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デッドエンドは許されない  作者: danpan01
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ハッピーエンドは続かない

 第1話 ハッピーエンドは続かない



 「お兄ちゃん」

 声が聞こえた。妹の声だ。

 その慣れ親しんだ声は、なぜだかとても艶っぽく思えた。

 声の主は上から、そのことで自分が仰向けで倒れていることに気付く。

 「お兄ちゃん」

 妹がもう一度俺を呼ぶ。俺を覗く妹の顔が見える。

 その表情から感情は読み取れず、何を思っているのか分からない。

 「………」

 何か言おうと口を開く。

 だけど、言葉が見つからない。

 「お兄ちゃん」

 妹の手がゆっくりと自分の顔に近づき、優しくなでる。

 すべての神経がその触れている手に集中される。

 あたり一面に漂う血の臭いも。

 動かすことができない両手両足も。

 馬乗りになっている妹のことも。

 そして、すぐそばに横たわっている××のことも。

 この時には全く気にならなかった。

 妹の手が自分の顔から首へ、胴体へと降りてゆく。

 「お兄ちゃん」

 妹のもう一方の手が持っているナイフがきらりと光った。

 そして、そのナイフが自分の体へと近づいてゆき―――



 俺は目を覚ました。

 「……はあ」

 ため息をつきながら、ゆっくりと体を起こす。

 夢か。

 なんて夢見るんだ、俺は。

 朝っぱらから不快極まりない気分になってしまった。

 目覚まし時計を目の前に持ってくる。

 時計の針は七時を指していた。

 「……起きるか」

 もう一眠りするには時間がないし、それに寝たらあの悪夢がつづきから再開されそうだ。

 ふと、夢と言えば、明晰夢という夢が存在することを思い出した。これは、夢の内容を自由にコントロールすることができるらしい。俺にもできないものだろうか。そうすれば、あの悪夢も見ずに済みそうだ。

 なんて、そんなことを考えながら俺は布団から体を起こし、カーテンを開ける。そして、太陽の日差しで目を覚まさせ、居間へと向かった。



 朝のニュースを見ながら、朝食のトーストを一口かじる。

 ニュースではちょうど、昨日起きた殺人事件が報道されていた。

 「……これは、また」

 なんというタイミング。

 朝起きて早々、こんなとんでもないものを見るはめになるとは。運命というものは存在するのかも。

 ニュースでは、家内で中年の男性が、首を絞められて殺害されていたとか。昨日の夜中にその男性の知人が家に訪れた際、死体は発見され、警察に通報。今その第一発見者に事情を聴いているそうだ。

 そして新たな発見として、被害者の男性と同棲している恋人が、現在行方不明であり、警察はその女性の行方を追っているそうだ。

 まあその女性が一番疑わしいかな、と思いながらトーストをもう一口かじる。

 朝食をとり終えると、学校への支度を済ませ、玄関へと向かう。

 はたと、そこで立ち止まり、振り返る。

 「…………」

 静かだ。

 家には誰もいない。けれども。

 行ってらっしゃい、と言ってくれる人はいないけれど。

 それでもやはり、言わなければ。

 きっと一日は始まらない。


 「じゃあ行ってきます」


 かくして俺の、藍上桐射(あいがみきりや)の一日が始まった。



 学校へ着いた頃には、時刻は八時を回ってはいなかった。ホームルームが始まるにはまだ早い時間だ。

 俺は教室へとは足を運ばず、いつものように図書室に向かった。

 図書室は学校の一階の奥、渡り廊下を通じて設置されている。

静かではあるが、本の品揃えがあまり良いとは言えなく、部屋全体が狭く、薄汚れている。要は環境がよろしくない。そのため、学生の出入りは少ないのだ。

 図書室の中へと入り、あたりを見る。

 案の定、図書室には全然人がおらず、一人だけテーブルに座っていた。

 奥のテーブルの手前。

そこで彼女はひっそりと座って本を読んでいた。

俺は当たり前のように彼女の反対側に座る。

「あ、桐射君。おはよ」

彼女はかけている眼鏡をくいっとあげ、にっこりと笑顔で挨拶をした。

「ああ、おはよう麻奈可(まなか)。あいかわらず難しそうな本読んでるな。」

愛崎(あいざき)麻奈可。

クラスは違うが、俺の親友であり、この図書室での一番の話し相手である。

「何読んでんの?」

 「ミステリーだよ、父と三人の兄弟との物語。父親の死を巡って裁判が行われるの」

 「面白いのか? それ」

 「うん、なかなか」

 「ふうん、それって海外の小説だよな。俺はどうにも苦手なんだよな、外国の本は」

 「なんで?」

 「だってさ、外国の人の名前とかわかりにくくないか?アレクサンドロスだとかチャイコフスキーだとかさ、どうも舌かみそうな名前が多いんだよな。そんな人物が何人も出てくるんだぜ? 覚えるのがなかなか面倒なんだよ」

