第九十二話 参謀
1
伊東大蔵の一派が、近藤と一緒に京に上って来ることになった。
江戸から届いた文を見て山南が息をつく。
「どうするんですの?土方副長」
「どうって・・・来るって言ってんだからしょうがねぇだろ」
部屋には山南と土方の2人きりである。
「隊の編成のことですわ」
山南が近藤の文を開いたまま土方の前に置いた。
「・・・」
土方は黙ったままだ。
「"相応の役職を用意しておくように"って書いてありますけど?」
山南に言われて、土方が袖から紙を出す。
近藤の文の上に、重ねて置いた。
隊の編成表に、新しく付け加えるように書かれた文字がある。
"参謀"
「これは?」
山南が訊く。
「伊東さんの役職さ」
「なんですの?参謀って」
「響きが良いだろ?"参謀"」
「土方さん」
山南が息をつく。
「局長・総長・副長と来て、次が参謀。悪かねぇだろう?」
「・・・具体的な職務は?」
山南が腕を組む。
「そうさなぁ・・まぁ強いて言やぁ、局長の相談役ってとこだ」
土方が意味ありげに笑う。
土方が作ったこの役職は、会社で言うところのスタッフ職でライン職ではない位置づけである。
職位は高いが、現場を指揮する権限を持っていない。
土方は、新選組という組織に伊東大蔵と言う異物を受け入れるつもりは毛頭無かった。
2
伊東を入れた伊東道場のメンバー7人が屯所に着いた。
腕が確かであることは、藤堂だけでなく、永倉、武田、尾関も認めている。
「伊東甲子太郎(いとうかしたろう)です」
奥の間に通されて、近藤の隣りに座った伊東が名乗る。
「は?」
幹部が一斉に伊東を見た。
(ナマエ・・違うよね?)
近藤が咳払いをする。
「伊東先生は、この上洛を機に名を改めたのだ。甲子(きのえね)年に因んで"甲子太郎"。やはり意気込みが違う、ははは・・」
近藤が取ってつけたように笑ったが、拾ってくれる者が誰もいなかった。
(わざわざナマエって変える?べつにいーけど)(沖田)
(しかも"甲子太郎"・・)(斎藤)
(どー考えても"大蔵"の方が良くね?)(原田)
("かしたろー"って・・質屋じゃねんだから)(永倉)
(・・・)(藤堂)
5人が目で会話する。
「"先生"はやめてください、近藤局長。我々は今日から仲間なのですから」
伊東が穏やかな表情で近藤に笑いかける。
「おお、そうですな。ははは」
近藤は上機嫌である。
「んじゃ、とりあえず・・屯所の中を案内しましょうか、伊東さん」
土方がゆっくり立ち上がった。
「これは・・副長自ら案内いただけるとは光栄です」
伊東も立ち上がる。
2人目が合うと一瞬火花が散ったが、すぐかき消された。
「平助、おめぇも一緒に来い」
土方が先導して、部屋から出ていく。
3
土方の案内で伊東が廊下をついていく。
その後に藤堂が続く。
新選組の屯所内はとうてい衛生的とは言えない。
毎朝、隊士が雑巾がけをおこなっているが、部屋や廊下などをごく簡単に済ますだけで、キチンとした清掃は行われていない。
キレイ好きの環が気が付けば掃除をしているが、とうてい手が回っていない。
炊事場は薫が毎日掃除している。
(それまでは残飯が積み上がって異臭を放っていた)
簡単に言うと・・男所帯なので汚れても散らかっていても気にせず生きている。
隊士の中には、風呂にも入らず垢まみれで異臭を放っている者もいる。
厠だけは土方が命じて毎日交代制で掃除がなされていたが、天井・桟は蜘蛛の巣だらけ、玄関は草履が脱ぎ散らかされ、庭には汚れ物が積み上がっている。
ろくに掃除もしない場所に垢まみれの男たちが寝起きしているため、すえたような匂いがしている。
一周して戻ると、伊東が不意に廊下で立ち止まる。
「ムリ・・」
伊東がポツリと言った。
「え?」
土方が振り返る。
伊東の顔色は、紙のように蒼白になっている。
「ぜったいムリ・・」
「今なんて?」
土方が訊くと、慌てて藤堂が遮る。
「あ~・・土方さん、伊東さんは慣れるまで別宅通いでいいですかい?」
別宅通いが認められるのは幹部だけだが、伊東は最初から幹部待遇を約束されている。
「そりゃ、構わねぇが・・」
伊東がふと庭先に目をやると、たらいを持った環がやって来た。
洗濯をするので水を汲みに来たのだ。
つるべを掴んで水汲みを始めると、今度は薫がやって来た。
「環!洗濯手伝うよー。シンがいないから1人じゃ大変でしょ?」
「あれは・・女性の隊士?」
伊東がつぶやく。
「いや・・ありゃあ・・」
答えかけた土方が伊東の方を向くと、伊東がジッと2人をみつめている。