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デッドエンドは許されない  作者: danpan01
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グッドエンドは嘆かない

 第4話 グッドエンドは嘆かない

 


 死という言葉について考える。

 イメージとしては、空虚で無機質、真っ暗で、感触は無く、そこからは何も感じ取れない。

 一口で死と言っても、そこから派生する言葉はいくつもある。

 事故死失血死ショック死圧死窒息死爆死轢死感電死溺死焼死毒死病死餓死脳死心臓死老衰死衰弱死過労死尊厳死安楽死枯死憤死戦死

 思い当たるだけでざっとこれだけ。

 ただ死ぬと言っても多くの種類があり、死因がある。

 日本での年間の死亡数は約百二十万。

 一日でざっと三千人以上。

 そうやって考えると、人ひとりの命なんて随分と小さく見える。

 「お兄ちゃんはさ、お葬式って何のためにあると思う?」

 以前、妹にふとそんなことを、何の気なしに聞かれたことがあった。

 「死者の弔いのためだろ?」

 「んー、三十点かな」

 妹は微笑みながら首を傾ける。満足のいく答えではなかったようだ。

 「死者を弔うって言っても、死んだ人は何も言わないよ。さよならーってこっちが言っても返事は帰ってこないし、もしかしたらまだ言いたいことがあるのかもしれないしね」

 「あー……じゃあ」

 もっと本質的な言葉で示せってことだろうか。

 「当人が死んだ事実に対する、再確認ってとこか?」

 少し考えた後、できるだけ端的な言葉でまとめる。

 「ん、七十点」

 妹は人差し指をこちらにつきつけて、採点してくる。

 「もっとざっくりというとね、葬儀っていうのは変える(・・・)ためにあるの。当人だけではなく、まわりの人たちもね。葬式が開かれる、つまり誰かが死ぬっていうのは、元からそこにあったものが欠けていくようなものでしょ?

例えばさ、着ている服がほつれちゃった場合、縫い直す必要があるでしょ? でもそうなったら、その時に来ている服は、今までの服とは違ってくるの。そして人の死も同じく、誰かが死んだことで、周りの人の世界は変わっていく。

縫い直さなければ、変わらなければ、その世界は歪なままなのだから」

とても楽しそうに、無邪気な顔で妹は語っていく。

「お葬式は、その変化を最も印象深くするための儀式なんだろうね。ずっと昔からあった儀式。あの人死にましたよ、だから私たちこれからどうするか考えましょー、みたいな、ね」

一日だけで三千人以上死に続けて、いや、世界規模で考えれば、おそらく万は超えているだろう。

 世界は常にほつれ続け、縫い直され続けているということ。

 死んだ当人にとっては、そこで終わりだが、他の人々は縫い直すことで精一杯。

 「で、結局なにが言いたいんだ?」

 「いや、ただそれっぽいこと言ってみたかっただけ。

あっははははは! お兄ちゃん真面目な顔して考えてやんのー」

 「………」

 そして今、俺の目の前でまた一つ、世界が変わっていく。



 麻奈可の葬儀は、小さな会場を借りて行われた。

 昨夜、俺のところに電話がかかってきた。電話は、担任の月海先生からで、葬儀の案内を俺にも回すよう親族から言われている、とのことだった。

 服装は学生服を着て、俺は一人で麻奈可の葬儀場へと行った。

 葬儀に来た人数は、あまり多くは無かった。麻奈可のクラスメートと思われる人物が数人程度、それ以外では親族とその友人、だろうか。ちなみにクラスメートの中に、紅野の姿は無かった。

 思い思いに、麻奈可の死について感じるものがあるのだろう。中には泣いている者もいた。

 俺はそんな様子を、一歩離れた距離で見ている。

 「……参ったな」

 一足先に、彼女の死を実感してしまったせいか。特に何も感じなくなっている。すでに結末を知っている映画を観ているような気分だ。

 とりあえず、この無表情を誰にも見られないように、できるだけ顔をふせてやりすごす。

 別れ花の際、その時に葬儀で初めて麻奈可の顔を見た。

 事件の時で見た、うっ血した顔色ではすでになく、対照的に、ひどく白い顔をしている。

 表情の方も、ただ眠っているみたいだ。

 すこしだけほっとした。あんな苦悶の表情は、皆に見せるものではないと思ったから。

 ただ、首に巻かれている包帯が、傷を隠すものだとすれば、少し痛ましく感じた。

 「藍上さん、ですか?」

 告別式が終わり、出棺の準備をしている最中、一人の女性に声をかけられた。喪服を着た、三十代後半の女性だ。

 「えっと……」

 「ああ、すみません。私、麻奈可の母の、愛崎可奈子(あいざきかなこ)と申します。このたびは、勉強でお忙しいところ、わざわざ来ていただき……」

 「あ、いえいえ」

 麻奈可の母さんだったのか。確かに、少し目元が似ている。

 「……その、麻奈可は、俺について何か言ってましたか?」

 「ええ、それはもう。とても親しい友人だと。あなたのことを話すたび、あの子、よく笑っていたのよ」微笑みながら、可奈子さんは語る。

 「そうですか」

 相槌を打つ。何かほかに言うことないのかよ、と自分に駄目だしをしてしまう。

 とは言ったものの、母親を目の前にして、麻奈可のことを話に出すのは、いささか不謹慎ではないかと考える。

 では他にあるのかと考えると、特にないのが困りものだ。しかしてこのまま黙っているのも気まずい。事件のことでも聞いてみようかな、と考える。

 「あの、麻奈可のことについて、なんですけど」

 「あら、なんでしょう?」

 殺されるぐらい誰かに恨まれるようなことがありましたか、などとそんなこと聞けば、不愉快になるに決まっている。できるなら、そんなことはしたくない。

 「麻奈可はあの日、時間通りに、家を出たんですか?」というわけで、別の質問をすることに。

 「ええ、そうねぇ。そのあたりはしっかりした子でしたから、朝早くに家を出ましたよ。

 ……でも、まさかそれが、あの子を見る最後の姿だったなんてね」

 可奈子さんの表情が暗くなる。しまった、この話題は振るべきでは無かったか。何か別の方向に変えなければ。

 「麻奈可って、あまり眼鏡は好きじゃなかったんですかね」

 「はい?」

 「あ、いや。写真見て思ったんですけど、眼鏡掛けて無いなーって」

 遺影のほうを見ながら、思ったことを口にする。遺影に写っている麻奈可は、俺が良く見る眼鏡は付けておらず、素の顔で写されていた。

 「あの子……眼鏡、付けてたんですか?」

 「え?」

 「いえね、いままでそんな姿見たこと無くて。

 ……ああ、そうだったんですか。あの子ったら、変なところで意固地なんだから」

 「どういうことですか?」

 「以前、麻奈可の眼が悪いことで話をしたんですけどね。眼鏡は重くて嫌だからつけないと言ってきて。結局その話は見送りになったんですけど、いつの間にか買っていたようですね」

 「そうですか」

 そういえば麻奈可、必要な時以外には眼鏡を掛けないようにしていたな。眼鏡ってそんなに嫌なものなのだろうか。

 「あ、車の準備ができたみたいですね。それでは、本日はおよびいただき、ありがとうございました」

 頭を下げ、社交辞令を述べる。

 「いえいえ。藍上さん、よければ時間があるときに家に来てくださいね。麻奈可もそのほうが、嬉しいでしょうし」

 麻奈可の遺体を霊柩車に乗せ、葬儀は終わった。これから親族たちで火葬場に向かうのだ。

 時刻は十二時前。どこか適当なところで、昼を済ませることにしよう。

 