 「それは向こうの人だって同じだよ。日本の言葉はけっこう特殊だからね。発音することが難しい言葉だって存在するんだよ」

 「そうやって考えると、よく異国の人々と交流する気になったな、人類って。俺には絶対無理だね」

 「それはただ単に桐射君が面倒くさがりなだけだよ」

 「はは、確かに」

 俺と麻奈可はこうしてよく朝の授業前、図書室で雑談をする。俺とってこれが日々の日課のようになっているのだ。

 彼女と話すようになったのは高校二年。

 とある出来事が、俺の身に起こったあの夏の日。

 いや、俺の身というよりは俺の家族に、か。

 「そういえば兄弟で思い出したんだけど、桐射君って確かお姉さんいたよね?」

 「ん、ああ、そうだけど」

 「いくつだっけ?」

 「二十四。立派な社会人だよ。……女性に年齢聞くのって失礼じゃない?」

 「わたしは女性だからいいの」

 そういうものか。

 「確か、職業は刑事さん……だっけ?」

 「そう、刑事部捜査一課」

「考えてみると凄いよね、そんな若さで刑事やれるって。しかも捜査一課って殺人とかでしょ? なにかミステリーな事件とか聞いたことない?」

 「生憎と、そういう事件に関する詳細は一般人には知らされないようにしてるからな。聞いたことないな」

 「そっか、そりゃそうだよね。以前さ、お姉さんとスーパーで買い物をしているところで出会ったことあるんだけど、すごい美人だったよね。スタイルもいいし」

 「まあな。弟の俺でさえ美人だとは思うけど」

 「桐射君ってお姉さんと同じアパートで暮らしてるんでしょ? 間違いとか犯してないよねぇ?」

 麻奈可は本を口元に寄せながら、からかうような笑顔で聞いてきた。

 「してないよ、そんなこと。そもそも姉さんはあまり家に帰ってこないから。仕事忙しいみたいだし」

 「ふふ、そっか」

 俺の両親はすでに亡くなっているため、現在の保護者は姉さんであり、学費や生活費は彼女の支給でまかなわれている。

 本当、姉さんには頭が上がらない。

 しかし、姉さんの話が出てくると―――。

 どうしても、もう一人の家族のことが頭に思い浮かばれる。

 「お姉さんと言えばさ、確か桐射君、妹もいたよね」

 「………」

 不意打ちをくらったように、心臓がどきりとする。

 ああもう、今日見た夢といい、どうしてこう悪いタイミングでその話が持ち上がるのか。

「一年ぐらい前だっけ? 桐射君、可愛らしい女学生と一緒に歩いてるの見かけたけど、あの子が妹さん?」

 「……ああ、そうだな」

 「いいねえ、美人の姉と可愛い妹との板ばさみってかんじ?」

 「……」

 「そういえばさ、桐射君のお姉さんとは最近会ったけど、妹さんは見かけないよね。妹さんって今なにして――――」

 「麻奈可、その、一つ聞きたいんだが」

 「え?」

 麻奈可が持っている本を指さし、無理矢理にでも話をそらそうとする。

 「麻奈可が読んでるその本ってさ、著者にとって何番目の作品なんだ?」

 「ん、ああこれ? 確か最後の作品だったような気がするけど……」

 「いや、俺ってさ、小説のような文芸作品は一番最初の作品が一番輝いているように思えるんだよな。なんていうかさ、初々しいっていうか、瑞々(みずみず)しいっていうか」

 「……」

 麻奈可は自分の本を黙って見つめた。いくらなんでもわざとらし過ぎたか。もっと他に話の導き方があるだろ、俺。

 「ふうん、そっか。まあこの人の最初の作品もけっこう有名なんだよ。確かここにもあったはずだけど……」

 麻奈可はそう言いながら席を立ち、本棚へと進んでいき、指で本を確認していた。どうやら、お目当ての本を探しているようだ。気を遣わせてしまったか。

 「あー、別にいいって、探さなくても。特別その本が読みたいってわけでもないし」

 「そう?」

 麻奈可は探索の手を止め、おとなしく元の席に着いた。

 俺の発言に合わせてくれたのか、それとも本当に気になったのか。どちらにせよ、こいつがいいやつであることには変わりないな、うん。

 すると、麻奈可はなぜだかクスリと悪戯っぽく微笑みながらこっちを見ていた。

 「? どうした」

 「べっつにー、ただ桐射君は、経験を積んだ熟練者の物より不器用な初めての物の方が好みなんだなー、って思ったの。それだけ」

