その1 選定
「もうすぐ、私の妹が生まれるんだよ」
薄暗い洞窟の奥。
行き止まりの空間に、大きな白い卵が一つ、置いてあった。
「はぁ、残念だ。俺の非常食が」
「おい、首締めるぞテオルお兄ちゃん」
会話をしているのは、死んだ目をした黒髪の気だるそうな人間の青年、テオル。もう一人は、長い金髪の、龍と人間のハーフの少女、リコ。
二人とも、ぼろ切れのような粗末な服を身につけている。
「龍と人間のハーフって、卵から出てきたときにはもう五、六歳の見た目で、頭も良いんだよな」
「うん」
「お前、今何歳?」
「卵から出たときをゼロとするなら、今年で四歳かな。私の方がこの子より四歳もお姉ちゃんだ。色々教えてあげないと」
リコはお姉ちゃんになるであろう自分に酔っていた。
「じゃあ、人間で言うと今年で十歳くらいか。お姉ちゃん、もうちょっとしっかりしなよ。この前みたいに、お外お外言ってるようじゃダメだぜ」
「うるさいな! また引っ掻くぞ!」
リコが鋭い爪の生えた両手をテオルの方へと近づける。
「それより、さっき妹って言ったけど、性別も分かんのか?」
「分かる。妹だ。もうテレパシーを使えるみたいだから」
龍は、近い距離ならテレパシーで会話できる種族らしい。
「すごいモンだな」
「でしょー。だから、しっかりしろなんて言われたくないよ。特にテオルお兄ちゃんにはね」
リコが言葉の反撃に出た。
「なーんにも魔法が使えないくせにさぁ」
この世界には魔法という概念が当たり前に存在し、人間は体の中に魔力という魔法の源を持っている。程度差はあれど、誰しもが魔法を使えるはずなのだ。
しかしテオルは、最も会得が簡単だと言われる風魔法の初級技すら、未だに使うことができない。
「他に大した取り柄もないし。無能テオル」
「やかましいなあ」
さすがにテオルも少したじろいだようだ。だが、図星極まりない。
「私の妹にバカにされないように、気をつけなよー」
リコは捨て台詞を残して、洞窟の先へ走っていった。
「取り柄か。俺の取り柄って、何だろうな」
目の前の卵に向かってテオルは呟いたが、当然返事があるわけもない。
この洞窟は、言葉を悪くすればまるで蟻の巣のように、地下に向かって枝分かれして伸びている。ここには訳あって地上を去った様々な種族が住み着いているが、関係は希薄で、時たま会話を交わす程度だ。
テオルはこの環境を割と気に入っていたが、リコはそうでもない。リコは誰かが偶然ここに隠した龍の卵から生まれ、望まぬ形でここで暮らしている。しかし、洞窟から出るには制限があるのだ。洞窟内にたまに現れる、トロールという怪物の被害を食い止めるために、外の魔法使いが入り口に張った強力な結界が、それを邪魔する。結界は外から入るときには機能しないが、中から出るときにはいかなる生物も通さない。つまりリコは、この洞窟に捕らわれているも同然なのだ。
しかしその日、そんな洞窟の毎日に、変化が起きる。
「テオルお兄ちゃん大変、今お外、じゃなかった、地上の魔法使いさんがここに来てるんだって!」
リコが興奮しながら、テオルに情報を伝えに駆け寄ってきた。わざわざ魔法使いが地上からこの洞窟に来るか? と思いテオルは眉をひそめる。
ちなみに魔法使いとは、一般的には、普通よりレベルの高い魔法を扱える人間のことを敬意を込めて呼ぶ名称だ。
「今、上の層の大広間にいるって」
「来た理由は聞いてるか?」
「なんでも、魔力の高い生き物がいたら、魔法使いさんが地上に連れて行ってくれるみたい。おっちゃんたちは、『せんていされる』とか言ってた」
テオルは、ますます眉をひそめた。
「良くないな」
「え、何が?」
「いや。とにかく、お前は大広間には行くな。絶対だ」
「えーっ! 何で!? おそ、地上に連れていってくれるかもしれないのにー!」
リコが大声で抗議する。
「でかい声出すな。お前と魔法使いが出くわすとマズいんだ。下でお寝んねしときな」
「なーーんーーでーーよーー!?」
リコは駄々をこねたが、最終的にはテオルに押し切られ、とぼとぼと下の階層へ向かっていった。
テオルは少しリコに申し訳なく思いながらも、自分は大広間へと足を運んだ。地上へ出る気はさらさらない、というか元より魔法が使えないテオルは選ばれようがない、のだが、単に様子を見るためにだ。
大広間には、洞窟中のほとんどの生き物(九割以上は人間)が集められていた。窮屈に並んだその生き物たちを見下ろすようにして、高いところに立って演説をしている女性が一人。水色のとんがり帽子に、同じく水色のゆったりしたローブ、価値のありそうな木製の杖といった、一目でそうだと分かる外見をしたその女が、地上から来た魔法使いであった。
(あいつか)
よく見ると、まだテオルとそう歳も変わらないような、女の子と言ってもいいような魔法使いだ。
テオルは魔法使いの演説に耳を澄ます。
「――大丈夫、君たちには危害は加えない。魔力が高いと私が見定めた者は、我がエル王国にて働く権利を与える。安心しなさい、『選定』はあなたたちに何かを強いるものじゃない」
高飛車な声が、大広間に反響している。
(エル王国。知らないな。新興国か)
