第九十話 咳
1
二日で沖田の熱は下がった。
薫は、沖田のおかゆを部屋に運んでいる。
障子を開けると、沖田が布団から半身を起こして座っていた。
「沖田さん、寝てなきゃダメですよ」
薫はお盆を廊下に置いて、部屋に入る。
「もう、熱下がったからさー」
沖田が少しうんざりしたように言う。
「じゃあ、ゴハンにしましょう」
そう言って薫がお盆を部屋に運ぶと、突如、沖田が咳き込んだ。
「ゴホッ・・ゴホッ・・」
「沖田さん!」
薫が慌てて沖田の背中を擦るが、咳は治まらない。
手で口を押える沖田の背中が丸くなる。
どうにも治まらない咳を止めようと、薫は沖田の頭を腕に抱き込んだ。
薫は沖田の頭を抱え込んで、小さな子供を抱きしめるようにして背中を擦る。
しばらくして、やっと咳が止んだ。
沖田は薫の腕の中で動かない。
咳き込んだ後の倦怠感のせいか。
沖田がユックリと頭を上げる。
「・・あんまくっつくな、薫」
沖田は稽古をつけるようになってから、薫と環を名前で呼び捨てするようになっていた。
「オレぁ、廓断ちしてるからな・・おめぇみてぇなガキにでも反応しちまうかもしんねぇ」
沖田の顔が薫の至近距離にある。
本気とも冗談ともつかない表情をしていた。
「おかゆじゃなくて、おめぇを食っちまうかもしんねぇぞ」
薫は言葉が出てこない。
「でてけよ・・もうこの部屋に近寄んな」
そう言って、グッタリ布団に倒れ込んだ。
2
薫は仕方なく、沖田の部屋を後にした。
いつもなら、沖田が食べ終わるまで見ているのだが。
"でてけよ"
沖田の言葉が思った以上に心に突き刺さった。
沖田がああいう冗談を言うのは珍しいが、最後のセリフだけは真剣味があった。
本気で追っ払われた感じである。
薫は沖田を抱き込んでいた、自分の胸のあたりを見た。
襟元に細く血の筋が付いている。
「・・・」
沖田は、病を感染すことを怖れているのかもしれない。
廊下の向こうから環が歩いて来る。
「・・環」
「薫・・沖田さんゴハン食べたの?」
「えっと・・・」
「どうしたの?」
薫はどう答えていいか分からず、一瞬躊躇する。
「・・いま眠ってるかも」
薫がヘンな顔をしているので、環が怪訝な表情をする。
「どしたの?」
「"でてけ"って、言われた」
薫の言葉を聞いて、環が少し目を開く。
「それと・・"部屋に近寄るな"って」
「・・・」
環は息をつくと、薫の襟元に目を止めた。
「・・それ、血じゃない?」
薫が慌てて襟元を掴む。
環は何があったか察したようだった。
ユックリ息をつくと、薫の腕を取る。
「・・具合悪い時って、機嫌も悪くなるもんだからさ。落ち着いたら元に戻るよ、沖田さん・・きっと」
環の言葉を訊いて、少し黙った後に薫は小さく頷いた。
3
炊事場に戻ると、ゴローとレンとシュウが噂話に花を咲かせながら後片付けをしていた。
「あら、薫~、どこ行ってたのよ~」
ゴローが薫を見て声をかける。
「洗い物沢山あるんだからね~、んも~」
「うん・・」
薫のテンションの低さに、ゴローが眉をひそめる。
「どうしたのよ?」
「・・・」
「・・ひょっとして、総司ちゃん?」
ゴローの言葉に薫が驚く。
「え?な、なんで?」
「オカマの勘」
ゴローが答えると、レンが続けて言った。
「沖田さんのこと好きな女の子が、壬生川に飛び込んで自殺未遂はかったってもっぱらの噂よ~」
さらにシュウが続ける。
「診療所の手伝いしてる娘さんなんだって?」
・・どうやら正確な情報をもとにした噂話が流れているようだ。
「若い時ってそうなのよねー」
ゴローが溜息をつく。
「恋は一度きりなんて、本気で思ってんのよねー・・"この人じゃなきゃダメだ"とかさー、そんなことないのに」
「そうそう」
レンが続ける。
「"次の恋が待ってる"って思えないのかしら?」
シュウが頷く。
「オトコなんて星の数ほどいるんだから・・たかだか1回失恋したくらいで死ぬなんて・・大馬鹿よ」
オカマ3人は、なかなか現実的な良いことを言う。
ミツには、次に現れる誰かがいるはずだ。
いくつかの出会いを経て、辿り着く人がいる。
"今までのこと全部この日のためにあった"と思える出会いが待っているはずだ、きっと。
「そう・・ですよね」
薫はミツの強さを信じたいと思った。