 「……なんだその言い方、なんかやらしいぞ。何も知らないやつが聞いたら完全に誤解を生むな。それ」

 「まあ処女作って言っちゃってるからね。最初の作品は」

 「み、身も蓋もねー……」

 まあ実際に俺が処女作の本が好きということは事実ではあるが、これは声を大にして言うことでもないな。

 「ほかにもあるよね、こういう言葉。処女航海とか処女地とか」

 どうやらこの話、まだ続けるみたいだ。

 「たしか『処』っていうことばには、家に居るっていう意味があるんだっけ?」

 「お、よく知っているね、桐射君。さては昔買ったばかりの辞書でそういう言葉調べた口でしょ?」

 「………」

 この女、なぜそれを? しかも何故辞書だとわかる? いやぁ、あのころも俺は若かったなぁ……

 「破廉恥」

 「誰が破廉恥だ。だいたい、俺みたいな年頃の人間はな、みんなそういうのに興味津々なんだよ」

 たぶん、きっと、おそらく。

 「あーあ、やだやだ。なーんで男はみんな処女が好きなのかなぁ? この処女厨め」

 「人を捕まえてそんなこと言うな。というかだな、年ごろの若い娘が処女処女連発するんじゃ―――」

 「あの、すいません」

 「うわ」

 と、そこでいつの間にいたのか。俺の背後から声がした。

 驚いて振り返ると、そこには一人の少女がいた。

「――――」

 この時。

一瞬ではあるが、俺は馬鹿みたいに惚けていただろう。

 腰にまで届く長く、美しい黒髪。身長はそこまで高くはない。顔立ちは整っており、可愛いというよりは清楚で可憐なイメージ。

 いや、目を奪われていたのはその綺麗な立ち振る舞いではなく。

 彼女が醸し出す雰囲気。

 漠然とその少女を見ていると、どこか寂しい場所に咲く花のようだな、とそんなことを思った。

 「……あ」

 はっと、正気に戻る。

 はて、こんな美少女、うちの学校にいたか?

 彼女が来ている制服は、間違いなくここの学校の物であるのだが……。

 「これ」

 彼女は手に取っている本をすっと麻奈可へと差し出した。

 「返却しに来たのですけど」

 どうやら借りていた本を返却しに来たようだ。麻奈可はいつも朝一で図書室にいる。それは長い間本を読む、という理由もあるが、そもそも彼女は図書委員の委員長であるからだ。

 「あ、はい。いつもご利用してくれてありがとうございます」

 麻奈可は本を受け取り、手元に置く。

 「また本を借りたくなったらいつでも言ってくださいね」

 麻奈可は笑顔でそう言いながら頭を下げた。

 「ええ、ぜひそうさせてもらうわ」

 彼女もまた見惚れるような笑顔で返し、図書室を去って行く。

 「あ、そうそう」

 すると彼女は思い出したかのように振り返り、こちらを、俺を見た。

 「……?」

 「連載物にも味はあると思うわよ、特に後半が。だんだん登場人物に愛着が持ててくるし、その人物の心情がわかるようになってくるから」

 そして彼女は図書室から姿を消した。

 「………」

 ……どうやら聞かれていたようだ。

 「なんなんだ、今の?」

 訳がわからなくて、本音をつぶやく。

 「え、ちょっと桐射君。それ冗談で言ってるの? だとしたら笑えないよ」

 麻奈可はかなり、いやとても驚いた表情でこっちを見た。

 「え、有名人なの?」

 「三年A組の紅野萌美(こうのもえみ)さん。私と同じクラス。桐射君とはクラスは違うけど、いくらなんでも名前ぐらいは知っているでしょ?」

 「人の名前を覚えるのは苦手でね、自分のクラスの奴らだって半分は覚えていない」

 「いや、それ胸張って言うことじゃないから。桐射君ひょっとして外国人の名前じゃなくて人の名前を覚えること自体が苦手なんじゃないの……?」

 麻奈可はそう呆れ顔をしながらため息をつく。

 「うちのクラスで紅野さんのことを知らない人はいないよ。確か名のある家系の生まれでね、成績はいつも上位をキープしていて、運動神経も抜群でいくつかスポーツの大会で優勝したことがあるそうだよ。部活はしてないのにね。あ、でもね、全然嫌味ったらしい感じはしないんだよ。性格も柔和で皆から好かれやすい。成績優秀眉目秀麗という言葉はまさしく彼女のための言葉だとしても過言じゃないね。高嶺の花、とも言うんだろうね」

