第八十九話 祈願
1
「シャレんなんねぇぜ!!」
永倉が猛ダッシュする。
原田と斎藤と藤堂も後に続く。
薫も走り出している。
「おミツちゃん!!」
ミツの後を追いかけて川に入った沖田が、ミツの手首を掴む。
水を吸った着物がドンドン重みを増す。
「いやっ、はなしてぇな」
沖田の手を振り払おうとして、もがいたミツの身体がグラリと傾く。
足を滑らせて、川の中に倒れ込んだ。
川の中央は深く、流れが速くなっている。
ミツの身体は胸から下が消えて、そのまま流された。
沖田が慌てて頭から流れに飛び込む。
川泳ぎは得意だが、着物のせいで思うように動けない。
永倉と斎藤も川に飛び込んだ。
沖田は必死に水かきをして流れに乗ると、なんとかミツに追いつく。
着物を掴んでミツの身体を引き寄せると、そのまま川岸に引っ張る。
後に続いた永倉と斎藤が追いついて、川の中からミツの身体を岸に押し上げる。
川岸を走って来た原田と藤堂も追いついて、ミツの身体を引っ張り上げた。
「おミツちゃん!!」
岸に上がった沖田が、ミツの頬をパンパンはたくが反応が無い。
「・・水を飲んでるな」
永倉がつぶやく。
沖田がミツの胸を手の平で押して、水を吐かせようとする。
薫がしゃがみ込んだ。
「ちょっといいですか?」
薫がミツの鼻をつまんで、人口呼吸を行う。
見よう見まねだが、とりあえずひたすら肺に空気を送り込む。
何度か繰り返すと、ミツがいきなり咳き込んだ。
ゲフッゲフッという音とともに、ミツの口からダラダラと水がこぼれ出て来る。
「おミツさん!しっかり!」
薫が叫ぶと、ミツの目が薄く開く。
「ウチ・・」
そう言って、また気を失った。
2
気を失ったミツを、沖田がおぶって浜崎の診療所に運んだ。
原田と藤堂がミツを運ぼうとしたが、沖田が頑として自分が運ぶと言い張った。
それからは阿鼻叫喚の騒ぎである。
浜崎医師に呼ばれて来たミツの両親が大泣き状態で、理由を問い詰められた沖田は一言も口をきかなかった。
憤慨するミツの両親を、浜崎医師がなだめてやっと収まった。
その騒ぎの最中に、ミツが目を覚ました。
「お父ちゃん・・沖田はん、悪くないねん。ウチが足滑らしたんや」
ミツはそう言って、土間に立ったままの沖田の方を見た。
「沖田はん・・かんにんえ」
原田が沖田の肩に手を置く。
「もう屯所に戻らねぇと・・門限だ」
「・・・」
原田の言葉に頷くでもなく、沖田は黙って診療所の玄関から出た。
屯所に戻ってみると、心配した環が提灯を持って門の前に迎えに出ていた。
「あー、やっと帰って来た!」
「環・・」
「ど・・どしたの?いったい」
沖田と永倉と斎藤はズブ濡れ、原田と藤堂は着物がドロだらけ、薫は疲れ切った顔をしている。
「うん・・ちょっと・・」
薫が答えると同時に、沖田の身体がユラリと揺れて塀に寄りかかる。
「どうしたんですか?」
環が慌てて手を伸ばすが、沖田に払われる。
「沖田さん・・手が熱い・・熱あるんじゃないですか?」
環がつぶやく。
「え?」
永倉と原田が驚いた声を出す。
「・・なんでもねぇ・・よ」
そうつぶやいて、沖田はそのまま昏倒してしまった。
「沖田さん!!」
薫と環が同時に叫んだ。
3
次の日、熱で寝込んでいる沖田の枕元に土方が座り込んだ。
「あの娘・・縁談が上がってるらしいじゃねぇか」
土方の問いに、沖田は目は開いているが何も答えない。
「足滑らして川に落ちたのを、おめぇらが助けたことになってる・・表向きはな」
ミツが沖田を尋ねて来ていたのは隊士たちも衆知の事実で、何かあったと薄々感付いているようだった。
「せっかくの良縁だ。破談になっちゃ、大変ってこった」
「すみません・・土方さん」
沖田が低い声でつぶやいた。
土方が小さく息をつく。
「仕方ねぇさ・・だが、また同じようなことがあったら・・おめぇでも処分しなきゃなんねぇ。そこんとこ肝に銘じろよ」
「・・分かってます」
「これからは・・ミツだろうがキンだろうが、情けはかけるな」
キンは沖田の二番目の姉だ。
「ハンパな情けが一番性質(たち)ワリィぞ」
土方の言葉を聞いて、沖田は目をつむった。
鼻をかむようにアッサリ女を捨てる土方は、ひょっとして自分なりの誠意を持って女と付き合っているのかもしれない。
すると土方が、文机の上にチョコンと並べて置いてある折り紙に目を止めた。
「なんだ?こりゃ」
手に取ってみる。
粗末な和紙で折られた鶴と亀。
「誰かの見舞いか?これ。鶴と亀か・・病平癒の祈願か」
土方の言葉に沖田は少し驚く。
病平癒・・
ミツは沖田の病に気付いていたのか。
病持ちと分かっても好きだというのか。
それともただ・・幼い弟が無邪気に折った折り紙なのか。
それを訊くことはもう無いだろう。
「土方さん・・少し、眠っていいですか?」
沖田の言葉を聞いて、土方は立ち上がった。
「ああ・・ゆっくり休め」