第七十六話 信義
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「近藤さんが江戸に下ることになった」
翌日の朝飯の席で、土方が切り出した。
朝飯をかきこんでいた全員が顔を上げる。
「へぇー、ひょっとして伊東大蔵ってやつに会いに行くのか?わざわざ」
永倉が笑いながら言うと、土方が答える。
「それもあるが・・他にも用事があってな。新八・・てめぇも一緒についてけ」
「あ?」
永倉が声を上げる。
「なんでオレだよ?武田を連れてきゃいーだろ、腰ぎんちゃくなんだから」
抗議するが、土方はすでに決定事項としているようだ。
「武田も行く。それと・・尾関も行かせる」
土方は箸を動かしながら続ける。
「近藤さんが、"新八も連れてく"って言ってんだよ」
どうやら留守の間に、この前のような造反騒ぎが起きないかと心配しているらしい。
土方が"分かるだろー?"という顔をすると、永倉が息をつく。
「・・ったく、うぜーな」
「10日後に出立するからな、準備しておけよ」
土方が言うと、永倉がうんざりした顔をする。
「だったら、早駕籠にしてくれよ。歩いて道中ずーっと武田のべんちゃら聞くなんざ、江戸に着く前に頭数が減っちまうぜ」
永倉が物騒なことを言い出すので、土方は息をつく。
「分かったよ、まぁ・・向こうに着いちまえば平助もいる。おめぇも久しぶりに江戸に戻るんだ。行きゃあ行ったでそれなりだろ」
「・・あーあ・・」
永倉がボヤく。
「夢屋の3人、どうすんだ?新八」
原田が訊くと、永倉が少し考えて答える。
「そりゃー、斎藤と総司が面倒見んだろ」
「・・なんでオレ?」
斎藤と沖田が同時に抗議した。
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それから3日後にその騒ぎは起きた。
近藤、永倉、武田、尾関が江戸に東下することが決まり、留守の間の隊の編成を組み直すことになった。
各隊の組長から伍長へ、土方が組んだ編成表が渡される。
「葛山がこんね」
稽古の時間になっても、伍長の葛山武八郎が現れない。
部屋まで様子を見に行った島田が、首を振りながら戻って来た。
すると、黒谷から会津藩の使者がやって来た。
葛山が会津候への目通りを願い出て、金戒光明寺の前で座り込みをしているというのだ。
「あのヤローっ・・どういうつもりだ!」
土方が舌打ちする。
永倉と原田と斎藤が顔を見合わせた。
「・・あいつ」
思い当たるのは例の建白書の騒ぎである。
「すぐ連れ戻せ!!」
土方の怒号が響くと、永倉が走り出す。
「オレも行くぜ、新八っつぁん!」
斎藤が言うと、原田と島田と尾関も後に続いた。
一時(いっとき/2時間)以上も経って、やっと5人が葛山を引きずるようにして連れて来た。
「戻ったぜ・・土方さん」
永倉が言うと、土方が腕組みをして葛山を見下ろす。
「葛山、てめぇ・・・どういうつもりだ」
土方の鬼の形相にも葛山は怯まない。
「おりゃあ・・自分の誠を貫いだだげです」
会津出身の葛山は強い訛りがある。
「永倉さんは・・己の信条ば捨でで、局長さ尻尾振っでついでぐみでぇだがな」
「・・なんだと?てめぇ・・」
永倉の声が低く響いて、葛山が胸倉を掴まれた。
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葛山は、永倉と尾関が近藤について江戸に下るのを、信義を捨てて媚びへつらうものと思ったらしい。
「・・チッ!」
舌打ちすると、永倉が葛山から手を放す。
「・・だから、江戸下りなんざヤダっつったんだよ!」
横を向いて小声で吐き捨てる。
「・・東の倉に連れてけ。オレが話す」
土方の声が低く響く。
会津藩に迷惑をかけたことを本気で怒っている。
島田と尾関が腕を掴んで引っ張ると、葛山は大人しくついて行った。
「・・拷問部屋かよ」
永倉がつぶやく。
東の倉は不逞浪士を締め上げる時にいつも使われる。
「人聞き悪ぃこと言うな、暴れられると面倒だからだ」
土方が相変わらず低い声で言った。
「この件は、おめぇらにも責任がある」
永倉と原田と斎藤が、真顔になった。
「おめぇら全員謹慎だ。指示するまで部屋から出るな」
そう言うと土方は、倉に向かって歩き出した。
3人はしばらく無言で立っていたが、原田が口を切る。
「謹慎だってよ・・」
「んじゃー・・戻るか」
永倉が頭を掻く。
「おっす・・」
斎藤が低い声を出す。
3人が八木邸の屯所に戻ろうと踵を返すと、門のところに沖田が立っていた。
柱に背をもたせて、けだるそうにしている。
「・・総司」
斎藤が声を出すと、沖田が腕を組む。
「葛山さんは?」
「東の倉だ」
原田が答えると、沖田が眉をひそめた。
「オレら、謹慎処分みてぇだから・・おめぇ、見廻り頼むぜ」
永倉が言うと、沖田が小声でうめいた。
「・・げ」
3人は沖田の横をすり抜けて、前川邸の門から出て行った。