 「……なんだそのパーフェクト超人。本当に人間か?」

 いるとこにはいるんだな、そういう人。

 「桐射君、紅野さんにちょっと見惚れていたでしょ?」

 「……む」

 どちらかと言えば、あの独特な雰囲気に感じるものがあったのだが。

否定はできないな。見惚れていたのは事実だし。

 「いつもありがとうって言ってたけど、よくここには通うのか?」

 「うん。桐射くんが来るときの前によく本を借りたりするんだよね。ミステリー小説が好みらしくてさ、江戸川乱歩とか。あ、でも恋愛小説も読んでたかなー」

 なるほどね。ひょっとしたら、これからよく顔を合わせることになるかもしれないな。

 「っと、そろそろホームルームの時間だね」

 麻奈可は読んでいた本を閉じ眼鏡を外し、席を立った。

 「……前から聞こうと思ってたんだけどさ、なんで本読むときだけ眼鏡をかけるんだ?」

 「ああこれ? ほら、眼鏡かけるとさ、けっこう集中できるんだよね。かけなくても別に日常生活に支障はきたさないし。眼鏡は勉強とか読書とか、集中したいときにかけたいの」

 「ふうん、スイッチのオンオフみたいなものか」

 「変?」

 「近くの物が見えないために、老眼鏡をかけるばあちゃんみたい」

 「ひどっ!」

 「冗談。悪くないよ。眼鏡かけた姿もはずした姿も、似合ってる」

 そう言って俺も席を立つ。

 「じゃ、授業がんばれよ」

 「………」麻奈可は顔をうつむいて黙っている。

 「ん? どうした?」

 「あ、い、いや、なんでもない。桐射くんも授業がんばって」



 ホームルームまであと十分前、自分のクラスである三年A組に行くため、二階と三階の階段を渡ろうとしたところ

 「あ、せんぱーーーーーい!!!」

 廊下に響き渡るほどの大声で少女が猛ダッシュでこっちに向かってきた。

 「………」

 さて、どうしよう。

 あれは関わると絶対時間を無駄にするタイプだ。

 無視して進んじまうか?

 いや、無理だな。あれは無視しても追いかけてくる、そうしたら無視した理由を聞かれることになり、より時間を浪費してしまう。

 その少女は急ブレーキをかけ、ぴたりと俺の目の前で止まった。

 「おはようございます先輩! 不肖この春宮晴子(とうぐうせいこ)、ただいまバスケの朝練を終え、たっぷりと青春の汗をかいてまいりました! そして只今、先輩を発見、並びに挨拶をかわそうとする次第であります!」

 春宮は姿勢をまっすぐにして、びしっと敬礼をした。

 「………」

 朝っぱらからのハイテンションぶりに黙らざるをえなくなってしまった。

 「あれ、どうしたんですか先輩? 朝から元気ないですね。朝ごはんちゃんと食べました?歯磨きました? 顔洗いました? 宿題しました? あ、宿題してないのは私でしたね!」

 あっはっは、とマシンガントークをかましながら、カラカラ笑う春宮。

 春宮晴子。二年の女子学生で俺のことをよく先輩と呼ぶ。ショートヘアのさっぱりした髪型、いつも着ているジャージと、腕に付けているリストバンドの姿はまさにスポーツ少女。確かバスケ部のスタメンで、ポイントゲッターの役割を担っているはずだ。

 「……おはよう、春宮。いつにも増して元気そうだな、おまえ」

 「んー、まだまだって感じですよ? そう、私の一日はこれから始まるのですから!さあ、私と会話し、好感度をMAXまであげましょう! そしてそのまま私とのエンド一直線! 約束の木の下で私を待ちながら」

 「じゃあな」

 背を向け、階段を上ろうとする。

 「ちょ、ちょっとまってください! もうちょっと会話しましょうよ!」

 「なんだよ、もうすぐホームルーム始まっちまうぞ。用件があるのなら手短にな」

 「うう、ショックです。かわいい後輩とのピロートークを楽しもうという魂胆がまるで見えません……」

 んー、と春宮は指を顎に当てている。どうやら今考えているようだ。

 「あ、そうだ。先輩はもう三年生なんですよね。高校卒業したらどうするんですか?」

 唐突だな、将来のことを聞いてくるか。ピロートークになるのか、これ?

