第九十八話 羽虫
1
「沖田はん・・いつまでそうしてはるんどすえ?」
輪違屋(わちがいや)の遊女、天神の羽虫(はねむし)が沖田に声をかける。
床入り部屋に入ってから、沖田は部屋の隅で手を頭の後ろに組んで目を瞑ったままだ。
今夜は、近藤が伊東一派をもてなそうと隊士を連れて角屋に繰り出している。
いつもは、ほかの隊士が遊女を買っても沖田は先に帰るのだが・・今夜は違った。
ミツを振ったせいで沖田のホモ説が本格的になってしまい・・うっとおしいことになっている。
男色家と噂のある武田がやけに話しかけてくるし・・隊士たちの中でもソノケのある連中が色めき立っている。
キモチ悪いので・・噂を消そうと遊女を買うことにしたのだ。
羽虫は沖田より2つ3つ年上の、しっとりした美人である。
性格はサバサバした姉御肌で、そこが沖田の気に入った。
「朝までそうしてはるおつもりどすか?」
羽虫はそっと立ち上がると、沖田のそばに近寄った。
沖田のすぐそばにゆったり座ると、羽虫が沖田の手を取る。
その手を強く握り返して、沖田が言った。
「ダメだよ・・姐さん」
むっくり身体を起こす。
「オレぁ、病持ちだ・・労咳(ろうがい)さ。姐さんを抱いたら、感染(うつ)しちまう」
廓の中の睦言は外に一切漏れないので、ありのまま話した。
「かまへん」
羽虫がニッコリ笑う。
「瘡(かさ)もらって、鼻欠けなんぞになっておっ死ぬよりか・・胸の病で死んだ方がよっぽどキレイやわ」
羽虫が沖田の胸に身を寄せる。
香を焚きしめた緋無垢の着物に着替えていた。
「太夫の姉さんたちは土方はんを取り合ってるけんど・・禿(かむろ)上がりの妹は、沖田はんに憧れとるコが多いんどすえ」
禿は遊女見習いの童女である。
「なんでか・・新選組の組長はん方は、ええ男揃いやもんね」
耳元でクスクス笑う羽虫の甘やかな声を聞きながら、沖田は片手の拳を握りしめた。
2
「・・この部屋に入ってから何時(なんとき)経った?」
沖田が小声でつぶやく。
羽虫が顔を上げる。
「もう・・一時(いっとき/2時間)にもなるんとちゃいます?
「・・じゃあ、そろそろいい頃だな」
沖田は立ち上がった。
「オレぁ、もう帰る」
羽虫はキョトンとしている。
「てんごゆうとるん?」
沖田は羽虫に笑いかける。
「いや・・また来るぜ、姐さん。あばよ」
そう言って床入り部屋を後にした。
羽虫がポカンとした顔で見送っている。
角屋を後にして屯所への帰り道、沖田は立ち止まる。
気温が下がり、吐く息は白い。
頭を冷やすにはちょうど良い。
あのまま・・床入り部屋にいたら、おそらく抑えられなかったろう。
危なく手が勝手に動くところだった。
あやうく・・羽虫の帯を力任せに解いて、その上にのしかかるところだった。
羽虫の柔らかい体の重みと、甘い香りがよみがえる。
「あっぶねぇ・・」
ひとりつぶやく。
3
部屋に戻ると、フテたようにあおむけに寝転がる。
自信が無くなって来た。
「オンナと寝ない」と決めていたが・・思ったよりもシンドイかもしれない。
近藤や土方や、原田や永倉や藤堂は・・オトコの性を解放して遊びまくってる分、サッパリしたものだ。
欲望を抑え込んでいる沖田のように、ジレンマに陥ることは無い。
「このまんまじゃ・・ノーミソ腐っちまうな」
額に手をあてる。
これではまるで、思春期の中学生である。
井上がしていた鬼の話も気になっている・・。
沖田はムクリと起き上がった。
竹刀を持って廊下に出る。
なんだか・・頭がゴチャゴチャしてきたので、素振りでもして精神統一しようと思った。
すると、庭先に薫と環が立っているのを見つけて足を止める。
こんな夜中に何をしているのか?
「ほら、やっぱり雪降ってるよー」
薫の声だ。
「ホントだぁ、初雪だね。どうりで寒いと思った」
環は、はしゃいだ声を出している。
沖田が手を差し出すと・・冷たい雪の結晶が触れては消える。
「京の冬って、寒いって聞いたことある」
薫が言うと、環が頷く。
「うん、底冷えするって言うよね」
冷たい夜の空気に2人の息だけ白く見えた。
なにやら小声で楽しそうに話をしている。
それを見ていると、沖田の気持ちも和んでくる。
色里の遊女は沖田を悩ませるが・・薫と環は癒すらしい。
柱に寄りかかってしばらく2人を見ていたが、素振りはせずに部屋に戻ることにした。