 

 午後から授業に参加することとなったが、今日の学校の様子は先日とは少し変わりつつあるようで、あまり事件のことについての話は上がることは無かった。

 犯人が捕まるのも時間の問題と考えているのか、皆それぞれ自身の勉強のことが、話の主体となっていた。

 かく言う俺も、自分の机で自習に取り掛かっている最中である。

 「よう」

 と、篤字が目の前の席に座ってきた。

 「ん」

 手を上げて挨拶を返す。

 「一昨日は悪かったな、春宮のこと」

 「ああ、いや、別に気にしてないよ」

 「おう、それとこれ、ありがとな」

 英語のノートが差し出された。

 黙ってそれを受け取る。

 「………」

 「………」

 先に要件を済ませてしまって、話すことが無いのか、お互いに黙る。

 俺と麻奈可の仲は、こいつも知っている。気を遣ってあまり積極的に話さないようにしているのだろうか。沈黙が痛い。

 「あのさ」

 間が悪いと感じ、こちらから声をかけた。

 「ん?」

 「今年のバスケ部ってさ、どこまでいけそうだと思う?」

 とりあえず身近な話題からふってみた。

 「そうだな、男子は正直言って、予選通るのは難いかもしれねーな。あいつら腑抜けになっちまった。まともに練習しやがらねーし」

 「お前も大会出るんだっけ?」

 「いや、どうだろ。出るとしても、三年は俺だけってことになるだろうな。みんなコッチだし」

 篤字は俺の教材を指す。

 「ほら、去年顧問のトラちゃん転勤しただろ? 鬼コーチが辞めたっつーことで、みんなやる気無くなっちまったんだよな」

 トラちゃんというのは、男子バスケ部内での顧問の名称である。正確には元、か。

 「トラちゃん、今でも頻繁に飲み会行ってるんだろうか? 弱いのになあ」

 「……さあね、俺にはなんとも」

 口答えしたらグラウンド二十周と言う、どこぞの軍曹か、と突っ込みたくなるような指導をする鬼コーチだった。

 虎なのか鬼なのかはっきりしてほしい所である。

 「じゃあ女子は?」

 「女子は期待大だな。ハルはここんとこ調子よくってさ。部長として他の奴らをちゃんとひっぱっていけてる」

 篤字は嬉しそうに語る。篤字にそこまで言わせるなら、うまくやっているのだろう。

 って、ちょっと待て。

 「春宮が、部長?」

 初めて聞いたぞ。

 「言ってなかったっけ? あいつ二年生に上がった際、三年の部長から一任されたんだよ」

 「いや、知らなかった。三年の部長って、確か(みどり)(はら)だっけ?」

 「そ、緑原も受験ってことだから。他の三年もそれほどうまくないし」

 「ふうん、確か女子の顧問って」

 「月海先生だな。あの人もなんだかんだ言って、生徒の面倒を見てくれるいい先生だよなあ」

 そこでふと、篤字は思い出したように顔を上げ。

 「あ、そうそう。そういえばこんな噂であったな」

 「?」

 「月海先生とトラちゃん、一時期付き合ってた、っていうのが」

 「はぁ?」

 素っ頓狂な声を上げてしまう。

 「いや、マジマジ。二人が町中で会っていたところを、生徒が目撃したって話があったんだよね。もしかしたら、ってことも」

 「いやいや、ありえないだろ。トラちゃん四十代だぞ。月海先生と歳離れ過ぎじゃないか?」

 二十ぐらい差があったはずだ。

 「いやー、分かんないぜ? 歳の差カップルなんて、いまどきザラだからな」

 篤字はにやにやと笑いながら言う。どうやら面白半分で言っているようだ。

 「お、噂をすれば」

 月海先生が時間通りに教室に入って来るところだった。

 表情が顔に出ていないのも、相変わらずだ。

 「では日直、号令を」

 そして先生はその表情のまま、ホームルームを始めた。



 いつものように授業はなされてゆき、時間が過ぎてゆく。

 講師している先生達の様子は、いつもと変わらなかった。

 できるだけ表に出さないようにしているのか、淡々と授業を進めていく。

 時間は瞬く間に過ぎ、放課後になっていた。

 教材を鞄に入れ、帰る支度をしていた頃、

 「藍上―、ちょっとー」

 クラスメイトの歳川(としかわ)が近くまで来た。

 「どうした?」

 「お呼びだそうだ」

 と言って扉の方を指す。

 「………」

 そこにいたのは、

 「お前紅野さんと知り合いだったの? すげえな。なぁ、今度紹介してくれよ」

 羨ましそうな顔で寄ってくる歳川を無視し、立ち上がる。

 「こんにちは、藍上くん。どう、元気にしてた?」

 近づくと、紅野はそんな風に挨拶してきた。

 そんな親しげな挨拶をされても反応に困るというか、昨日会ったばかりじゃないか、あんだけ思わせぶりなこと言っといて、昨日の今日で会うというのはあまりにも台無しじゃないか、という突っ込みが口から出かかったがぐっとこらえる。

 とりあえず今は、この場から移動することが先決だ。

 だってほら、クラスメートの困惑の視線がこっちにびしびし刺さって来るし。

 篤字なんて、この世の謎と出くわしたような顔をしたまま固まっている。

 「とりあえず、ちょっと来い」

 頭を押さえながら、紅野の服の袖を引っぱる。

 落ち着ける場所を探すとしよう。

 


