第九十五話 峰打ち
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「沖田さんに言ってもムダだしさ・・」
薫が環に言った。
「沖田さん、"相談される"ってノリじゃないもん」
沖田の素っ気ない態度に、環が少しフクれているのだ。
「そりゃ・・そうだけど」
「チカンとかじゃなくてさ・・ただ間違っただけなのかもしれないし。あんま神経質にならない方がいいよ」
薫が環の肩に手を置く。
「うん・・」
だが、その後2人は湯あみの時に竹刀をそばに置くようになった。
数日は何事も無く過ごした。
2人が湯あみする時間帯は、隊士たちは訓練に出ている。
雨の日には炊事場に続く土間が稽古場になるので、時間をズラして湯あみする。
その日はいつも通り炊事場で洗髪の用意をしていた。
すると・・戸口をガタガタ開けようとする人影がある。
2人は慌てて竹刀を手に取るが、恐怖で身体が固まっている。
声を上げず、息を殺して戸口をみつめる。
すると、戸の向こうでガチッと剣が交わる音がした。
「おいっ、なにすんだ!いきなり」
どこかで聞いた声だ。
2人は慌てて、つっかえ棒を外し戸を開ける。
そこに・・・井上と沖田の姿があった。
沖田が斬りつけている剣を、井上が腰の鞘から2/3抜き身の刀身で受けている。
峰打ちだ。
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「大助・・おめぇがノゾキ魔だったのかよー」
沖田が低い声でつぶやく。
2人の剣は交わったままだ。
「はぁー!?誰がノゾキ魔だ!?フザケんじゃねーよ!」
井上が声を高くする。
「同心のくせに・・モロ現行犯じゃねーか」
沖田は相変わらず低い口調で続ける。
「誰が現行犯だぁ?ドアホゥ!剣下ろせって」
沖田がゆっくり剣を鞘に納める。
井上も抜き身の刀を鞘に戻す。
「おめぇ・・このガキ共のトリガラみてぇな身体、わざわざノゾキに来たのかよ?」
沖田が親指を立てて2人を指した。
この詰問に井上はモチロン、薫と環も眉を吊り上げる。
「まっさか・・オレぁ、コイツらと話したくて来ただけだっつーの」
井上が乱れた襟元を正す。
「ハナシぃ?何のハナシだよ?湯あみの時ねらって来たんじゃねーのか?このド助平野郎」
沖田が腕組みする。
「誰がド助平だっ!知らなかったんだよ、湯あみしてるなんざ・・なんで炊事場で」
井上は本気で怒り始めている。
「あの・・ひょっとして、この前も来ました?」
環が訊くと、井上が頷く。
「あ?ああ・・4日前にな。鍵かかってたから、そのまんま帰った」
(アンタだったんかぁー!)
薫と環は心の中で叫んだ。
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「悪かったよ、驚かせて」
井上がしぶしぶ謝った。
「いえ・・」
薫と環はホッとしている。
屯所内に変態が生息していたのでは無い事が分かって安堵した。
「ったく・・門の警備はナニやってんだ、こんな変態やすやす入れやがって」
沖田がぶつぶつ言っている。
「誰が変態だ・・」
井上はいつも顔パスで門を通って来ている。
「ったく・・余計な汗かいちまったぜ」
井上はブツブツ小言を言った後、2人の方に向き直った。
「おい。今日はあの、シンって野郎はいねぇのかい?」
シンは稽古に参加している。
「い・・いません、稽古に出てます」
薫が答える。
「そっか・・仕方ねぇな」
井上が息をつく。
「アイツが気にかけてた赤鬼のことで、ちょっと話しがあったんだが」
「え?」
環が反応する。
「赤鬼のこと?」
「ああ・・まぁ、いねぇならいい。また来らぁ」
井上はボリボリ頭を掻いて、踵を返す。
「邪魔したな」
「大助・・おめぇ、まだ」
沖田が言いかけると、井上が振り返った。
「・・鬼がまた、現れてたらしいぜ」
井上は、沖田にだけ聞こえるよう小声でつぶやく。
沖田が目を見開いた。