第七十三話 迷い
1
江戸にいる藤堂から屯所に文が届いた。
江戸で名のある伊東大蔵という勤王志士が、新選組に加入する気持ちがあるとの内容だ。
「伊東大蔵?って・・誰だよ?それ」
朝飯の席で斎藤が訊く。
「北辰一刀流伊東道場の道場主よ。腕も確かだけど弁舌も凄いわ。勤王志士の間では有名な人物」
山南が説明する。
「知らねー・・」
沖田が味噌汁をすすりながらつぶやく。
「土方さんは知ってんのか、そいつのこと」
永倉が訊くと、土方は横を向く。
「さぁ・・」
しばらく沈黙が流れる。
新選組の幹部では、藤堂と山南が北辰一刀流を師事していたことがある。
「どうやら門下生も引き連れてのご加入らしいわよ」
山南の言葉で、再び沈黙が流れる。
「なんつーか・・あんま嬉しくも無い感じ?」
永倉が漬物をつまみながら答える。
「そーねー・・なんかねー」
原田が面白くも無さそうに茶をすする。
「・・近藤さんがノリ気なんだよ」
土方がボソリと低い声でつぶやいた。
その場にいた全員が土方の方を向いた。
「まぁ・・近藤さん、そーゆーのに弱ぇーから」
原田が薄笑いを浮かべると、フフンという顔で永倉が続ける。
「そうそう、"高名"とか"名の知れた"とか・・"長"とか"将"の付く人になぁ」
「そんで・・どうすんですかい?土方さんは」
沖田が小さく息をつく。
「オレ?オレぁ・・どーでも。局長が気に入ったってんなら、しゃーねーだろ?」
土方が軽くソッポを向く。
「へぇー・・?」
沖田の生返事がこぼれた。
この件では、どうやら土方はすでに近藤と一悶着起こしたらしい。
2
すでに舟(はなし)が乗り出していたが、藤堂はどうにも失敗した感が否めない。
藤堂が抱いていた伊東のイメージは、遠く離れている間にかなり美化されていたらしい。
どうも思っていたのと実際は違っている。
伊東はけして悪い人間ではないが、異常な潔癖症でおまけに空気を読めないという致命的な欠陥を持っていた。
藤堂もここ数日接して、奇妙な疲労感が積もっている。
"疲れてる時に会いたくない"タイプなのだ、伊東は。
頭の中で、新選組の幹部の面々を思い出す。
「なんか・・・違和感、ハンパねぇ」
ついつい独り言も出てくる。
「ぜってぇー浮くよなぁー・・どうすんだよ。ヤッちゃった感じじゃねーかぁ?」
宿屋の一室であおむけに寝転がる。
当の伊東がノリ気なので、いまさら「この話は無かったことに」とはできない流れである。
こうなれば腹をくくって、とことん伊東をフォローするしかないのだが。
・・・考えただけでゲンナリしてくる。
肘をついて涅槃のポーズになる。
「・・わざわざ江戸まで来るんじゃなかったなぁ」
屯所にいれば、休憩時間に斎藤と任侠草子(ヤンキーマンガ)のまわし読みでもしているのに。
「・・チッ」
伊東のところに行く前に、芝居小屋でも寄って行こうかと起き上がる。
萎えた気持ちを引き上げるには仇討モノか任侠モノに限る。
平成で言うところのVシネ鑑賞で、男の世界に浸るのだ。
「よっしゃあ!」
藤堂は落ちたモチベーションを上げるため、気を取り直して出かけることにした。
「ここまで来たらハンパな真似ぁ、デキねぇしなぁ!」
(あーあ・・尊王攘夷かぁ。だんだん・・分かんなくなってきたぜ)
3
シンはずっと、沖田の言葉が頭から離れない。
"アレぁ、鬼じゃねぇ"
沖田はそう言った。
おそらく、沖田は見たのだろう・・鬼を。
そして沖田と一緒にいた井上は、鳥居で環のスマートフォンを拾った。
自分が鳥居にいた時には、スマートフォンなど気付かなかった。
井上は、鳥居の周辺を調べて回ったに違いない。
あの2人が鬼のことを調べているのだとしたら、いっそ任せるというのも手だ。
シンは今のところ屯所の外に出られない。
沖田や井上から情報を引き出すことが出来れば・・。
だが、沖田も井上もカンが良い。
シンの"お守り"という言葉など、カケラも信じていない表情を思い出す。
やすやすと情報を引き出すことは出来ないだろう。
おまけに、どちらも一度口をつぐんだら二度と口を開かないタイプに見えた。
シンは軽く息をつく。
自分はどうしたいのだろう、赤鬼の行方を追いかけて。
元の時代に戻りたいのか。
元の時代・・TOKYO。
全てがオートメション化と小型軽量化が進んで、海の色は平成時代よりやや青さが戻っている。
江戸時代からから250年先の未来。
混血化が進み、国籍不明の人間が街に溢れている。
都市部にいたっては5分の4以上が混血だ。
シンのような純血腫はマイノリティにあたる。
街を歩くと自然な黒髪は見当たらない。
そのせいかシンは逆に目立って見えた。
真っ直ぐな黒い髪、アーモンドの形をした黒い瞳。
興味を抱いて寄って来る女の子も多かったが、赤城教授がシンにガールフレンドができることをイヤがった。
理由は分からない。
シン自身も勉強と剣道ばかりで、女の子と付き合うことにさして興味も無かった。
だが、薫と環に対しては違う。
あの2人を守らなくてはいけないと思っている。
なぜかは分からない。
ただそんな風に思えるのだ。
なんなんだろう・・この気持ちは。