 「そろそろ放してくれない? 服が伸びちゃうんだけど」

 学校を出て、歩くこと数分、小さな公園に着いた頃、紅野はそう言ってきた。

 服から手を放して、大きく息を吐き出す。

 「で、何の用だよ?」

 近くにあったベンチに座り、彼女を見上げる。

 「いえ、あれから何か分かったことがあったのかと思ってね」

 悪びれる様子もなく、紅野は聞いてきた。

 「何かって……、昨日会ったばかりじゃないか、そんなすぐに有力な手掛かりが見つかるわけないだろ」

 「本当に?」

 ずいっと、紅野はその綺麗な顔を近づけ、見つめてくる。

 「う……」

 反射的に引いてしまう。ふわりと髪から花のようないい香りがしたが、気にせず無視する。

 こうなったら、話を無理にでも変えてしまえ。

 「そ、そういえば今日、麻奈可の葬式があったんだけど。顔出さなかったよな、君」

 「あら、それは初耳ね。麻奈可さんの葬儀、今日会ったの。ふうん」

 なんで知らないんだよ、と一瞬責めそうになったが、葬儀の案内を出していたのは麻奈可の両親だ。彼らが紅野の事を知らなければ、案内を出すこともないか。

 「それより事件の話をしましょうよ。そっちの方が有意義よ」

 話をそらす作戦は一分と持たずに失敗した。

 「随分と、突っかかって来るな」

 「今日ね、あなたのことでふと思い出したんだけど、あなたのお姉さんって刑事さんなのよね? 捜査一課の」

 こいつ、いつの間にそんなことまで調べやがった。

 「ん、まぁ、そうだけど」

 「じゃあ今回の事件についても知っている?」

 「さ、さぁ、どうだろうな」とりあえず曖昧な返答をしておく。

 「事件について聞いたら、答えてくれるかしら?」

 「い、いや、それは無理だろ」

 一般人にそんなこと教えてくれるわけないし。

 「芸は道によって賢しってね、やっぱり専門的なことは詳しい人に聞くのが一番よね」

 「いやだから無理だって」

 少しは人の話聞けよ。

 「あなたの家って、確か近くだったわよね」

 「………」

 「思い立ったが吉日というのも私の好きな言葉でね。後で後でと回していたら、いつになっても問題は解決されないと思うの。今回もそうだと思わない?」

 ね、とさらに紅野は顔を近づける。

 彼女について、ひとつ新たに分かったことがある。

 それは興味のあったことに関しては遠慮がない、ということだ。

 「ま、いいけどね」

 肩を下ろす。諦めて連れて行くことにしよう。

 個性的な奴なんて、かなり見て来たし。今更だろう。



 紅野を連れて、アパートにある自分の部屋へと足を運ぶ。

 「へえ、あなたこんなところに住んでいるのね。しかも美人のお姉さんと一緒に。ね、聞きたいんだけど、どう? 美人の姉との二人っきりの生活は?」

 一般市民の生活が珍しいのか、紅野はあたりを見渡しながら聞いてくる。

 なんかこんな質問、以前もされたな。

 「別に。血のつながった家族に欲情するわけないだろ」

 「……そんな踏み切った質問、していないのだけど」

 家のドアに鍵を挿し、回す。

 「あれ」

 手ごたえが無い。

 「鍵が開いてる」

 「不用心ね、それともあなたの姉がもう帰っているとか?」

 「いや、それはないだろう。まだこんな時間には帰って来ない。ただの閉め忘れだよ」

 施錠と言う毎日行っている行為が、当たり前すぎて逆に忘れてしまう。

これって日常的によくあることじゃなかろうか。

 いや、この数日いろいろなことが起こりすぎて、疲れているのだろうか。

 ふう、と息をつく。

 「大丈夫?」

 紅野に横から顔を覗かれる。どうやら心配されるような顔色になっていたらしい。

 「ああ、問題ない」

 まだまだ。こんなところで弱気になっているところじゃない。

 「言っとくけど、部屋は掃除されてないからな、汚くても文句言うなよ」

 「ええ、どうぞ」

 いつものように靴を脱ぎ、居間への扉を開ける。

 この時、俺は完全に失念していた。

 開いている鍵。

 この時点で気付いておくべきだったのだ。

 家に姉が帰っていないのであれば、それは、もう一人の家族が帰っているのでは、と言うことに―――――


 「あ、お帰り。お兄ちゃん」


 ソファに横になって、お菓子をつまみながら、彼女は出迎えた。

「………」

 思考が停止する。体が固まったまま動かない。

 「あら? あなたは――――」

 後ろにいる紅野が顔を覗かせる。

 「あ、お客さん? 珍しいね、お兄ちゃんがそんな人呼ぶなんて」

 彼女は起き上がり、紅野の前に行き挨拶をした。

 ツインテールを揺らし、年相応な笑顔を向けながら。


 「はじめまして、藍上(あい)って言います。よろしくね」


 彼女の名は藍上愛。

 弱冠十六にして、藍上家両親殺害の容疑をかけられ、現在逃走中の全国指名手配犯とされている俺の妹である。



 さてここで、今更ではあるが俺の家族の紹介をしよう。

 俺には姉妹が二人いる。

 姉が一人、妹が一人。

 姉の名は藍上彩香。

 現在は刑事の仕事をしており、強行係、つまり殺人や強盗に関する事件に属している。

 何度も言うようだが、彼女はブラコン、弟に対してフェティシズムをもっているわけではない。むしろ、そのあたりの分別はしっかりとしている。

 ただ彼女は家族への愛が強く、かなりそれが過剰な傾向があり、結果としてああ見えてしまうだけである。

 しかし、職場ではかなり優秀な成績を出しており、若手の内でかなり期待をされている人物となっているようだ。

 家族への愛情が誰よりも強く、正義感のある立派で格好いい人間。

 それが俺の姉である。

 そしてもう一人。

 妹の名は藍上愛。

 こいつは姉とは対極に位置している。立場も、性格も。

 姉を情熱的な努力家タイプとするならば、妹は冷静で小悪魔的なタイプと言える。

 計算高く、誰よりも物事を見通し、あざ笑うかのように行動する。

 そんな彼女に告白して、いいように操られた男たちが何人いるのやら。そんな場面に遭遇することが、たびたび俺にはあった。そのたびに、我が妹ながら怖いなー、と思っていた。

 ……彼女が家出したのは、一年前。

 藍上家における殺人事件。

 夫・藍上刀野(とうや)と妻・藍上(けい)が実家で斬殺されていたのが発見される。

 犯行の際に用いられたのは、刃渡り十五センチ以上のものであり、包丁の可能性あり。なお、凶器は発見されていない。

 事件が起こった時間帯、次女の藍上愛が、家に帰宅している様子が発見されている。また、同時刻、長男の藍上桐射も、家に戻ってきている。

 事件が起こった後、藍上愛は行方不明となり、警察が捜索するも発見されなかった。当初、犯人に殺害、ないし誘拐されたものと考えられることになる。

 しかし後日、藍上愛によく似た人物がいたという目撃情報が、数多く見られる。

 そして、その目迎情報を境に、またもや行方不明となる。煙のように、出たり消えたりしているのだ、まさに神出鬼没である。

 最終的に捜索願が出され、顔写真も出されることとなった。だが、有益な情報は見つかっておらず、どこでなにをしているのか不明である。

 そして一年たった今、藍上愛は――――



 「それが、あなたのアパートでシャワーを浴びている、あの子なわけね」

 「そういうことだな」

 時刻は午後五時、紅野には居間のソファに座ってもらった。

テーブルに置いてあるコーヒーの湯気と香りが部屋を包む。

 あの後『汗かいちゃったからシャワー浴びるね』と妹は言い出し、気まま勝手に浴室を使うことになった。

 浴室から水の流れる音がする。

 「可愛い妹さんね。はたから見ればごく普通の女子高生にしか見えないわ」

 「ああ、そうだな。とても犯罪者には見えないだろ?」

 行方不明で現在捜索中と言うのが表向きの発表。

 実際は両親殺害の犯人として、警察に追われている、というのが本当の理由である。

 「確かに疑われるのは必然ね。事件の翌日行方不明で、後に生存が確認されている。そんなことになったら、なぜ逃げているのか、容疑は彼女に向かれる、と」

 妹の異常性、それはここにいるということ、それ自体がすでに異常なのである。

 警察と言う捜査のプロから、今なお逃げ続けるというのは、簡単なことではない。

 それも十六歳と言う年端も行かぬ少女が、だ。

 家出と言うのならまだしも、行方不明扱いを一年間。この司法国家日本で、何をすればそんなことができるのか、見当もつかない。

 「警察としては、顔写真を至る所にでも出して、全国に流したいんだろうけど、そうはいかないだろうな」

 「それって、警察組織の沽券と言うやつかしら?」

 そういうこと。

 二十歳にも満たぬ少女の指名手配など全国に広まれば、警察は女の子相手に何もつかめていない、という事実を暴露することになってしまう。

 流石にそれは避けたいのだろう。

 「そう言えば、紅野。君は俺の妹についてよく知っていたようだけど、どこから情報を得たんだ?」

このことは、問わずにはいられなかった。

妹のことは、一部の人物―――事件に関わった人たち―――にしか知られていない。ニュースでも上げられたことはないのだ。

「あなたの一件が起こった時、私も独力で調べてみたのよ。殺人事件なんて、近場ではそうそう起きるものじゃないからね、珍しいと思ったの。ま、下世話な好奇心と言うやつよ。

 それで、いろいろとおかしな点があったから、もしかしたらと思ったわけ」

 「じゃあ屋上のあの言葉は?」

 「ただの推察よ、半分出まかせ。ま、あの時のあなたの反応で、確信が持てたのだけど」

 なるほど。

 今度からこいつの意味ありげな言葉に対して、深く考えるのはよそう。

 紅野はふーふー、とコーヒーを冷ましながら、ちびちびと飲んでいく。どうやら猫舌のようだ。

 「それにしても藍上くん、本当にあなたは不思議な人ね」

 ことりとカップをテーブルに置き、俺の顔を見ながらつぶやく。

「優秀な刑事の姉に指名手配犯の妹、そんな二人を姉妹として持つあなたも、十分異常と言えるものなのに。でもあなたはあなたのまま。ただの一般人であり続けている。昔から、変わらないまま」

なんか昨日もそんなこと言ってたな、彼女。そんなに俺はおかしいのだろうか?

