妹】にたてついた連中は罰されると、この国の法で定められているんだけどね』
「兄妹……お前は、 あの女魔法使いの兄貴か」
少年は、にやりと笑った。それは愛嬌のある子供の笑顔ではなく、見た目には似つかわしくない、悪意の潜むぞっとするような笑みだった。ネロのものに、そっくりな。
「そうだよ」
また、肯定の返事をする。
アニは眉間にしわを作って、少年を見ていた。理解に苦しんでいるようだ。
「兄貴、だと? どう見てもこいつは、あの魔法使いより子供だろうが」
「闇魔法、だ。身体を操って、子供に化けてやがる」
テオルが立ち上がる。体は痺れて、殆どいうことを聞いていない。しかし、ここで動かなければ、最悪の結末になるということを、テオルは分かっていた。目の前の少年から空気を伝って感じ取れる、膨大な量の魔力が、テオルにそう思わせていたのだ。
「僕の名前は、ノート」
少年が、ゆっくりとテオルたちに歩み寄ってくる。
「逃げるぞ」
テオルが小声でアニとリコに告げる。
「まさかネロがやられるなんてね。もう一人、半龍がいたから、わざわざ『奴隷置き場』に案内してやったっていうのに」
ノートはテオルに故意にぶつかったとき、瞬間移動の際に使う特殊な「マーキング」を施していた。それを利用し、ここまで追いついてきたのだ。
もうアニとリコに残っているのは、ほんの僅か回復した魔力だけ。出来て一度か二度、火炎を吐けて終わりだろう。状況は、絶望的だ。
「がァッ!」
リコが、火炎を吐いた。今迄で最も強い火力のそれが、ノートを飲み込む。だが寸前で、ノートは光魔法の防御膜で炎を遮断した。
「長くは変われ――ないが!」
アニが龍へと姿を変え、その背にテオルとリコを乗せようとした。が。
炸裂する炎をよそに、ノートはテオルたちのすぐ後ろへ姿を現していた。瞬間移動の光魔法だ。
(魔法陣、無しで――)
龍となったアニが、尻尾を鞭のようにしならせ、ノートへと打ち付ける。空振りした尻尾は大地を抉り、またも移動したノートがアニへと手をかざす。
空気を押し退ける轟音と、視界を白で塗り潰す閃光。一筋の、太く強力な電撃が、ノートの手からアニへと迸った。
「う、ああああ!!」
龍の姿のアニが悲鳴を上げて、地を揺らし倒れる。
「アニ!!」
「さあ、君もだ」
リコの悲痛な叫びが、ノートの残虐な台詞と重なる。直後、テオルがリコを突き飛ばし、飛んできた雷魔法を代わりに受けた。だが、倒れなかったテオルはそのままノートへ向かっていく。
「てめえェ!」
テオルの拳が、光魔法の不可視の防御膜にぶつかる。ノートへは、届かない。
(また、だ――)
かつて洞窟で、ネロに攫われるリコを助けられなかったときのことを思い起こす。そのときも、こうして光魔法で阻まれた。
「あれ、君、変だね。全く魔力を感じないよ」
防御膜の奥で、ノートが笑っている。
(そうだ、力を持たない俺じゃ、何一つ――)
もう一度、雷魔法をその身に喰らって、テオルの意識は飛びかけた。ノートの足元へ倒れこんだ衝撃で、何とか意識を引き戻せる。
「空っぽの魔力で突っ込んできた勇気を讃えて、殺さないでおくよ」
ノートは、倒れたアニへ寄り添うリコへ、目を向ける。
「もう、やめて」
リコは、泣いていた。自分が傷つくのが怖いからじゃない。アニが、テオルが、目の前で倒れていくことが、耐えられないのだ。
「大丈夫。どの道、君たち半龍は殺さないから。高く売れるからね。でも力加減、難しいんだよなぁ。だからネロに任せたのに」
ノートの足が、アニとリコの方へと向かう。
――その背後で、テオルがまた起き上がった。ノートの足が止まる。
「頑丈な男だね」
静かな憤怒を映し出すテオルの瞳と、ノートが目を合わせる。テオルは震える体で、ゆっくりとノートへ迫っていった。
「ちき、しょ」
スローモーションのようにして繰り出されたテオルの拳を、ノートはすっと横へ躱す。
「魔法を使う価値も無いね」
ノートのため息混じりの言葉。前のめりに倒れそうになったテオルは手をついて、再度、歩き出す。アニと、リコの方へ。
「お兄、ちゃん」
テオルの足はリコ達のすぐ前まで来ると止まり、力なくその場に崩れた。リコ達に寄り添うようにして。丁度そのタイミングで、倒れていたアニが龍から人の姿へと戻っていった。魔力の限界だ。アニも意識は保っているが、体を動かす余力は残っていない。
「お、い。アニを、担いで、逃げろ」
か細い声で、テオルがリコにそう言った。リコは涙ながらに、首を横へと振る。
「テオルお兄ちゃん、私、あの魔法使いに捕まるよ。テオルお兄ちゃんも、もしかしたらアニも、見逃してくれるかもしれない」
「バ、カ。それじゃあ」
最初と、同じになっちまうだろうが――。
テオルの言葉は、言葉にならない。
――そのとき、だった。
「うっ――?」
突然、リコが頭を抱え出した。アニも、ぴくりと身体を震わせる。
「どうした?」
「お兄ちゃん、テ、テレパシーが!」
頭を掴むリコの手に、力が入っている。
「あーもう。魔力の無い男。目障りだから、君やっぱり死んでおいてよ」
テオルの後ろで、ノートの魔力が高まっていく。だがテオルは、それよりもリコとアニの変化に気を取られている。
「そう、だ。やっと、分かった」
そう言ったのは、アニだった。
「何がだ?」
「私たちの、テレパシーを妨害していた、『何か』だ」
アニは両手を付いて上半身を起こし、真紅の瞳でテオルを見る。その目は、何かを訴えかけようとしていた。
『テレパシーが通じなくなっている。この建物に入ってからだ。――別の巨大な『何か』に押し潰されているような……そんな感覚だ』
アニは、「奴隷置き場」の地下へ入った後、そんな事を話していた。
「そう、だったんだ。私たちのテレパシーを、押し潰していたのは」
「これ、って」
アニとリコは、同時に上空を見上げた。テオルも、二人の視線の先を追う。そこには、「何か」が飛んでいた。真っ黒な、「何か」が。
「ん?」
ノートも「それ」の存在に気付き、上に目をやる。
その直後。一つの影が、ノートの背後の大地に降ってきた。
「何、だ!?」
巻き上がる土煙に、ノートは目を凝らす。
「まさか」
テオルは、目を見開いた。――あり得ない。心の中で、そう呟く。
リコとアニの、テレパシーが、誰かの確かなメッセージを受け取った。それは今の今まで、二人のテレパシーを麻痺させていた程の、力強過ぎる、メッセージだった。
『助けに来た、娘たちよ』
土煙を切り裂いて、ノートの目の前にその姿を見せたのは――真っ黒で、巨大な龍。
「おいおい、何の冗談だ」
ノートから、苦笑いが零れる。
そこに居たのは、成体の「黒い龍」――アニとリコ二人の、父親の姿だった。