 「卒業? ……そうだな、大学に行こうとは考えているが、正直迷っている。だからといって就職しようにもこの世代は厳しいからな」

 「ほほう、大学行くことになにか憚る理由でも? あ、まさかこの間のテスト真っ赤っ赤……」

 「おまえと一緒にするな」

 びし、と頭にチョップをくれてやる。

 春宮はぺろりと舌をだした。

 「大学行くにも金かかるだろ? 姉さんにあまり負担を増やしたくないんだよ」

 「姉さん? ああ、そういえば先輩はお姉さんが保護者でしたね。いやー、顔合わせたことあるんですけど美人さんですね、先輩のお姉さん。あ、まさか同じ屋根の下で禁断の愛を育んでたり……」

 「してねえっての。全く、なんでさっきと同じ会話を繰り返さなきゃならんのだ」

 「おや、さっきということは、誰か私の前に話したんですか?」

 「ん、ああ、麻奈可とな、図書室でちょっと」

 「麻奈可、さんとですか?」

 春宮は顔をどこかに向け、ふうむと神妙な顔つきで考えこんでいた。そういえば、こいつは麻奈可のことが少し苦手だったんだ。

 「そういえばさ春宮、おまえ三年の紅野萌美って知ってるか?」話題を別の方向に切り替えることにする。

 「紅野、萌美? ああ、知ってます知ってます。超完璧星人さんですよね」

 「そんな名前なのか、おまえのクラスでは……」

 やっぱり有名らしいな、彼女。

 「どうしたんですか? そんなこと聞いて。……ま、まさか先輩。彼女のこと狙ってるんですか? 止めといた方がいいですって! 紅野さんすっごくモテるんですよ? 告られた回数は星の数、振った回数も星の数とか言われているそうですし。第一、あの人は先輩には不釣り合いですって!」

 「おまえさらっと失礼なこと言うね」

 「あ、いやその違うんすよ。別にそういう意味で言ったわけではなくて、逆ですよ逆。先輩の方が輝いて見えるって意味ですよ」

 「いらんフォローしなくてもいいぞ」

 さて、こんな会話続けてもしょうがない。端末から時間を確認する。

 「じゃ、そろそろホームルームの時間だから、俺は教室に行ってくるわ。おまえも早く教室に行ったほうがいいぞ」

 「おっと、もうそんな時間ですか? 楽しい時間というのは早く過ぎてしまうものなのですねぇ……ソクラテス先生」

 うん、まだ五分もたってないけどな。あと、それを言うならアインシュタインだ。

 「じゃあ先輩、お達者で! 次に会うときは敵同士ですね、私たち!」

 そう言うと春宮は廊下をダッシュで駆けていく。あ、そうだ。もう一つ言いたいことがあったな。

 「おーい、春宮。最後に一つ言っておきたいけど」

 と、遠くにいる春宮を呼び止める。はいー? と春宮は止まって首をこちらに向けた。

 「なんですかー?」

 「先輩と呼ぶのはやめろ。おれはもうバスケ部員じゃない」

 「………」

 すると春宮は、複雑な顔をしながら、えへへと笑い、そしてそのまま何も言い返さず、教室へと姿を消した。



 ホームルームにはぎりぎりで間に合った。俺が通うクラスである三年C組の教室には、すでにほとんどの生徒が席についている。俺は自分の席に座り、鞄を下す。

 「おう藍上、遅い到着だな。なんだ、また図書室で愛崎と駄弁(だべ)っていたのか?」

 そういいながら、一人の図体のでかい生徒が俺の元へと近づいてきた。クラスメイトの篤字亮(とくじあきら)だ。

 「いや、タチの悪いバスケ部員に捕まってな。足止め喰らっちまったんだ」

 「ああ、ハルのことね。まあ、あいつの無駄に高いテンションは、真面目に相手にしていると疲れるからな、でもそこがなかなか可愛いじゃねえか」

 篤字は男子バスケ部員であり、女子バスケ部の春宮とは同じバスケ仲間として面識がある。同じ体育館を使うものとして、男子バスケ部と女子バスケ部は友好的な関係を築いているのだ。ちなみにハルというのは春宮の愛称である。

