第七十話 願い
1
環は台所のたらいに水を張って、携帯から外したストラップをゴシゴシ拭いていた。
母が作ったミサンガ。
なんでも手作りするのが好きだが、正直言って困る時もあった。
環は手首にミサンガをつけるなど恥ずかしくて出来ない。
それでストラップに変えてもらったのだ。
泥汚れを水洗いで落とし、布にくるんで乾かす。
以前はミサンガにかける願など考えもしなかったが、今は違う。
生乾きのまま、左の手首にミサンガを巻きつける。
片手で結ぶのがけっこう難しい。
願をかけるというのは、信じることだ。
強く信じていれば、いつか願いは必ず叶う。
そう思えば強くなれる。
メソメソしても仕方がない。
与えられた運命なら、受けて立つしかない。
受け入れるにしろ、戦うにしろ、逃げることはできない。
開き直った心境になると、逆にサッパリした気分になる。
「お母さん、わたし・・どこにいても元気だから。安心して、心配しないで」
環はミサンガを見ながらつぶやいた。
その炊事場の戸の裏側で、シンが背中をもたせて立っている。
目をつむると、そのまま身体を戸から離して立ち去った。
2
毎晩沖田は、自室で薬草を煎じた薬を飲んでいる。
安斎にもらった漢方薬は、どうやら甘草と言うらしい。
甘くて飲みやすい咳に良く効くと言ったら、薬種問屋ですぐに調合してくれた。
最近は、虚労散と甘草を一緒に飲んでいる。
土方が時折大量に置いて行く虚労散の薬袋を、手に取って眺める。
「これ・・ホントに効いてんのかなぁ?」
軽い咳をしながらつぶやく。
土方が「薬は気合で飲め」と言っていたのを思い出して、クスクス笑いがこみあげる。
手を頭の後ろに組んであおむけに寝転がる。
頭に浮かぶのは、あのスマートフォンだ。
以前、(おそらくシンが)2人を屯所から連れ出した夜、町に捜索をかけて聞き込みしながら2人を探し当てたのは、あの鳥居のそばだった。
あの夜、薫と環はシンに連れ出されて、そのまま鳥居の近くに置いていかれたようだった。
井上と沖田が、異人をみつけたのと同じあの場所に。
そして井上があの場所で拾った、見たことも無いお守りとやらが環のモノだと言う。
ムックリ起き上がるとあぐらをかく。
「まさか・・あいつらも鬼の仲間なんてんじゃねぇだろ」
頭をカリカリと掻く。
すると部屋の戸がスッと開いた。
井上源三郎が廊下に立っている。
「総司、大助が来てるぞ。最近よく来るな」
3
「よぉ、どうした。ヒマ人」
沖田が軽く毒づきながら玄関に出ると、井上が着流し姿で立っている。
「うるせぇ。ヒマじゃねぇよ、オレぁ」
井上が親指を立てると、2人連れだって表に出た。
屋台が並ぶ通りまで歩いて来ると、井上は麦湯、沖田は甘酒を買って石の上に座り込む。
「あー・・うめー」
沖田が甘酒がすすりながらつぶやく。
「んで?」
沖田が促すと、井上が口を開く。
「屯所にいるあの娘2人とシンとか言う若造、どこのモンだ?」
「知らねぇよ」
「しらばっくれんのかー?」
「ホントに知らねんだ」
しばらく沈黙が流れる。
「あいつらがどっから来たのか分からねぇんだよ、オレたちも」
沖田がゆっくり立ち上がる。
「最初はなぁ・・おかしなカッコしたデカイ女がウロついてるってんで、つかまえたんだが・・何訊いても答えねぇ」
一息ついて甘酒をすする。
「そんで・・そのまま屯所に居ついちまったんだよ」
「なんだ、そりゃ」
井上が顔を上げる。
「身元不明のガキじゃねぇか、新選組もユルイもんだな」
井上も立ち上がる。
「あのシンとかいうガキも、隠し事してんの丸分かりだしなぁ」
「まぁな」
「"お守り"だとかヌカしてたが、とんでもねぇ。アレぁ、京にも江戸にもねぇ細工モンだ。ひょっとして長崎辺りに行きゃあ、あるのかしれねぇが」
出島に行っても携帯電話は無いだろう。
「あいつら・・それこそ異人なんじゃねぇのか」
井上が小さくつぶやいた。