第六十九話 池の魚
1
シンに呼び止められて、沖田が振り返る。
「なんだ?」
「鬼のことです」
シンが無表情に続ける。
「ひょっとして・・見た人いるんじゃないんですか?」
「・・・」
沖田はしばらく黙った後で、口を開いた。
「なんでそんなこと聞くんだよ?」
「いや、ちょっと・・鬼とか化け物のたぐいにキョーミがあって」
シンは作り笑いを浮かべる。
「へぇー・・そりゃ残念だったなぁ。鬼なんざいねぇよ、いるわきゃねぇだろ」
沖田が薄く笑う。
「そうですか」
シンは残念そうな声を出す。
環は2人のやりとりを、不思議そうな顔で見ている。
「アレぁ・・鬼じゃねぇ」
沖田が声を低くする。
「アレ?」
シンが目を見開く。
「いや・・なんでもねぇ。鬼の話はもう終まいだ」
沖田が目を伏せる。
「オレぁ、鬼だの化けモンだの・・得体の知れねぇもんは信じねぇ」
そのまま踵を返した沖田の後ろ姿を、シンと環が見送った。
「シン、なんなの・・鬼って?ひょっとして鳥居に何か関係あるの?」
環がシンを見上げるが、シンから言葉は返ってこない。
("アレ"って言ったってことは・・沖田さんは見たってことか?)
シンは沖田が戻った方をみつめていた。
2
伊東に問われて、藤堂は言葉に詰まる。
「・・い、伊東先生。新選組は男の集まりですから、清潔かと問われると答えにくいですが・・・」
藤堂はつかえつかえ、言葉を選ぶ。
「しかし幹部は別宅からの通いが認められます。先生なら幹部と同等の待遇で近藤局長も迎え入れるのではないかと」
「近藤勇か・・」
伊東が藤堂をみつめる。
「どんな人物だい?」
「えーまぁ・・足柄山の金太郎ってとこですかね」
藤堂は笑って答える。
「なるほど・・」
伊東は軽く笑う。
「おもしろいね」
伊東がおもむろに立ち上がった。
「確かに・・尊王攘夷を掲げるなら京が良い。江戸(ここ)は幕府のお膝元だしね」
伊東は縁側に出て庭の池に目を落とす。
「同じ池の中に違う魚を入れると・・喰い合いをする時がある」
伊東が藤堂の方に振り返る。
「負ければ喰われる」
藤堂は伊東が何を言いたいのか計りかねている。
「先生?」
「・・もし僕が京に行くとなれば、この道場の門下生の中にもついて来る者が出て来るだろう」
「おそらく」
「少し、考えさせてくれないか?」
伊東はゆったりと笑う。
その顔を見た時、藤堂はかすかに手応えを感じた。
翌々日には、伊東から期待した答えをもらうことになる。
3
「ケータイ!!」
環にスマートフォンを見せられて、薫もビックリしている。
「すごーいっ!どこにあったの?これ」
薫が、環の手の平にあるスマートフォンを覗き込む。
「鳥居の前に落ちてたのを、井上さんが拾ってくれたの」
「井上さん?」
薫は名前を聞いてもピンと来ない。
「ほら・・このあいだ沖田さんを訪ねてきた」
「ああ!あの、カッコ良いお兄さん?」
「カッコ良い?」
環がクスクス笑い出す。
「シュッとしてなかった?」
「どうだったかなぁ」
「ケータイ・・電源入んないよねー」
薫が残念そうにつぶやく。
「うん、落ちてる。壊れてはないと思うけど・・防水だしカバーついてるし」
環がスマートフォンを裏返して見る。
「でも、環・・・鳥居くぐった時にケータイ持ってたんだ」
薫が環を見る。
「覚えてないけど・・バックは落として」
環が思い出そうとする。
「でも、ケータイは手に持ってたのかな?」
「あたしは全部バックに入れてたからなー」
薫が頭の後ろに手を組む。
「あー!メールしたーい、ゲームしたーい、ググりたーい」
薫が声を高くすると、続けて環が声を高くする。
「ラインしたーい!元の時代につながればいいのにぃー」
薫は環の横顔を少し悲しげにみつめた。