 それにしても。

 「可愛いか、あれが?」

 「可愛いだろ、あの無邪気さが。あの天然の笑顔はなかなか見ていて飽きないぞ。全く、奴にバスケを指導した先輩として何も愛情を抱かねえのかよ、お前は」

 「俺はもうバスケ部じゃないからな」

 「そりゃそうだけどよ、あいつ今でもお前のこと先輩って呼ぶだろ? 尊敬してんだよ、お前のこと」

 「尊敬ねえ……」

 そうは見えないけどな。あの態度、馬鹿にしてるようにしか思えん。

 「っと、時間か。じゃ、藍上、また後でな」

 クラスの担任である月見(つくみ)先生が教室へと入って来たところで、篤字は自分の席へと戻って行った。

 「はい、おはようございます、みなさん。それじゃあ朝のホームルーム始めますね。日直、号令を」

 日直が号令を呼びかけ、起立と礼を済ませた後は、月見先生が出席確認をし、今日の抱負を述べていた。

 「もう四月も後半ですね、みなさんはそろそろ春休み気分が取れたかと思われます。いつまでも二年生の気分でいてはいけませんよ。みなさんはもう受験生なのだという自覚をもって、一日一日を有意義に過ごしてくださいね」

 ……よし。

 先生の言葉に触発される訳ではないけれど、今日は真面目にノートを取ろう、と思った。



 で、真面目に授業を受けていたものの、四時間目の世界史の時点でそろそろ集中力が切れてきた。だから、授業の内容を吟味することから、ただ黒板の内容をノートに書き写すことだけに意識を持っていく。

