第九十四話 湯あみ
1
「伊東のヤツには気をつけろよ」
永倉が薫と環に言った。
「えー?伊東さん、親切ですよー」
薫が明るく言うと、環も頷く。
永倉と原田が眉をひそめる。
パチとじゃれていた斎藤が手を止めた。
藤堂は黙ったままだ。
打ち合わせの後、見廻りに行く前の4人が炊事場に寄っている。
「なんだよ、それ?」
永倉がムッツリ訊くと、薫と環は顔を見合わせる。
「この前・・伊東さんからお団子もらっちゃって」
「うん、その前は大福ねー」
「お饅頭も!」
薫と環がニコニコしているのを、オトコたちが冷たい目で見る。
「チッ・・食いモンで懐柔されてんのかよ。どんだけ安いんだよ、おめーら」
永倉が吐き捨てる。
「お菓子のことだけじゃないですよ」
環がムッと反論する。
「伊東さん、水汲みとかも手伝ってくれたりするんです。優しいですよー」
伊東はオトコ特有の照れを全く持ち合わせていないので、好意の示し方がストレートなのだ。
こうゆうタイプは、他のオトコの敵でしかない。
「あーっそ。んじゃ、勝手にしな」
永倉が言い放つ。
「そうそう。寝起き係に任命されて、朝勃ち状態で手籠めにされちまえ」
原田がサイテーの暴言を吐く。
「けっ、くだらねぇ」
斎藤が小声でつぶやく。
「・・・」
藤堂は溜息をついた。
2
「伊東さんってひょっとして、永倉さんたちと仲悪いのかな?」
薫がつぶやく。
仲が悪いのではなく、一方的に敵視されているだけなのだ。
炊事場で2人は髪を洗っている。
気温が低くなってきたので、夏場のように水で洗うのはキビシイ。
お湯を沸かして、身体と髪を洗う。
炊事場の戸につっかえ棒を立てて鍵をかっている。
湯屋にはちょくちょく行けないので、1日1回炊事場で身体を洗ったり洗髪をしている。
「環・・髪伸びたねー。また切ったげる」
「うん」
環の髪は薫が切っているのだ。
「でも・・寒くなって来たから髪乾くまで時間かかるね」
「ドライヤー無いって地獄だよ」
「あのさ・・伊東さんって、サンナンさんと少し似てない?優しくて穏やかで」
薫が訊くと、環も頷いた。
「わたしもそう思った。どっちもサラサラしてるもんねー」
実際・・山南と伊東はジャンルがややカブっている。
年齢も近くて、どちらも北辰一刀流を修めた同士だ。
(ただし山南は小野派一刀流の免許皆伝、伊東は北辰一刀流の免許皆伝である)
温厚で教養深い文人の顔も持ち合わせ、どちらも人望厚い。
決定的な違いは・・山南は異常なほど空気に敏感で、伊東は異常なほど鈍感だった。
すると突然、炊事場の戸を開けようとする音が聞こえた。
ガタッ、ガタッ、ガタッとしつこく繰り返す。
この時間はいつも薫と環が使っているので、隊士たちは近づかない。
「っ・・・」
薫と環は裸のまま身動きせず、恐怖にひきつった顔で戸の方をジッと見ている。
すると突然、音が止んだ。
誰かが立ち去る足音がする。
ホォーッと息をつくと、2人は慌てて脱いだ着物を手に取る。
せっかく身体を流したばかりなのに、変な汗をかいてしまった。
「い、今の・・誰だったの?」
「さぁ・・」
3
手早く着替えた2人が恐る恐る戸を開けるが・・誰もいない。
環が息をつく。
すると、門の方から沖田が歩いて来た。
「沖田さん!」
環の声で、沖田が顔を上げる。
「よぉ・・どしたよ?ヘンな顔して」
「い・・いま誰か、そっちに歩いて行きませんでしたか?」
「いや・・誰もいなかったけどな。なんだよ、いったい?」
沖田が怪訝そうに首を傾げる。
「い、いま湯あみしてたら・・誰かが戸口を開けようと」
環が上ずった声で説明する。
「あ?」
沖田が眉をひそめる。
「・・オレぁ、ノゾいてねーぞ」
「誰も沖田さんがノゾいたなんて言ってません!」
環が声を高くする。
「・・ふぅ~ん・・・あんたらをノゾキねぇ?」
沖田がそらっトボけたような顔をする。
「いないんじゃない?そんなモノズキな人」
アッサリ言い切った。
「わ、分かんないじゃないですか!こんだけ沢山いれば・・中に1人や2人や3人や4人・・変態がいたっておかしくないです!」
環が顔を赤くする。
「・・ずいぶん多いなぁー、変態が」
沖田がシレーッとつぶやく。
「い、いえ・・あの」
環が言いよどむ。
「今まで、こんなことって無かったから・・ちょっと怖くて」
「・・・」
沖田は黙っていたが、つまらなそうに息をつく。
「・・もう行くぜ。んな、しょうもねぇ話につきあってらんねぇよ」
そう言ってスタスタと玄関に向かった。