「なんだかその言い方だと、以前の俺を知っているような口ぶりだな」

前もって言っておくが、俺は彼女のことは麻奈可に聞くまでは知らなかった。こうやって話したこともなかったはずだ。

「知ってるわよ。あなた、有名人だったもの。うちのバスケ部のエースだったのでしょう?  一昨年の地区大会の話は、知るところでは伝説となってるわよ」

「……つまんないことで覚えられてるな」

地区大会の試合は、たまたま調子が良かっただけのことだ。それに、俺の姉妹が成した偉業に比べれば、こんなこと、月とスッポンである。

「姉さんのことだけど、きっと今日は遅くに帰ってくると思うぞ。ひょっとしたら九時すぎになるかもしれないから、また今度にしたらどうだ?」

 「問題ないわよ、私には」

 「問題なんだよ、俺には」

 女の子を、夜遅くにまで家に連れて来た。そんなの姉さんが見たら、刑事でなくとも通報ものである。不純異性交遊の容疑で即逮捕だ。

 「だいたい、君の家族がそんなこと許すわけないだろう。有名な人なんだろ?」

 「あの人はそんなこと、気にするような人じゃないわよ。私が二、三日家を離れても、何も言わなかったんだから」

 「え」

 いいのか、それ?

 親としてどうかと思うぞ。

 「藍上くん、そろそろこっちの事件の話についてしましょう。さっそくあなたに、一つ聞きたいのだけど」

 「………」

 父親の話はどうでもいいのか、紅野は話題の内容を切り替える。口調が、ひどく殺伐としたものに聞こえたのは気のせいだろうか。

 そして、紅野は一息ついて、


 「率直に言うわ、あなたはだれが麻奈可さんを殺したと思っているの?」

 

切り替える内容として、とんでもなくヘビーなものを出してきた。

 「………」

 場の空気が凍りつく。

 春から一気に冬になったみたいだ。

 流石にその発言は、受け止めるのに時間がかかった。

 互いに押し黙る。

 「………」

 ああくそ。

 甘く見ていた。見くびっていた。

 家に上げていたからか、ここが自分のスペースとして安心しきっていたからか、心の構えがすっかり解けていた。そのせいで、言葉に詰まってしまう。何を言えばいいのか分からなくなってしまう。

 落ち着け。

 落ち着け。

 ゆっくりと呼吸をする。

 「藍上くん、あなた――――」

 こちらが動揺しているのを見越してか、さらに質問を重ねる。

 「本当は誰が犯人なのか、分かっているんじゃない?」

 動揺するな。

 心臓を落ち着かせろ。

 この女は、俺のペースを乱して、口が滑ってしまうように揺さぶりをかけているだけだ。

 興味なさげに話せばいい。それだけだ。

 「……随分と」

 言葉を慎重に選ぶ。

 「随分と、突拍子もないことを言うね」

 「私は、昨日から今日までの間に、あなたが何か掴んだように見えるのだけど」

 正解。姉さんの資料を勝手に見ました。

 やけに鋭いな。

 「ひょっとして、麻奈可さんを殺したのは、あなたに近い人物じゃないかしら?」

 「……どうして、そう思う」

 「だって犯人が分かっていて、黙っているのだとしたら、それはその人物をかばう時ぐらいしかありえないじゃない? あなたの友達が殺されて、それでもかばう人物がいるとすれば、それは麻奈可さんと同じぐらい親しい人、と言うことになるわ」

 紅野は半眼で、こちらの様子をじっと見ている。

 「……千歩譲って、君の仮説が正しいとしても、いったいどれくらいいると思ってるんだ。俺はそんなに顔は広くはないが、それでも顔見知りなんてそれなりにいるよ。その人のなかに犯人を捜すなんて、君にできるのか?」

 「できるわよ」

 迷うことなく、即答する。

 「この事件は、朝早くに行われた。そして、殺害には特に計画性もなく、衝動的な犯行だったと言える。この二点から、犯人はその日に限らず、毎日早朝に学校に来る人物。

 ……そう、例えば毎朝部活の練習をしに来る学生、とかね」

 昨日から今日まで何かを掴んだのか、それとも元から薄々勘づいていたのか、自信を持って紅野は話を続ける。

 「どう、心当たり、あるかしら?」

 「……さあね」

 視線をカップに向ける。これ以上彼女と顔を合わせるのは、流石に無理だ。

 「………」

 沈黙が流れる。

 「もういいわ、この際はっきり言ってしまいましょう。

 私はね、藍上くん。麻奈可さんを殺したのは――――」


 「春宮さんでしょ? 紅野さんが疑ってるのは」


 後ろから声がした。振り返ってみると、藍上愛がひょっこりと、ソファに上半身を預けた妹の姿があった。



 濡れた髪をタオルで拭きながら、愛は冷蔵庫をあさる。

 「人が人を殺す理由ってさー、お兄ちゃんはなんだと思う?」

 振ってくる話題としては、物騒なことこの上ない内容だったが、話の流れを変えるには僥倖と見るべきか、一応真面目に考えてみる。

 「………」

 人が人を殺す理由、ね。

 一般的に人を殺したら、殺人罪に問われる。

 五年以上の懲役もしくは無期懲役または死刑。人ひとり殺すとこれである。

 こんなリスクを負ってまで、人を殺したいというのなら、それ以上の感情の爆発があるということだ。

 これは殺意といってもいい。

 そうやって考えると。

 「殺意が道徳を凌駕するから、かな」

 「お。お兄ちゃん、わりと考えて答えてるね」

 感心されてしまった、年下相手に。

 「ま、それが最も分かりやすい理由かな。生きている以上、誰かが誰かを憎むなんてこと、日常茶飯事だし。その中で、いままで培ってきた理性が一時の感情によって壊されるなんて、十二分にあり得るしね。ま、それが美談だっていう人もいるけどね。忠臣蔵とか。

 紅野さんは、どう思います?」

 冷蔵庫から紙パックのジュースを取りだし、妹は紅野に聞いてきた。

 「そうね……。全般的には藍上くんと同じだけど、同じ解答と言うのもつまらないわね。もっと他の面から考えてみましょう。例えば、その殺意はどこからやって来るのか、とか。その人物に対して愛憎がわくから殺意が出る。愛憎と殺意は地続きなものだと私は思うわ。そうやって考えると、こう答えたくなるわね。

 人は愛ゆえに人を殺すのだと」

 初対面の妹に、全く気後れすることなく紅野は答えた。その胆力は、見ていて感心するところがある。

 「でも人は、それ以外の理由でも人を殺さないか? ほら、金銭とか」

 「金銭ね。それはあくまで手段のひとつよ。お金と言うのは、それ単体では意味がないわ。交換できる商品と、それを求める受け手がいて初めて意味を持つ物よ。お金はその流通を円滑に進めるための道具でしかないわ。って、こんな経済の話してもしょうがないわね。