 しかし、そうなるといささか手持ち無沙汰だ。だからどうでもいいことばかりが頭の片隅に走っていく。

 例えば、今歴史を学んでいるけどこんなのなんか意味あんのかー、とか。

 人間ってこう、なんで奪い合うことばかりに執着しているのかー、とか。

 じゃあひょっとして人類は絶滅するまでずっとこの調子なのかー、だったら嫌だなあ、とか思っていた。

 「………」

 いかんいかん、思考があさっての方向に飛んでった。人類の行く末なんて俺が考えてもしょうがないし。俺が生きてる間は人類絶滅なんてまずないだろ。だぶん。

 と、改めて授業を聞こうと前を向くと、終了のチャイムが響いた。



 放課後、七時間目の授業を終え、帰りのホームルームで、気をつけて帰ってくださいね、と月見先生が言い、俺が帰りの支度を済ませようとしていたところ

 「なあ、藍上。ちょっといいか?」

 篤字が俺の前に立ちふさがった、いつになく真面目な表情で。

 「どうした?」

 「藍上、今日の五時間目の授業はなんだった?」

 「英語だろ?」

 「そう、英語だ。俺たちは外国の言葉を習っていた。しかし何故だと思う?」

 「何故って?」

 「なぜわざわざ海外の言葉を勉強しなければならないのだ?俺は別に留学するわけでもないのに」

 「三教科の一つだからな」

 「おまけに五時間目は何時だと思う? 一時から二時だぞ、一日の中で最も暖かくなる時間帯だ、春が気持ちのいい風を運んできやがった」

 「ぽかぽかしてたな」

 「昼食を取った後で、俺の消化器官は活発に動いていた、つまり俺が言いたいのはだな」

 「明日返せよ」

 そう言って鞄から英語のノートを差し出す。

 「おう、ありがとな。さすが親友、頼りになるぜ」

 「ノート取るの忘れたなら忘れたっていえよ……」

 回りくどい奴だな。

 「あ、そうそう。俺これからバスケの練習で体育館に行くんだが、どうだ、お前も来るか? 一試合ぐらいまざってもいいぞ」

 「パス、俺はこれから夕食の準備があるんで」

 「そうか、残念だ」

 篤字と別れを告げ、俺は教室を出ていった。



一階の下駄箱へ向かおうとしていたところ、

 「あ、桐射君」

 「お」

 ばったり麻奈可と遭遇した。

 「ん、桐射君これから帰るところ?」

 「おう、そっちは?」

 「私はまだ図書委員としての仕事があるから、もうちょっと残る」

 「大変だな、あまり人も来てないってのに」

 「そんなことないよ、私は本と一緒にいるのが好きだから」

 「そうか、じゃあまた明日、学校でな」

 「うん。……あ、そうだ、桐射君」

 帰ろうとしていたところ、麻奈可に呼び止められる。

 「どうした?」

 「その、えっとね……」

 麻奈可は少し困ったように目を伏せながら言葉に詰まらせていた。

 「………」

 らしくないな、麻奈可はもっと落ち着いた奴なのだが。

 「桐射君はさ、明日も図書室にくる?」

 「ん? いつも行ってるだろ?」

 「そう、だけどさ」

 「……まあ明日も行くけど、時間はいつも通りでいいのか?」

 「あ、いや別に時間は関係ないんだ」

 「分かった、じゃあまた明日な」

 「うん、さようなら」

 麻奈可と別れ、学校を出て行った。時刻は午後四時半。よし、スーパーにでも行って、夕食の準備でもするか。



 買い物を済ませ、自宅のアパートへと到着。鍵を開け、玄関を上がろうとしたところで、

 「ただい」

 「おっかえりー! おっとうっとくーーーーーん!!!」

 ものすごい速度で俺の体は抱き着かれた。

 目の前が体で覆いかぶされる。真っ暗で目の前が見えないが、このみずみずしくも弾力性のある豊満な女性の感触は、間違いなく、

 「……ただいま、姉さん」

 「あーもう、弟くんったらどこ行ってたの? 学校? ならばよろしい! ちゃんと授業受けてきた?学校でいじめられてたりしない? もしそうだったらすぐに姉さんに言いなさい! 国家権力を総動員していじめたやつを徹底的に処分するから! 友達できてる? 百人できた? 少なかったとしても百人分大切にしなさい! 弟くんに大切にされてるってことはそれだけで世界で一番幸福なんだから! いや、ひょっとして彼女できた? で、でで、できたのならお姉さんに紹介しなさい! 弟くんに相応しくなかったら即潰すから! っていうか何気にこうやって会うの久しぶりじゃない? もう姉さんは寂しくて寂しくて死んじゃいそうだったんだよ?」

 ……その、なんていうか。

 この口早に話しかけてくる人物が俺の姉、藍上彩香(さやか)である。

身長は女性にしては高めで、俺と同じぐらいですらりとした体型、だが、胸のサイズは若干多め。髪をひとまとめに縛っているその見た目は、凛々しさをよりいっそう増している。傍目から見れば『格好いい女性』という言葉が最もふさわしい。ふさわしいのだが……

 「たった三日だけど。会わなかったのは」

 「三日? それはつまり体感時間では三年ということね! 三年ぶり! 弟くん! 元気してた? 身長とか伸びた? あれよ、男子三日会わざれば、括目してみよってね! だからもっと触らせて確かめさせて! ねえねえ!」

 「………」

 まあ、この通り。

 その実、とんでもないブラコンなのである。

 いや、ブラコンというのは違うな、家族愛が凄まじい姉というべきだろう。

 「あー、そろそろ離れてくれないかな? 姉さん。俺はこれから夕食の準備するんだけど」

 「ああ、そっか、ごめんごめん。うん、まあたっぷり弟成分を補充できたから良しとしましょう!」

 と言って姉さんはやっとホールドを解除してくれた。てか弟成分ってなんだよ。俺は無意識のうちに、そんな得体のしれない未知の物質でも生み出してるのか? なにそれこわい。

