第九十三話 遅刻
1
「アンタたちに体術を教えてやってくれって、総司ちゃんから頼まれちゃったわ~」
朝飯の後片付けが終わると、ゴローが言い出した。
「え?」
薫と環がキョトンとしている。
「た、体術?」
「そうよ~、竹刀を使わない素手の格闘技」
「ど、どうして?」
「さぁ?」
薫と環は顔を見合わせる。
沖田が体調を崩してから、2人は自分たちだけで稽古していた。
以前はちょくちょく顔を見せていたシンも、忙しくなって姿を見せなくなっている。
回復してからも沖田は炊事場に姿を現さない。
「剣を使う上でも体術は効果的よ~。人間の最期の武器はこのカ・ラ・ダなんだから」
ゴローが腰に両手をあてる。
「カラダ・・」
「実戦でも体術は必要不可欠だし!」
「実戦・・」
自分たちはいったいいつから戦闘集団の一員になったのか・・。
部活気分で剣道の練習をしていた薫と環は、なにやら不安になっている。
シンが「このままじゃヤバイ」と言っていたのを思い出す。
「これから毎日、アタシとレンとシュウが交代で教えるからさ~」
ゴローはけっこう楽しそうにしている。
「シゴくわよ~、2人とも覚悟なさ~い」
「・・・」
こうして2人は体術の訓練を受けることになった。
薫はふと考える。
そういえば・・あれ以来、沖田と言葉を交わしていない。
(もしかして・・避けられてんのかな?)
2
伊東一派が加わって、良くも悪くも隊の緊張感は高まった。
特に、手練れの集団である幹部は闘争本能に火が付いている。
服部や篠原などの練習風景を見ていると、イヤでも気になる。
「・・良い腕だ」
斎藤がつぶやく。
服部の武芸精妙に感心している顔つきだ。
「ああ・・」
槍使いの原田は篠原の練習を見ている。
(そのうち・・白黒つけてやる)
土方は、意外な効果に驚いている。
(ふん、案外・・悪くもねぇかもな)
隊の緊張感が高まるのは、土方も望むところだ。
もうひとつ意外だったのは、伊東である。
最初はとうてい新選組には合わないだろうと思っていたが、伊東は思った以上に有能だった。
文武両道に秀でてるだけではなく、自ら動く積極性と決断力を持ち合わせていた。
まぁ・・志を果たすためにわざわざ道場主の座を捨てて上洛するくらいだから、優男の外見に合わず中身は骨太なのかもしれない。
しかも物腰柔らかく、上にも下にも変わらない態度で接するので平隊士にもウケが良い。
ただ、潔癖症だけは相変わらずで・・時々、土方を閉口させた。
『髪形がキマらない』
『門の前にネズミの死骸があった』
『替えの着物が乾いていない』
などの理由で伊東が遅刻するので、怒り狂う土方を山南やほかの組長がなだめるということが何度かあった。
「・・ったく、硬派なんだか軟派なんだか分かんねぇなぁ」
朝の会議で土方がイライラとつぶやく。
「まぁまぁ、土方副長。もう少し待ちましょう」
隣りに座っている山南がおっとりなだめる。
今日も伊東が遅刻している。
廊下を早足で歩く足音がして、スラリと障子が開いた。
「いや、すまない。遅れてしまった」
伊東が現れた。
3
「今日はどうしたんです?伊東さん」
土方がムッツリと重役出勤の理由を訊く。
「いやぁ・・昨日の夜なんだか寝汗をかいてしまって、湯屋に寄ってきたんだ。すまない」
「あ?」
土方の髪の毛がフワリと逆立った。
("湯あみで遅刻"って・・どこのお大名なんだ、てめーはぁっ!!)
土方の肩がフルフル震えているが、当の伊東は全く気付いていない。
あるイミ、大物である。
「い、伊東さんもいらっしゃったし・・さ、本題に入りましょう」
不穏な空気を消すように、山南がムリに仕切る。
するとまた、空気を読まない伊東がおもむろに手を上げた。
「?な、なんですの?伊東さん」
山南が怪訝な顔をする。
「いや・・総長と副長に相談があって」
伊東がにこやかに続ける。
「なんだかいつも遅刻してしまって申し訳ない。できれば朝起こしに来てくれる者がいると助かるのだが・・」
「では、小姓でもつけますか?」
山南が訊くと、伊東が首を振った。
「いや、小姓など僕には分不相応ですよ。できればほら、彼女たち。環クンと薫クンって言ったっけ?あのコたちに頼めないかな?」
場の空気が凍りついた。
「ダ」(土方)
「ぜ」(沖田)
言いかけた2人の言葉に山南がカブせる。
「あのコたち隊士じゃないんです!ザンネンですが」
「下働きでしょう?だったら朝起こすくらい頼めるんじゃないですか?」
伊東はケロッとしている。
(なんなんだ・・?このスケベオヤジ)(永倉)
(殺っちまうか、いっそ・・)(原田)
(服部と篠原に寝起きドッキリやってもらえよ、クソッタレ)(斎藤)
(あ~・・う~・・)(藤堂)
周囲が発する負のオーラを全く感じないおおらかさは、伊東の長所でもあり致命的な短所でもあった。