第九話 薫
1
次の日、薫も環もなかなか起きることが出来なかった。
昨晩の騒ぎで疲れていたせいである。
とくに環は、ゆうべは布団部屋に戻るとすぐ寝入ってしまった。
「起きなよ、お二人さん。朝飯持ってきたぜ」
障子を開けて朝食の膳を運んできたのは永倉だった。
2人は目をこすりながら布団から起きた。
「おはようございます」
もぞもぞと起きながら反射的につぶやいている。
「あの、昨日の人は怪我どうですか?」
環が訊くと永倉が嬉しそうに答えた。
「おう。今朝はもう起き上がって飯食ってるぜぇ。まだ片腕は使えねぇけどな」
「そうですか」
環がほっと息をつくと、今度は原田が部屋に入ってきた。
「おっす、昨日はありがとよ」
「いえ」
原田は2人の前しゃがみこんだ。
「毎日こんな味気ねぇもん食ってると気が晴れねぇだろう。なんか食いたいもんはねぇか?」
2人は顔を見合わせた。
原田はどうやらお礼替わりなのかごちそうしようとしているらしい。
しかし2人が食べたいものは江戸時代の京の町には売っていない。
江戸時代の人がどんなものを食べているのかも良く知らないので答えようが無かった。
2人が黙っていると原田が言う。
「なに遠慮してんだ。若ぇ娘らしくねぇぞ」
その時、薫はふと環がチャーハンを食べたいと言っていたのを思い出した。
「あの・・すみません。台所使わせてもらうこと出来ませんか?」
原田がビックリしたように薫を見た。
「なんでぇ?そりゃ」
「いえ、残り物があれば自分で料理したいんです」
原田と永倉は目を合わせた。
「まぁ、今日は土方さんもいねぇし、炊事場使うくらい出来ると思うぜ」
「でも、あそこは汚ぇぞぉ。賄いの連中が散らかしっぱなしにしてるから」
「かまいません」
薫は目を輝かせた。
残り物で料理するのは薫の得意である。
環が喜ぶ顔が見たい。
薫は久しぶりの料理に興奮していた。
2
本当に汚い台所だった。
椀も鍋も洗わずに放置され、残飯は腐敗臭を放っている。
夏場になってきたせいで、余計匂いがきつい。
料理の前にまず片づけと大掃除が必要だった。
キレイ好きの環が手伝ってくれたので、昼前までかかったがなんとか一通り掃除はできた。
灰汁を使っての水洗いなので、けっこうな重労働である。
残飯は空いた米袋に詰めて焼いてもらうことにした。
永倉と原田に言われたのか、若い隊士がゴミを処分するのを手伝ってくれた。
やっとキレイになった台所で、薫は使える調味料と材料を探した。
あるのは、ごま油とこめ油、塩と醤油、酒と味噌、野菜が少しとあとは漬物である。
「何か要るもんがあるなら買ってこさせるぞ」
原田が言ってくれたが、これだけあればなんとかなると思って薫はあるものだけで調理を始めた。
出来上がったのは、漬物入りの和風チャーハンである。
ごま油を使ったので香ばしい。
焼きあがったチャーハンの味見をして、薫は出来栄えに満足した。
久しぶりの現代的な料理で、環が喜んでくれるだろう。
お椀に盛り付けしようと準備している時に、永倉がヒョイと顔を見せた。
「おお、えれぇキレイになったもんだな」
清潔になった台所を見て感心している。
「お、良い匂いだなぁ、どれ」
勝手につまみ食いをすると声を上げた。
「なんだ、これ。めちゃくちゃうめぇじゃねぇか!」
心底驚いた顔をしている。
「米炊かずに焼いたのか?」
「冷や飯を炒めたんです」
バクバクと食べ始めたので、薫はハラハラした。
そこに原田と藤堂がやってきた。
「なに食ってんだよ、新八。オレにも食わせろよ」
大の男3人の口で、出来上がったチャーハンはあっさり無くなった。
薫は呆然としている。
自分は味見で一口しか食べていないし、これは環に食べさせたくて作ったのだ。
「お、悪りぃな、薫。あんまりうめぇもんだからよ。んなにらむなよ、また作るりゃいいじゃんか」
永倉の悪びれない言い方に怒る気も失せる。
仕方がない。また作ろう、と気を取り直す。
「そうだ、おれたちの分も作ってくれよ。総司と斎藤のやつにも食わしてぇし」
「永倉さん、いま食べたじゃないですか」
むっつりと薫が答えると永倉が笑って返す。
「これっぽっちで腹なんざ膨れやしねぇよ」
「野菜もう無いんで漬物だけのチャーハンでいいですか?」
「チャーハンつーのか、これ。うめぇ料理もあったもんだな。野菜なら買いに行かせる。何が欲しい?」
藤堂が訊いてくる。
よほどチャーハンが気に入ったらしい。
「なんでもいいです、適当で」
江戸時代に売っている野菜がどんなものか薫には検討がつかない。
「おし、ちょっと待ってろ」
藤堂がいなくなると、永倉と原田も続いて手を振りながらいなくなった。
「チャーハンできたら呼んでくれ」
3
藤堂が用意させた京野菜のネギや大根の葉を使って、薫はチャーハンを沢山作った。
大人数の食事の用意は養護施設で慣れている。
手際良くお椀に盛り付けると、永倉たちを呼びにいった。
男たちは自分の分のお椀を持って部屋に移動すると、昼の膳を囲んだ。
「うんめぇ」
原田は口中にほおばっている。
「こりゃあいいですね」
見廻りから戻った沖田も驚いたように言った。
「斎藤、どうだ?」
「うまい。なんて料理です?これ」
「チャーハンだと」
「初めて聞くな。油飯に似てるけど、こうして焼いた方がうまいや」
「賄い方に料理させるより、あの娘に作ってもらう方が食うもん良くなるんじゃねぇですか?」
沖田が薄笑いを浮かべながら意見を述べた。
「土方さんがなんて言うかねぇ。身元の知れねぇ人間を炊事場に入れたってだけで雷落ちそうだ」
藤堂は口元に笑いを浮かべながら、残念そうに言う。
「いやぁ、あの人ああ見えて食い物にゃうるせぇからな。案外すんなり聞き入れるかもしれねぇぞ」
「誰が言うんですか?それ」
沖田が訊くと、みなが一斉に永倉を見る。
「なんでオレが?」
「二番隊組長、頼むぜ。昼行燈の一番隊組長が言ったって、鬼の副長は聞きゃしねぇよ」
原田が言うと、沖田が味噌汁をすすりながら軽くにらむ。
「なんですか、みんなでひとのこと昼行燈って。土方さんの真似するの止めてくださいよ」
ものの5分もしないうちに、全員ペロリと平らげていた。