第六十七話 伊東
1
江戸に着いてすぐ、藤堂は深川の伊東道場を訪ねた。
道場主の伊東大蔵が不在でも、会えるまで待つつもりだ。
しかし、藤堂が訪ねると伊東はちょうど稽古中で、すぐに会ってくれると言う。
(こりゃあ、幸先いいや)
しかし、客間に通されてからしばらく待たされる。
四半刻も過ぎて、やっと伊東が姿を現した。
「いやぁ、藤堂くん。待たせてすまない」
伊東は背が高く、鼻筋の通った涼やかな容姿である。
「稽古で汗をかいたので、水浴びをしていた」
髪の毛の先には滴が付いていた。
「いいえ、いきなり訪ねたのはこちらですから」
藤堂は立ち上がって礼をとる。
「伊東先生、ご健勝のご様子でなによりです」
「いや、久しぶりだねぇ。藤堂くん、変わらず元気そうでなによりだ」
伊東が手招きして、2人向かい合わせで座る。
「活躍しているようだね」
伊東は正座して腕組みする。
「いえ、さほどのことは・・」
藤堂は目を落とす。
「新選組の噂は江戸まで鳴り響いているよ」
伊東はニコニコ笑っている。
「伊東先生。実は、先生にぜひ快諾していただきたい義がございまして、京より参りました」
藤堂が顔を上げる。
「伊東先生、新選組に来ていただきたい」
藤堂の言葉に、伊東が目を丸くする。
2
「新選組に?」
いきなりの申し出に、伊東は驚きを隠せない。
「はい。今回、新たに隊士募集を行うことになり、有益な人材を江戸で探すことになったのです」
藤堂の声に熱がこもる。
「オレは伊東先生に来ていただきたい。先生の力で新選組を改革して欲しいんです」
「・・・」
伊東は黙って聞いていたが、ふと畳のへりに目をやるといきなり立ち上がる。
スタスタと歩いて部屋の隅にある雑巾を手に取ると、かがんで畳のへりをゴシゴシ拭き始める。
「・・先生?」
藤堂がとまどっていると、伊東が振り返る。
「いや、ちょっとここにシミがね。気になったもんで」
言いながらゴシゴシとこすり続ける。
「よし」
つぶやくと、また藤堂の前に戻って腰を下ろす。
「すまない、藤堂くん。続けてくれ」
藤堂が気を取り直して、口を開く。
「せ・・先生ならば、新選組を尊王攘夷の魁たる誠の軍団にできます」
「・・うーん」
伊東がうなる。
(あいかわらずだなぁ・・伊東先生。調子狂うんだよなー)
藤堂が伊東の様子を盗み見る。
伊東はしばらく黙っていたが、ボソリとつぶやく。
「ホコリっぽいのはイヤだな‥」
「え?」
「不潔なの苦手だし」
「不潔って・・」
藤堂はポカンとする。
「新選組って、衛生管理はしっかりしてる?」
伊東が首をかしげて訊いてくるが、藤堂はうまく言葉が出てこない。
3
昼下がりの前川邸の屯所に、フラリと井上が現れた。
「・・前から思ってたけど、おめぇの仕事ってどうなってんの?」
沖田が呆れた声を出す。
「昼間っからしょっちゅうプラプラして・・廻り方ってどんだけヒマなんだよ」
「バカ言ってんじゃねぇよ。オレぁ、忙しくて夜寝るヒマもねぇくれぇだぜ」
井上は縁側でまったり茶をすする。
「ほんとかよ・・言っとくが、今日は碁なんかやってる暇ねぇぞ。平助がいねぇから見廻りの持ち分が増えてんだ」
昼飯を食べ終えた沖田も、片足組んだ行儀の悪い恰好で茶をすすっている。
すると井上が、袖から出したモノをそこに置いた。
「なんだ、こりゃ?」
沖田が目をやる。
「さぁな」
井上が袖から出したのは、鳥居で拾ったスマートフォンである。
沖田が手に取ってみる。
マジマジと見るが、眉間にシワを寄せるだけで何も言わない。
「見たことねぇだろ?」
井上が訊くと、沖田もやっと口を開く。
「お札みてぇだが・・なんか違うなー」
ストラップに指をひっかけてぶら下げる。
スマートフォンがクルクル回って、陽の光を弾く。
「薄っぺらいわりに、けっこう重てぇし」
馴染みの無い質感と色合いを見て、沖田はふと思い当たることがあった。
以前、シンのショックガンを手に持った時、同じような感覚を覚えたのだ。
「・・・」
「色々訊いて回ったがなぁ、分からなかったぜ」
井上がお手上げのポーズを取る。
「・・どこで見つけたんだ、これ」
沖田の問いに、井上が少し置いてから答えた。
「あっこだよ・・あの鳥居の前」
「大助・・おめぇ」
沖田は井上の顔から視線を外すと、立ち上がった。
「どうした?総司」
「ひょっとしたら・・こいつがなんなのか分かるやつがいるかもしんねぇ」