何にせよ、テオルはその演説の内容には無関心だった。問題事を持ち込まれなければ、それでいいのだ。演説をやめ、何やら一人一人に目を凝らしていっている魔法使いを無視し、こっそりと大広間を後にしようとした、その時。
「何処へ行くのかな?」
魔法使いの声が、テオルのすぐ後ろから聞こえてきた。テオルが振り向くと、案の定魔法使いはテオルの後ろに、腕組みをして立っていた。つい数秒前まで、人垣を挟んだ向こう側にいたはずなのに。
「瞬間移動――光魔法の上級技か?」
「おや。詳しいのだな」
ざわつく生き物たちを無視して、魔法使いは面倒くさそうな顔をしているテオルのことを、じっと見た。
「ふふっ」
すると、うつむいて軽く笑う。
「何だ?」
「いや、失礼。魔法の知識があったから、もしかしたらと思ったんだが。何と、君には魔法の素質がまるでないじゃないか。こんな人間も珍しいな」
「失礼な奴だな、本当に」
「ねぇ、じゃあ私のことも見てください!」
元気のいい聞き覚えのある声が聞こえ、テオルはギョッとした。直後、テオルと魔法使いの間に割って入るように、リコが飛び込んできた。
「あ!? この、バカ!」
テオルは後ろからリコを羽交い締めにする。
「テオルお兄ちゃんはズルい! 魔法使えないくせに、自分だけ選ばれようとしてたんだな!?」
「違うわ! お前は――」
「元気な子だね。どれ、見てやろう」
魔法使いは、リコに向かって目を凝らした。
「いて!」
リコはテオルの腕に噛みついて、羽交い締めから無理やり脱出した。そして緊張した様子で、魔法使いにむかってぴしっと気をつけをする。
「ん?」
魔法使いの表情が、急に曇る。
「くそ!」
「きゃっ!」
テオルはリコの手を引いて、リコの姿を隠すように自分が一歩前に出た。
「隠しても無駄。おやおや、これは変だ。その子、人間ではあり得ない魔力の溜め方をしている」
魔法使いは今度はにやりと笑った。テオルの背中に、冷や汗が伝う。
「私はこれを知っているぞ。その子には、『黒い龍』の血が混ざっているんだな」
(こいつ、見抜きやがった)
テオルは反射的に魔法使いに掴みかかったが、魔法使いは何かをつぶやくと、姿を消した。光魔法で、さっき演説をしていた場所に戻ったのだ。そして、再び高飛車な大きな声で、洞窟の生き物たちに語りかける。
「皆、聞け! あそこにいる金髪の少女には『黒い龍』という、世にも恐ろしい生き物の血が流れている!」
「止めろ!! 何のつもりだ!?」
テオルが叫んでも、魔法使いは聞く耳を持たない。
「『黒い龍』は数いる龍の中でも最悪の種族! 何故なら、人を喰らう種族、だからだ!」
「えっ」
リコはそれを聞いて、ぽかんとした表情を浮かべた。洞窟の人間たちも、ザワザワと話をしながら、リコと魔法使いを交互に見る。
「黙れ、リコは人なんか喰わない!」
テオルは必死の形相で反論する。
「どうかね? もう二、三年もすれば、最初に腹に収まっているのはお前かもしれんぞ? 『黒い龍』が人を喰らうのは、歴史が証明している事実さ!」
「上っ面だけの歴史で、リコを判断してんじゃねぇ! こいつは人は喰わねぇ!」
魔法使いは、涼しい顔で笑い返している。
「随分と擁護するんだね。もしかして君が父親?」
「鬱陶しいな! この場から消えろ!」
消えろ、というテオルの言葉が、洞窟内にこだまする。大人数が押し込められているのが嘘のように、しばらく大広間は静まり返った。魔法使いは首を捻って数秒考え込んだ後、テオルからすれば意外な返答をした。
「ふん、まぁいい。どのみちこの洞窟には、その半龍の他に魔力の高い者はいなさそうだ。光魔法で暗闇を照らすくらいはしていたので期待はしたが。興が覚めた」
魔法使いは生き物たちをかき分け、洞窟の出口の方へと去っていった。
(どういうつもりだ?)
しかし、今こうなっては魔法使いよりもやっかいなものは他にいた。洞窟の生き物たちは、ヒソヒソとやりとりをしながらテオルたちの方をチラチラ見たり、見なかったり。明らかにいい雰囲気ではない。とにかくここから離れようと思い、テオルはリコの手を引いたが、リコの体は石のように動かなかった。
「おい」
軽く叱咤しようとしたテオルは、リコの表情を見てハッとした。今まで信じていた世界が崩れたかのような、すぐにでも泣き崩れてしまいそうな表情。リコの手は、小刻みに震えていた。
テオルの胸は裂けるようだった。これを恐れていたのだ。
「行くぞ、リコ」
テオルはリコの手を無理やり引っ張って、大広間を後にした。
――魔法使いは、ブツブツと何事かをつぶやきながら、洞窟の傾斜を登っていた。
「適応力は、驕りの元。人は立つべき次元を下げても、やがては甘んじ適応できる。しかしそのとき、相対的な視点を消し、驕りを生んでしまう。自らの能力を誤認し、進化は止まる。救いを得るには、立つべき場所に相応しい制裁を、誰かが与えてやるべきなのだよ」
やがて洞窟の入り口の、結界の前まで来ると、魔法使いは踵を返した。
「そこから這い上がってきた者にのみ、私は手を差し伸べよう」
魔法使いは片手に持った杖でこんと地面を打つと、魔法を発動させた。
「さあ、抗え」
「それ」こそが、魔法使いの行う本当の「選定」だった。