第八十七話 迷子
1
シンは他の隊士と一緒に稽古を受けることになった。
ひさしぶりに竹刀を持つと、やはり感触は良い。
だが・・どうにも集中できない。
シンが新選組に身を置いているのは、薫や環と一緒にいるため、そして赤鬼の情報を集めるためである。
間違っても、長州を討伐するためや攘夷浪士を捕縛するためではない。
いままで成り行き任せにしていたが、新選組に深入りするのは危険である。
薫と環を連れて屯所から出て行きかったが、肝心の薫と環にはそんな考えは毛頭無いようだった。
「稽古はどんな感じなの?」
環が明るい声で訊く。
昼飯を食べ終えた後、3人は炊事場でしばしの昼休みを過ごしている。
「どうって・・オレは隊士じゃないし、歴史に深入りすることは禁じられてるから」
シンは困っている様子だ。
「・・このままここにいると絶対ヤバイ」
「ヤバイ?」
「・・・」
都の情勢はドンドン変化している。
戊辰戦争の勃発まであと2年半、その前に自分たちは元の時代に戻れるのだろうか。
「とにかく、赤鬼の情報を集めないと・・」
シンが小声でつぶやく。
「赤鬼?」
薫が訊くと、環が続ける。
「それ・・こないだ、"鳥居に現れた"って言ってた鬼のこと?」
「ああ・・」
「なんなの?その赤鬼って」
「"赤鬼"は教授のニックネームなんだ」
シンが淡々と答える。
「薄茶色の目で・・燃えるような赤毛で・・身長が190cm近くある」
薫と環が目を開く。
「じゃあ・・鳥居に現れた赤鬼って、シンの大学の教授なの?」
「・・かもしれない」
あやふやに答えたが、シンには確信があった。
2
「よぉ、ちょうど良かった。3人揃ってるじゃねぇか」
突如声をかけられて、3人は驚いて顔を上げた。
いつの間に来たのか、井上が炊事場の玄関の柱に寄りかかっている。
「井上さん・・」
シンが立ち上がる。
「沖田さんなら・・」
「おめぇらに用があってなぁ」
井上がかぶせる。
「オレたちに?」
「ああ」
井上が中に入ってくる。
「聞いた話じゃ、おめぇら3人とも身元が分からねぇらしいじゃねぇか」
「・・・」
「オレぁ、こう見えても役人だからな。身元不明者をほっとくわけにゃあいかねんだ」
井上は、土間を横切り板の間に腰かける。
「どっから来たんだ?おめぇら」
「・・・」
3人は顔を見合わせる。
「答えるわけねぇか」
井上はつまらなそうに腕組みする。
「まぁいいさ・・おめぇら3人とも同じとっから来たのか?そんぐれぇなら答えられんだろ?」
井上の問いにシンが答える。
「・・オレは2人とは別です」
「へぇー?こっちのお嬢ちゃんたちは一緒なのかい?」
井上が薫と環の方を向くと、環が口を開いた。
「わたしたち・・"平成"から来ました」
「環!」
薫が驚いて遮る。
「へいせい?」
「・・・」
「聞いたことねぇなぁ・・んで、おめぇは?」
井上がシンの方を向く。
「"天昌"・・」
「てんしょう?」
井上が首を傾げる。
「分からねぇな・・なぜ元いた場所に戻らねぇ?おめぇらが、ここにいる理由はなんだ?」
井上の目には強い光がある。
「それは・・・」
環が低い声を出す。
「戻りたくても、戻れないからです」
3
「戻れねぇ?どうしてだ?」
井上は不思議そうな顔をする。
「・・・」
「まただんまりか・・」
井上が息をつく。
「オレたち・・京で迷子になったんです。新選組に来たのは成り行きで・・」
シンの言葉を、井上が遮った。
「いい年こいて何が迷子だよ。歩くか舟に乗るかして、郷(さと)に帰ればいいじゃねぇか」
「・・帰る手段が無くなったんです」
シンがつぶやく。
「なんだよ、それぁ?」
「歩いても舟に乗っても・・オレたちは元いた場所には戻れない。だから帰る方法を探してるんです」
「・・ワケ分かんねぇな」
井上が立ち上がった。
「まぁ・・なんかあったら相談してくれ。力んなるぜ」
井上の言葉に、シンが顔を上げる。
「井上さんは、赤鬼のこと調べてるんじゃないですか?」
「あ?・・なんだよ、いきなり」
「あの鳥居の周辺を探してるんじゃないんですか?」
シンが言うと、井上の声に乾いた笑いが混じる。
「まさか、おめぇ・・鬼なんか信じてんのかぁ?」
「誰か見たんですか?鬼を」
シンが真っ直ぐに井上を見る。
井上もシンを見返した。
「いや・・まさか。いるわけねぇだろ、鬼なんて」
井上は立ち上がった。
「総司に見っかるとウルセェからなー。そろそろ行くわ」
そう言って、踵を返す。
「じゃあな、また来らぁ」
門を出る井上の背中を見送りながらシンは考える。
(あの人、やっぱ油断なんないな・・・結局、こっちだけ言わされた感じだ)