 要は、欲しいものへの欲望、言い換えるのならそれは愛と言っていいんじゃないかしら。それを手に入れるための方法がとして、殺人がある。遠回りだけど、金銭目的の犯罪も、十分に愛と言ってもいいでしょう。

 ……まあ最も、手段と目的が混合してしまう場合もあるのだけど」

 あれから。

 俺が紅野に問い詰められ、妹に助け船を出され(あの一言を助け舟としていいのか疑問だが)、閑話として、妹に振られた話を展開させている。

 「ふーん、紅野さんは人間の感情とか、意識に着目する人なんですか?」

 「ええ、人間と動物とをはっきりとわける境界線、私はそれが愛憎の有無だと思うの」

 「なるほど、人間しか持ちえない感覚,感傷。それが紅野さんにとって、最も興味のあることだと。随分とつかみどころのない、形而上なものを紅野さんは定義してますね」

 「あら、あなたはクオリア否定派?」

 「いやぁ、別にどっちかってこともないですよ。そういう紅野さん、ひょっとしてアドラーとか苦手?」

 「まあね。どうも馬があわないのよ彼とは」

 「私は好きですけどねー。シンプルで」

 なんだろうね、こいつら。わざと難しい言葉使って、頭良さげな会話にしたいだろうか。しかし、妹がこうやって喜んで話をしているところを見ると、まるで本物の姉妹のように思える。

 あ、そうだ姉妹と言えば。

 「愛。おまえそんなにのんびりしてて大丈夫なのか? 姉さん今日は遅くなるって言ってたが、お前の情報に関しちゃ敏感だからな。今頃帰りの支度してるのかもしれないぞ」

 「ああ、それなら大丈夫。お姉ちゃんは今日泊りだってさ。なんでも事件についての有力な情報が見つかったとのことで。たぶん後でメール来ると思うよ」

 「………」

 なんでお前がそんなこと知ってんだよ、などという突っ込みをぐっと胸でこらえる。

 こいつにとって、秘匿情報なんて、あって無きが如しなんだろうな。伊達に逃げ続けているわけではない。

 「あなたはどうなのかしら? 愛さん」

 「え、あたし?」

 「ええ、あなたはなぜ、人は人を殺すと思うの?」

 「やだなあ、そんなの決まってるじゃないですか」

 ジュースを啜りながら、口に出すのも野暮だと、そんなことを言いたそうにしながら、妹は答える。


 「人が人を殺すなんて、そんなのそいつがムカつくからに決まってるでしょ?」



 「では今一度、事件の話をしましょう」

 閑話休題として、紅野は声色を改めて俺に話しかける。

 「そろそろ警察も、事件についての概容をつかんでいるでしょうね。犯人が捕まるのも、時間の問題かもしれないわ。でもその前に――――」

 「その前に、自分たちで犯人を見つけ、殺した理由を知りたい、か?」

 言葉を先回りして、紅野の発言を遮る。

 「紅野。さっき妹に言われていたが、君が疑っているのは……春宮なのか?」

 「ええ、その通りよ」

 あっさりと紅野はうなずく。

 「朝早く学校に来ることがあるのは、部活の練習のため。それが部長だったら、なおさらのことでしょう?」

 「……あいつは俺の元後輩だから弁明させてもらうが、図書室と体育館なんて、全然場所が違うぞ。なんだってわざわざ春宮が図書室になんて行くんだ。なんていうか、あいつはそういうの、柄じゃないだろ」

 擁護するにしては、春宮の扱いが多少乱雑ではあるが、まあ仕方あるまい。

 「それに、春宮と麻奈可には、大した接点なんてない。殺すにしても、そんな理由はないだろう。そんなんで言ったら、朝早く来た連中は、みんな容疑者候補だろうが」

 「そうね。そんな理屈で言ったら、あなたの友人の篤字さんも候補に入るのかもしれないわね」

 紅野は表情を変えることなく、淡々とそんなことを言ってきた。

 「……さっきから言おうと思ってたが、君、俺に喧嘩でも売ってるのか? なんで俺の知り合いばっかりに集中するんだ」

 確かに。昨日見たリストの中には、春宮も

 「だってこの事件、あなたにも無関係じゃないから」

 「は?」

 予想していなかった台詞に、思わず声を上げる。

 なぜそこに俺が入るのか。誰かを傷付けた覚えは無いのだが。

 「さきほどあなたは、春宮さんと麻奈可さんの二人には、接点がないと言ったわね。確かに、接点がなければ、動機も生まれようがない。でも二人とも、あなたの友人、と言う接点はあるでしょう?」

 「………」

 確かに。それはそうだ。

思わず黙ってしまう。

 「……いや、でもありえないな。俺は確かに、二人にお互いの事を話した記憶はある。けれど二人は直接会ったことが無いんだ。春宮が麻奈可のことを、話だけ聞いていたとしても、動機にはならないんじゃないか?」

 「じゃあ、二人が最初に会ったのが、事件当日だとすれば?」

 「え」

 「当日にお互いに初対面の相手と会って、そこから話を発展させていく。ひょっとしたら、そこで『何か』があっても、おかしくないんじゃない?」

 「いや、何で起こるんだよ。初対面だぞ、初対面。どんな理由があって、そんなことになっていくんだよ」

 「だから、それがあなた、なのでしょう」

 ぴっと、指を指される。

 「俺……?」

 言われても、何のことかよく分からない。

 「……まあいいわ。まだ、気付かないのであれば。私の予想は置いといて、藍上くん。あなたはだれが犯人だと思っているの?」

 俺としては、まだまだ春宮の弁明をしたい所であった。だが、せっかく内容を変えるのであれば、話の流れを変えることができるかもしれないと思い、乗ることにする。

 「あー、俺は……誰かって言われても……」

 とは言っても、誰が犯人なのか。そんなことを聞かれて、すぱっと答えることができるほど、俺は雄弁ではない。結果、口ごもってしまう。

 「………」

 「あら、思い当たる人物はいない? ……ふうん、私はあなたが何か根拠でも見つけたと思ったのだけど、違ったのかしら」

 「………」

 「………」

 少しの間、沈黙が流れる。

 すると、いままで俺と紅野の会話に黙っていた妹が、口を開いた。

 「お兄ちゃんはさ、」

 「………」

 

 「お兄ちゃんは、篤字さんを疑ってるんでしょ?」

 

 「……!」

 「あら、そうなの?」

 「………」

 「お兄ちゃんって、本当表情が顔にでるよね。眉、すっごい力入ってるよ?」

 「私には、あまりそう見えないのだけど」

 「一応家族なので」

 えへへー、と愛は照れたように笑った。

 「……はぁ」

 一瞬妹の頭をはたきそうな衝動に駆られたが、自重する。ばれちまったものは、仕方がない。正直に白状するか。

 「ああ、確かに俺は篤字を疑ってるよ。

 さっきまで黙ってたけど、実は俺、昨日に姉さんの鞄から資料を見たんだよ」

 流石にこれ以上は隠しきれないと思い、自白する。

 「あらあらあら」

 「うわー……」

 なんか予想以上に引かれて、余計へこんだ。

 「あ、いや、確かに悪いことしたと思うよ? でもどうしても事件のことが知りたくてさ、ちょっとななめ読みした程度だぜ? 時間だってなかったし、要点さえ知れば、それでよかったし。別に何かを盗んだわけじゃないからな」

 二人の反応が効いたのか、なぜか言い訳がましい言葉遣いになってしまう。いや、実際にこれは言い訳か。

 「そこじゃないよ。女性の鞄を勝手に見るなんて、たとえ親族でも恥を知るべきだよ、お兄ちゃん」

 「そうね。乙女のプライバシーにべたべたと触るようじゃ、そんなのあなた、動物と変わらないわよ? いえ、それ以上の畜生かもしれないわね」

 あ、そっち?