 「姉さんも今帰って来たところ? スーツ姿だけど」

 「うん、二十分前ぐらいに。やっと一仕事終わったところでさ」

 「そっか、お疲れ様。すぐに夕食つくるからさ、待ってて」

 「了解であります!」

 びしっと、姉さんは俺に敬礼をした。それは春宮が朝にしたものとは違った、しっかりと筋の通った敬礼だった。さすが現職警察官名だけはあるな、と思った。



 姉さんと共にテレビを見ながら、夕食を箸でつつき、二人で一緒にテレビの内容に一喜一憂していた。その中で、

 「そういえば弟くんはさ、これからどうするの?」

 前振りもなく姉さんはそんなことを聞いてきた。

 「え、これから? えっと、食べ終わったら食器洗って、風呂入って、そんでもって部屋で本でも読むつもりだけど」

 「そうじゃなくて、進路の話よ。大学に行くとしても、どの大学に行くのかも聞いてないじゃん」

 「あー……」

 その話か。前々から、いつか来るだろうかとは考えてはいたが。

「いきなりなんでそんなこと聞くの?」

 「いや、いきなりじゃないでしょ。弟くんもう高三でしょ? だったらそろそろこの先の未来のこととか聞かなきゃ。姉さん一応保護者だし」

 「あー……、その、なんだ。まだ、考え中?」

 「いや、方針だけでもないのかな? せめてどの大学に行くか、とか」

 「いや、大学は、その」

 「言っておくけど、私に負担をかけたくないから大学に行かない、みたいな理由は却下ね、これでも大学に行かせる余裕ぐらいは、あるから」

 「………」

 ちゃっかり見抜かれてたか。

 「そもそも弟くんってば遠慮しすぎ、もっと、こう、どーんと姉さんを頼ってもいいのよ?」

 「まあそうはいってもさ、ほら、親しき仲にも礼儀ありというか、遠慮をすべき、というべきか」

 「なに言っちゃってんの」

 姉さんは、そのもとから大きい胸を、より大きく膨らませて、

 「家族なんでしょ? 頼って当然だよ」

 そんな、当たり前のことを言った。

 「……はは」

 苦笑してしまう。こう堂々と恥ずかしげもなく発言する姿を見ると、本当俺の姉はかっこいいなあ、と感心してしまう。

 「あ、そうだ。家族と言えば、さっき姉さん、帰りに出たばかりの新作ゲーム買ったんだけどさ、後で一緒にやろう?」

 「あ、うん、まあいいけど」

 ……この破天荒な性格を除けば、だけど。



 風呂を上がり終え、自分の部屋のベットで横になり、ふぅ、と一息つく。

 「………」

 風呂上りの脱力感が心地いい。このまま寝てしまいそうだ。

 仰向けに寝返りをうちながら、手に持っている本を開く。

 麻奈可が以前貸してくれた本。もうそろそろ読破できそうだ。

 本を読みながら、ぼんやりと物思いにふける。眠る前の一番気に入っている時間だ。

 「それにしても」

 将来のこと、か。考えてはいた。

高校初めのころは、そんなこと考えてもいなかった。ただバスケに集中できてれば、それでいいと。

 でも、あるきっかけで部活を辞めて、こうやって自分自身と向き合う時間が出来てきたからか、いろいろと考えさせられる。

 「……はあ」

 まあ、うだうだ悩んだって仕方あるまい。とりあえず今日のところは寝て、明日の授業のことを考えよう。確か明日は体育があったはず。

 寝巻きに着替えなければ、と本にしおりをはさみ、ベッドの上に置いたとき、なにか柔らかなものに触れた。

 「………」

 体を起こし、掛布団を見る。

 良く見れば、なぜか不自然にふくらみがある。

 そういえば、さっきからなんかいい匂いがしていたな。なんというか、こう、石鹸の匂いが。

 掛布団をめくる。するとそこには、

 「……やっほー」

 姉がいた。風呂上がりのパジャマ姿で。

 「……なにしてんの?」

 「一緒に寝ようぜ」

 ベッドから転がり落とす。

 「あうう、何すんのよう、可愛い姉の頼みが聞けないっていうの?」

 「そういうのは、年下の人物がやる行為だ!」

 本当突拍子もねぇな、家の姉は。

 っていうか、なぜ気付かなかった俺。すぐそばにいて。

 「ええー、いいじゃん、減るものじゃないし、家族ならこの程度のスキンシップ、どこでもやってるよ?」

 「おい、でたらめをいうな。そんなこと最近やったゲームのシチュエーションでしか見たことがない!」

 ちなみに、そのようなゲームのたぐいをやっているのは、俺ではなく姉さんのほうである。俺はやっていない、断じて。

 「姉さんだって人肌が恋しかったのよ? ここのところ、仕事ばっかりでいまいち安眠できなくてさー、弟くんと一緒に寝ればぐっすり眠れるかなと思ったわけよ」

 姉さんは上目づかいにこちらを見ながら「……駄目?」と言ってきた。

 「……はあ」とため息をつく。

 全く、こんなふうに見られたら、弟ととはいえ、どきりとこないはずがない。

 「わかったよ、それで姉さんがゆっくり休めるというなら。今日だけは一緒に寝ていいよ」

 「お、本当? おっしゃー!!! やったぜ!」

 姉さんは立ち上がり、笑顔でこの人ほんとに疲れてるのか? と思うぐらいのガッツポーズをしていた。

 「ささ、そうと決まったら、ほら寝よう? 今寝よう? すぐ寝よう!」

 「待て、まだ明日の準備が残っているし、髪も乾かしていない。もうちょっと落ち着いて待ったらどう? 姉さん。そんな興奮してたら眠れないぞ」

 「お、そうね、こういうときこそクールになるべきよね。よーし、落ち着け―、私。落ち着かなきゃ上手くいくものも失敗するぞー」

 なにをする気だ? この人。

 明日の準備が終わって、一緒のベットで寝たところ、姉さんは何をするでもなく早々に眠りについた。どうやら疲れていたのは本当らしい。

 時計の針を見ると、時刻は十二時を回っていた。

 天井を見ながら明日の、厳密には今日のことを考える。

どのような日々であれ、それが自分のためになるような、穏やかな一日になりますように、そんなふうに思いながら俺は瞼を閉じた。


 朝親友と話し、元後輩と会い、昼に友人と学び、夕方に姉と過ごす。

 こうして、藍上桐射の何のことはない、騒がしくも平凡な一日は終わった。

 そうして、藍上桐射の日常は、終わりを告げた。


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