第六十四話 手打ち
1
会津候に「予の不明」と言われて、永倉は言葉を失っている。
どうやら、会津候の方が役者が一枚上手らしい。
「その方らの訴えはしかとうけたまわった。近藤には予からそれとなく言っておくゆえ、その方らもこたびのことはこの場限りにいたせ。予も口外はせぬ」
会津候の静かな声が聞こえる。
会津候の話し方は、心に沁みるような独特の響きがある。
孝明天皇もこういうところで心を許したのかもしれない。
(なんか・・不思議な殿様だなぁ)
斎藤は頭を伏せながら思っていた。
「われら殿に全幅の信頼を寄せております」
永倉は毒気が抜けた声で言った。
「こたびはお言葉に従い、これ限りといたします」
(え?)
原田と斎藤が、驚いて顔を上げる。
(これで終わり?)
永倉が戦意喪失するのを初めて見た。
「うむ」
会津候は満足気に頷くと、酒を用意させ3人に一献ずつ振舞ったのちに座を解いた。
拍子抜けした感の3人が屯所への帰途に着いた頃、会津候が公用方に申し付ける。
「新選組の屯所に使いを出せ。局長の近藤をすぐ参上させよ」
「はっ」
公用方は頷くと、すぐ立ち上がる。
2
「いんすか?新八っつぁん、あれで・・」
斎藤が歩きながら、両手を頭の後ろに組む。
「しゃーねぇだろ、会津候にああ言われちゃ・・」
永倉がボソリと答える。
「容保候にいいようにやられちまったなぁ」
原田は言葉の割にサッパリした口調だ。
3人でテクテクと歩いていると、まもなく屯所の門が見えてきた。
門の前で島田が立っている。
「おーう、新八」
島田は身体も声もデカイ。
「おう、力さん。帰ぇったぜー」
永倉が手を振る。
"力さん"というのは、巨漢で力持ちの島田のあだ名である。
島田と永倉は古い馴染みだ。
「どうかいね、容保候にゃあ会えたんか?」
島田の質問に原田が答える。
「どうもこうも・・どうやら会津候が手打ちして終わらせるみてぇだなぁ、あーあ」
「あ?」
島田がポカンとする。
「お殿様にゃあ、かなわねぇ」
斎藤が笑いながら続ける。
横をすり抜けて門に入る3人を、島田が慌てて追いかける。
「お、おい。待たんかいね、葛山が騒ぎ出してえらいこっちゃね」
「あ?」
永倉が振り返る。
「自分も会津候に会うっちゅうて・・もう顔真っ赤にして吠え出したもんやから。尾関が見張っとるがね」
「げ・・」
永倉が声を出す。
「だーから言ったんすよ、オレぁ。葛山さん入れるとメンドくせぇって」
斎藤が苦い顔で腕を組む。
「力さん、アンタが口すべらしたんだからな。身体張ってあの土佐犬なんとかしろや」
永倉が島田を指さす。
「んーなことゆうたってもやなぁ・・」
島田が眉間に皺を寄せると、ハスキー犬のようだ。
「ああ、それと・・さっき黒谷から使いが来て、近藤さん呼ばれてったで」
島田が声を低めて言った。
3
事はいったん収まった。
どうやらあの日のうちに会津候が近藤を呼び出し、隊士に対する行き過ぎた言動を改め、町民の感情にも配慮するよう注意したらしい。
会津候の手打ちとなれば、どちらも大人しくするしか無いが、やはり禍根は残った。
近藤がどこからか聞き出し、事の発端を知ったためである。
「トシ・・オレぁ、飼い犬に咬まれたよ」
部屋の中には近藤と土方の2人だけだ。
「はぁ?飼い犬?」
土方が呆れた声を出す。
(・・ったく、そういう言い方するから噛みつかれんだよ。分かんねーのか!)
心の中で悪態をつくが、表情は平静を装う。
「近藤さん・・あいつらはアンタをどうこうしようなんて思っちゃねぇよ。ただ、昔に戻って欲しいだけさ」
それは土方の気持ちだったかもしれない。
「トシ、新選組の局長が田舎侍のままでいられるわけがなかろう」
近藤が不満気に言い返す。
「いーんだよ、田舎侍のままで。上品な上方の連中にゃあ出来ねぇことも出来るさ」
土方がイライラと言うと、近藤が重ねるように言ってくる。
「トシ・・オレぁおそらく大名にもなる男だよ。実際、今すでにそうなりつつある」
近藤の壮大なカンチガイを聞いて、土方は言葉を失う。
「え・・あ?」
失語症のように言葉のきれはしだけが口からもれる。
「あ・・ああ、まぁ・・なんだ。男に生まれたからにゃあ、立身出世の夢ぁ見るもんだが・・」
「夢じゃねぇよ、トシ。今に分かる」
そう言って立ち上がると、部屋から出て行った。
(ありゃ、建白書じゃムリだろ・・どっか良い神社で祓ってもわらねぇと)
土方は有名神社の名を順番に思い起こしていた。