 「別にいいだろ、鞄の中身ぐらい。姉さんの裸なんて俺はいくらでも見てるぞ?」

 風呂上がりのときとか。バスタオル一枚で、ぺたぺたと部屋中歩き回るし。

 「………」

 「………」

 あ、あれ? なんかさっき以上に引かれてない?

 もしかして墓穴掘った?

 「と、とにかく。俺は警察の資料を見たんだよ!」

 せきばらいをして、いったん間を置く。

 「……で、それでなにか有力な情報を見たの?」

 「ああ、まず一点目は、学校に来た人物についてだ。当日の朝、学校に来てた人物が載ってた。三十人以上はいたな。教師に事務員、生徒。

 確かに紅野の言ったとおり、春宮もそれに含まれてたよ。ついでに篤字もな」

 おそらく篤字も、春宮と共に朝練に付き合ったのだろう。

 「それに、そのことはお前も知ってるんじゃないのか? 紅野」

「なるほど。私もそのリストに載っていたわけね。でも残念ながら、私は何も見ていないわよ。その日の朝は、教室でずっと自習していたから。

ちなみに、証言してくれる人はいないわよ。事件が起きるまでは一人だったから」

自分にアリバイが無いことを、こんなに嬉しそうに話す奴は見たことがなかった。疑われることを楽しんでるようだ。

無視して話を進める。

「重要なのは、もう一点の方。俺は今日、あいつの鞄の中身をちらっと見たんだ」

あの時。

貸していたノートを出す際、あいつは鞄の中身を空けて出した。

「その時に見たんだ。その、うちの学校の、スカーフを」

「スカーフ?」

「ああ、警察の資料では、麻奈可の死因は絞殺となっている。しかも使われた凶器は、学校指定のスカーフだ。そして、その凶器は現場では発見されていない」

「つまり?」

「つまり、凶器は犯人が持ち去ったってことだ。で、男の篤字が女性用のスカーフを隠し持っていた。おかしいだろ? 普通に考えると。それで、理由を考えてみた」

「篤字くんが女性もののスカーフを持っていたのは、それが麻奈可さんを殺害した凶器だったから。そして所持しておきながら、処分について考慮しているところを、運悪くあなたに見られてしまったと。あなたはそう考えるわけね」

「………」

すんなりと頷くわけにはいかなかった。

疑ってはいるが、あいつと俺は高校入学からの友人だ。

安易に、容疑を掛ける相手ではない。

違ってほしいと、思う自分もいた。

そんな葛藤の中。ふと、篤字との出会いを思い出す。



『おまえさ、それ楽しいの?』

そんなことを言われたのは、一年前の春のことだ。

俺は中学と続いて、高校もバスケ部に入部した。

一年生は雑用が基本、という顧問の考えのもと、俺たちは掃除やボール拭きを主にやらされるはめになっていた。不満を漏らす者も多かったが、俺は特に気にしていなかった。

一年がまともにボールに触れられるのは、ほんの短い間。片付けをする前の約十分間のみである。

それでも、出来るだけのアピールはしておくか、と思い。フリースローラインからシュートをうつことにした。

1本。二本。三本。十本。二十本。

五十本目あたりから、だんだん数えるのが面倒くさくなってきた。

同じ一年や先輩は、おお、などと歓声をあげていたが、気にせず続ける。

そんな時、声をかけてきたのが篤字であった。

『おまえさ、それ楽しいの?』

そんな言葉をいきなり横から投げかけられ、手が止まる。

他の連中は、なんだあのバカ空気読め、みたいな顔をしていたが、篤字は顔色一つ変えていない。

『いや、楽しくないな』

正直に答える。驚いた。感情が分からないよう、できるだけ無表情でやっていたというのに。

『今の俺、そんなつまらない顔してたか?』

『いや、わかんねーわ、そこまでは。ただそんな様子に見えただけ。

でさ、つまんなかったら一緒にやらねーか? 二人で投げてもつまらないかもしれないけど、なんか違ってくるかもしれないぜ?』

そう笑って言いながら、篤字は横からボールを投げた。

すとん、とゴールに綺麗に入る。

『……そうだな』

苦笑しながら、彼の提案に乗ることにした。

それから、篤字とはたびたび話す間柄となっていった。

日々たった二言三言話すだけではあったが、俺には十分だった。

今考えると、どうやら俺はその頃、退屈していたんだと思う。

技術と技量を高めることのみが一番で、所詮他人は二の次。

他人はただ利用するだめだけの道具と同じ。競うものではない。

そんなことを考えながら、当時の俺はバスケに集中していた。

そりゃあ退屈もする。他人を見ようともしない生き方などすれば。

遅めの反抗期だったのかな、と嘲笑してしまう。

そういえば。

結局篤字との勝負の結果はどうなったんだっけ?

よく覚えてないことから察するに、きっと重要なのはそこじゃないんだろうなぁ、としみじみと思う。



「どうしたの。私何か面白いこと言った?」

紅野が聞こえることで、我に返る。

どうやら知らず知らずのうちに昔を懐かしんでいたようだ。

「あー、いや。ただの思い出し笑いだ。気にするな」

「……そう」

紅野はこれ以上追及しては来なかった。

「で、さっき話したあなたの篤字君に対する疑惑のことなのだけど」

ああ、その話ね。

やっぱり友達を疑うのは嫌だなあ、とぼんやり思いながら、話を先へと促す。

「確かに、彼が女性ものの品を所持しているのは少しおかしいわね、けれどそれで決めるのはいくらなんでも早計じゃないかしら?

例えば、そうね……女性の知人がスカーフを無くしてしまったから、そのために買っておいた、とか。スカーフならお店で買えるでしょう?」

「ま、それも最初は考えたがね、まず無いと言っていいだろ。警察は、そのへんの手回しはいいんだ。資料にも書かれていたよ、学校指定の販売店に聞いても、そういったものを買った奴はいないそうだ」

「そう」

それから少し紅野は考えて、

「じゃあ、なんで篤字君はスカーフなんて持ってたんでしょうね?」

と、そんなことを聞いてきた。

「いや、だからそれは。凶器として処分に困っていたから持っていた訳で」

「そっちじゃないわ」

話しが遮られる。

「それは事件の後の話。私が言ってるのは事件前の話よ。あなたの言う通り、彼が犯人だとするならば。そもそも、なぜ、篤字くんは女性もののスカーフを持っていたのか。そしてそれをなぜ、麻奈可さんの絞殺に使ったのか」

「いや、なぜって……」

それこそ、理由ならいくらでも考えられる。

「女性の犯行に見せたかったんじゃないか? 疑いの目を、自分からそらすために、あらかじめ前から買っておいたスカーフを」

言っておいて、はた、と黙る。

順序立てて考えていくと、違和感が生まれることに気付いた。

「ええ、ようやく分かったみたいね。疑惑をよそに向ける、なんて考えは、あらかじめ殺害を計画に立てておかなければ、思いつかない考え方よ。でも、今回の事件は違う。学校なんて、多くの人の目にとまる場所で犯行に及ぶとすれば、それは間違いなく衝動的な殺害よ。一応確認しておくけど、凶器のスカーフは、麻奈可さん自身の物じゃないのよね?」

「あ、いや、確かにそうだけど」

となると、どういうことになる?

篤字がスカーフを持っていた理由が、説明できなくなる。

くそ、なんだこりゃ。友達に対する容疑が、俺の舌の根も乾かぬうちに、矛盾が出てきたぞ。

がっかりにもほどがあるな、俺。

となると、俺が見たのは、事件とは全然関係ない、ただのスカーフということになるのか。

それとも、衝動的な犯行と言う前提が、間違っているのか。

「いいえ、どちらも間違いじゃないわ」

紅野は納得がいった、と言うような満足げな顔つきになり、こちらをみて笑った。

「納得のいく説明が、できるのか?」

「そうね。私の主張はさっきと変わらないわ。犯人は春宮さんよ。

付け加えるとすれば、彼女は主犯である、と言うことかしら」

「主犯? ということは、まさか……」

「ええ、共犯だったのよ。春宮さんと篤字くんは。

犯行の流れを簡単に説明すると、まず早朝、春宮さんは部活の練習をする前に、図書室で麻奈可さんと出会った。本人としては、少し会話する程度のつもりだったのでしょうね。

そして、意図せずに話は荒れ、麻奈可さんを殺害してしまう。自分の持っていたスカーフでね。でもその後に、我に返った彼女は、悩み、部活の先輩である篤字くんに相談。

彼は彼女のために、証拠の隠ぺいをすることに。スカーフもその一つなのでしょうね。で、それをあなたに見つかってしまった。

どう? この流れなら、つじつまが合うでしょう?」

「………」

流れは、筋が通っている。

だが、足りない部分もある。それを聞く前に、紅野は補足を加えた。

「篤字君が春宮さんに協力する理由、それはあなたが良く知っているんじゃない?」

「……ああ」

それは。

俺が一番よく知っている。


「篤字は、春宮のことが好きだからな」


 ええ、と彼女は頷き。


 「そして、春宮さんはあなたのことが好きなのでしょうね」


 「――っ」

 唇を噛んで、漏れそうになった声を抑える。強く噛み過ぎて、血が出てしまうのではないかと思うほど。

 今のは……、結構効いた。

 篤字の春宮に対する想いは知ってはいたが、春宮の気持ちに、こうして口に出されて聞くのは初めてだった。

 「その様子だと、うすうすあなたも気付いていたみたいね」

 「あー、うん。いや、結構驚いている。……しかしだな、誰が誰を好きでいようと、この事件とどんな関係があるって言うんだ」

 「それが、動機となるでしょう?」

 そんなことまで自分に言わせるな、と言いたそうな顔で、紅野はこちらを見る。

 「どういった経緯で、動機となっていくのかは、ここで言うのは野暮と言うものね。またの機会にしておきましょう」

 「また、ねぇ……」

 こんな会話が、あと最低一回は続くのか、とげっそりしてしまう。

 しかし、今の言動を聞くと思うのだが、

 「なんだ、紅野。君はこれ以上何かするつもりはないのか?」

 「何かって、何かしら?」

 きょとんとした顔で、聞き返してくる。

 「いや、犯人が分かったって言うなら、それを警察に言うとか」

 「まさか。そんなこと言う必要はないでしょう」肩をすくめて言う。

 「どうして?」

 「これはあくまで仮説よ。何か物的証拠が、私たちの手にあるわけじゃないし。そういうのを見つけるのは、警察の仕事でしょう?

 一説として警察に話すのはありかもしれないけれど、そんなことしたら、なぜ警察の情報が知れ渡っているのか、問題になってしまうわ」

 「ああ、確かに、それは」

 考えていなかったな。

 ひょっとして、この女は今姉さんを庇ったのだろうか?

 自慢になるだろうが、俺の姉は結構優秀だ。彼女の手にかかれば、ひょっとしたら、もう犯人が分かっているかもしれない。

 「それにいしても」壁にあるカレンダーを横目で見る。

 麻奈可の事件から、三日経っている。

 三日。たったそれだけしか経っていないのか。

 いつもであれば、瞬く間に過ぎていくだろう日々のはずなのに。なんだか数か月分の日数を過ごしたような気分だ。

 人ひとりの死で、こんなにも世界は変わっていくものなのか。

胸の中を、虚無感が走って行った。



 ともあれ、話はこれでいったん終わりだ。

 犯人も犯行も、おおざっぱではあるが、一応判明した。

 まだまだ疑問点はあるが、そんなのは警察に任せればいいだろう。

 それに、なんというか、こう。

 こんなこと言ってしまうと、何もかもが台無しなのだが、疲れた。

 時計を見ると、もう七時半だ。夕食の時間を過ぎている。

 「紅野。俺はこれから夕食を作るけど、どうする?」

 食べてくか? と顔を見ながら提案する。

 「そうね、せっかくだから、ごちそうになろうかしら」

 「あ、あたしピーマン抜きで」

 当然のように、愛が手を上げて主張してくる。

 「お前まだピーマン食べれないのか。いい加減、野菜ぐらい全部食えるようになっとけっての。姉さんみたいに大きくなれないぞ」

 ため息交じりで言うと、む、と愛は顔をしかめた。

 「いいよーだ、小さいままでも需要はあるもん。むしろそっちの方が希少価値あるから。ずっと若いままだって言われるかもね」

 「姉さんみたいに、胸が大きくならないぞ」

 「そ、それは……その……。い、いいよ、別に! 胸なんて大きくても、重そうなだけだし。小さいほうが、動きやすいし!」

 震える声で言い返してきた。こういう話題になると、こいつは年相応な反応を見せるんだよな。

 「ところでお兄ちゃん」

 日常でよく会話するようなトーンで、愛は言ってくる。

 「どうした?」


 「夕食後はさ、そろそろ事件の真相について、語った方がいいんじゃないかな?」


 なーんて爆弾を、投入してきた。

 「……はい?」

 ちょっと、意味が分からなかった。

 「………」

 それは、紅野も同じのようで、困惑の色があった。

 「あの、愛さん。私たちの話聞いていた? 事件の真相というのは、なんのことかしら?」

 はい? と愛の方も同じく困惑した顔を浮かべている。

 「真相っていうのは、文字通りの意味ですよ。……まさかとは思いますが、二人ともこれで話は終わりー、なんて考えていないよね?」

 心底不思議そうな声で、愛は言ってくる。

 「……じゃあ聞くけど、愛さん。あなたには、誰が犯人なのかもう分かっているの?」

 「はい」

 「私たちの話以外に、他にまだ重要な点が残っていると?」

 「はい」

 「……それは、いったい、」

 何なのか、と言う寸前で、紅野は口をつぐんだ。眉に手を当てて、考えている。

 「どうした、聞かないのか?」

 「いえ、やはりこういうのは、自分の力で解きたいと思ってね」

 少し楽しそうな声で、紅野は語る。さきほどの話程度では、まだまだ話し足りないと思ったのか。笑った顔には、素直な感情が見えていた。

 対して俺は、彼女がどう思おうが、そんなことを気にする余裕はなかった。

 愛の方に向き直る。

 「?」

 こいつは、事件についてまだ重要なことがあると言った。

 事件について、実際に目の当たりにした俺たちより、もっとよく知っていると。

 それは、間違いないのだろう。

 愛は、妹は……頭がいい。

 いや、頭がいいなんて言葉でまとめるのは、軽率だ。

 異質、異常と言ってもいい。そのことは、身内の俺が良く知っている。

 姉が数々をこなす新星ならば、妹は、ことごとくを見透かす怪物である。

 そんなこいつが、まだ不足している点があると言っているのだ。真実なのだろう。

 「愛、事件について、おまえ知ってること、分かったこと。全部話してくれ」

 それはつまり、事件のすべてを教えろと言うのと、同じ意味だった。

 「えー、お兄ちゃん。まだ分かってないの?」

 不満そうな顔で、妹は口を尖らす。

 「いいから教えろよ。犯人は誰なんだ? やっぱり春宮なのか? それとも他の誰かなのか? 犯行方法は? 動機は? 証拠はあるのか?」

 「あーもう。うるさいなぁ、お兄ちゃんは。うるさいから、教えてあげない」

 口調を荒げて矢継ぎ早に聞いたせいか、つーんと、妹は突っぱねる。

 子どもかお前は、と突っ込みたかったが、事実こいつは子供だった。

 さて、参ったな、怒らせちまった。

 こうなった愛は、結構頑固だ。真面目に聞いても、答えてはくれないだろう。

 「夕食、ピーマン抜いてやるから」

 「それ今私が言ったでしょ。そんなので、私が簡単に話すとでも?」

 駄目か。

 仕方がない、こうなったら最終手段を使ってしまおう。

 「愛」

 「なに」

 「冷蔵庫の奥に、()(づき)のケーキがある。それやるから、機嫌直してくれ」

 ぴくんと、妹の体が跳ねる。まるで猫のようだ。

 「し……、しかたない」

 例外を認めず女性は、甘味の魅力には逆らえないのか、愛は笑いながら振り返る。うん、呆れるほどにちょろい。

 「じゃあ、教えてくれるか? 事件について」

 「うーん……」

 愛はうなりながら、話そうとはしなかった。

 「どうした。まさかケーキだけじゃあ足りないっていうのか? よくばりなのはいいが、それ以上甘味をとると、太るぞお前」

 「いや、そうじゃなくってさ」

 うん、と愛は何か決心したように頷き、

 「それじゃあ、ヒントだけあげる」

 と言ってきた。

 「なんだそりゃ。俺が欲しいのは、解答であってヒントじゃないんだが」

 「まあ、そうなんだけどさ。

 さっき紅野さんが言っていた通り、この事件はお兄ちゃんにも無関係じゃないから。お兄ちゃん自身の手で、解くべきだと思う。いや、むしろこの事件は、

 お兄ちゃんにしか、解けないものだよ」

 真面目な顔で俺を見つめながら、愛は言ってきた。

 そんなこと言われても、俺にはさっぱりだった。だが、妹の雰囲気から、真剣に言っているのは間違いないみたいだ。

 「……分かった、じゃあ教えてくれ」

 ならばこちらも、真面目に聞かなければならないと思い、妹と向き合う。

 「うん、いいよ。

 お兄ちゃん、絞殺ってどれぐらい時間がかかるか知ってる?」

 そんなことを聞いてきた。

 「どのくらいって……数えたことはないな」やったこともないし。

 「うん。絞殺っていうのはこう、後ろから首をしめることで、頸動脈を圧迫し、脳の機能を停止させることを言うの。普通なら、一分と経たずして気絶しちゃうでしょうね。

 でも、気絶させるのと殺害するのは全然違う。脳に血が行かなくなって、気を失ったとしても、さらに首を絞め続ける必要がある。時間がかかるの。抵抗していたのなら、なおさらね。気絶の時より、倍の時間はかかるはずだよ」

 「ああ、それは聞いたことがある」

 脳はデリケートな器官であり、酸素や栄養が届かないとすぐに機能停止となってしまう。絞殺と言うのはつまるところ、いかにうまく脳の血液の供給を、ストップさせるかにかかっているのだ。だがこれは、そうそう簡単にできることではない。相手だって抵抗するだろうし。

 「ええと、要は何が言いたいんだ?」

 「絞殺には、それなりの殺意が必要ってこと。一時の気の迷いだけで、絞殺にまで持ってくるのは、難しいと思わない?」

 「それは、まあ、確かに」

 となると、どういうことになる?

 犯人は、殺意をもって犯行に及んだ、ということになるのか。

 「おいおい、それじゃあ前提が変わっちまうぜ」

 犯人は衝動的に殺害を行ったんじゃあないのか?

 だから、学校なんて人目の付くところが現場になったんじゃ?

 「うん、それは本当だね。じゃあ、こう考えたら? 殺すつもりだった、けど学校が現場になるのは、犯人にとっても予想外の出来事だった、とか」

 「え」

 「たまたま犯人にとって、チャンスとなる状況が、学校で起こった。だから、それを利用した。つまり、偶然を計画の内に入れたのよ」

 「……それは、考えてなかったな」

ううむと唸りながら、どこかおかしな点が無いか、妹の言葉を頭の中で反復する。

 もし妹の言ったことが正しいのなら、どこからが偶然で、どこからが計画なのか、考えてみる。

 犯行時刻が早朝であることを、計画に入れるのは、まあ可能だろう。麻奈可は毎朝、図書室を利用する。このことを知っていれば、利用することはできるはずだ。

 では、俺が事件を目撃したことも、計画に入れることはできたのか。これも可能だ。俺も麻奈可ほど几帳面ではないが、ほぼ毎日図書室に顔を出す。

 犯行現場のことはいったん保留にする。

では、犯行方法。警察の調べによると、頭を殴打した後、首を絞められている。気絶させた後に絞殺でとどめ、というふうに考えれば、これも計画の内に入れることが……いや、待て。

「おかしいぞ」

「ん?」

「愛。お前さっき言ったよな。抵抗していれば、絞殺はさらに時間がかかるって」

「うん。言ったね」

「だったら状況が変わって来るぞ。警察の調べだと、麻奈可は首を絞められる前に、殴打されているんだ。気絶状態の相手なら、抵抗することもできないぞ。無抵抗なら、絞殺にかかる時間は大してかからないんじゃあないか?」

それならば、大した殺意が無くとも、犯行はできるのでは。やっぱり犯行は、衝動的な、無計画なものだった、ということに戻る。シビアな話だが。

「本当にそうなのかな?」

「どういうことだよ」

「本当に麻奈可さんは、抵抗できなかったのかな?」

「頭打っちゃあ、まともに抵抗なんてできるわけないだろ」

気絶はしなくとも、短時間は頭が朦朧としているはずだ。

「じゃあ頭の傷と、絞殺は関係あるのかな?」

愛は、ぼんやりとそんなことを言ってきた。

「なあ、愛。お前は結局なにが」

言いたいのか、と続く言葉を吐こうとしたとき、愛に手で制される。

「悪いけど、ヒントはここまでだよ」

「は?」

声を上げてしまう。

「ここから先は、自分で考えてね。何度も繰り返すようだけど、この事件は、お兄ちゃんが自分自身の手で解決するべきだよ。……それがきっと、みんなのためになるから」

最後の言葉には、どこか言霊を込めたように聞こえた。

「さ、ご飯食べよ? いろいろ話したせいで、私お腹減っちゃった」

愛は台所に向かう。手伝ってくれるのはありがたいが、まだ俺は満足していなかった。

「待ってくれ、愛。……じゃあ一つだけ、せめてあともう一つだけ教えてくれないか。それで、最後にするから」

手を合わせて、極めて真摯な態度で頭を下げる。

「……もう、しかたないな。じゃあ、あとひとつだけ、忠告をしておこっか」

俺の態度か、自分自身の甘さに呆れているのか、ため息をついて言ってくる。

愛はこちらを向く。

「いい? お兄ちゃん。もし本当のことを突き止めようというのなら、できるだけ急いだ方がいいかな。さもないと、


明日の内に、お兄ちゃんの後輩、死んじゃうよ?」


にこりと、無邪気に笑いながら、そんなことを言ってきた。


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