第六十一話 追憶
1
昼頃、井上が屯所にフラリと現れた。
門の警備を顔パスで通って中に入る。
偶然、炊事場から出てきた薫と環が井上と鉢合わせた。
「おい」
声をかけられ、一瞬警戒する。
2人は井上を見るのは初めてだった。
「総司いるか?オレぁ、井上ってもんだ。取り次いでくんねぇか?」
どうやら沖田の知り合いらしい。
ホッとすると、昼飯を食べ終えて部屋に戻った沖田を呼びに行く。
「よぉ」
井上が手を上げる。
「大助、どうした?まぁ、上がれよ」
沖田が答えると、井上は草履を脱いで上がり込む。
廊下を歩きながら、前を歩く沖田に声をかける。
「いつから新選組に女の隊士が入ったんだ?」
井上の声にはからかう口調があった。
「あいつら隊士じゃねぇよ、下働きさ」
廊下を歩きながら、沖田はそっけなく答える。
「稽古着着てたぜ?デケェがどっちも可愛いじゃねぇか」
井上が面白そうに続ける。
「ひょっとして、おめぇら。さらって来たんじゃねぇのか?鬼みてぇに」
沖田がクルリと振り返る。
「あいつらに構うな」
「なんだよ?おめぇのお手付きか?」
井上はニヤニヤ笑っている。
「うるせぇ、そんなんじゃねぇ。事情があって預かってんだ。おめぇ・・手なんぞ出したら土方さんに斬られるぜ」
「おっかねーなー」
井上は軽く肩をすくめた。
2
環と薫が庭に出ている。
環は笛を、薫は笛に合わせて歌うつもりなのだ。
この間は怒られなかったが、隊務の邪魔にならないよう庭の一番奥まで来た。
「ねぇ。応援ソングだったら、あれ分かるかな?」
薫が環に訊く。
「あれ?」
「あのね、"それが大○"っていうの」
「ああ、知ってる、知ってる。出来るかも、部活で散々やったから」
環がさっそく笛に唇をあてる。
小学校の頃にクラスで唄ったメロディが流れる。
薫は笛の音色に合わせて、小声でフレーズを口ずさむ。
屋敷の奥にある沖田の部屋に、笛の音色とかすかな歌声が聴こえて来る。
「ん?」
井上が顔を上げる。
「なんか・・歌聴こえねぇか?」
「そっか?」
沖田は聴こえてないような顔をする。
「いや・・ほら、笛か?」
井上が人差し指を立てる。
沖田は横を向いて黙ったままだ。
「・・気のせいかな」
沖田が聴こえていない振りをするので、井上も合わせることにした。
かすかに流れてくる平成の応援ソングをBGMにして、話を始める。
「あの火事の火元・・会津藩と新選組だと言っているやつがいるらしい」
3
1曲吹き終わっても、環と薫は物足りなかった。
「ねぇ、他に吹ける曲ある?」
薫が訊くと、環は少し考えてから笛に唇をあてる。
打って変わったスローな曲調が流れ出す。
薫は知らない曲だったが、それでもどこか懐かしい気持ちを起こさせるような調べだ。
目を瞑って聴いていると、いきなり笛の音色が止んだ。
目を開けると、環が笛を握り締めて小さく嗚咽している。
「ど、どうしたの?環」
慌てた薫が、環の顔を覗き込む。
環の目から涙の粒が溢れている。
「・・これ、お父さんが好きな曲なの」
環は泣きながらも、笑顔を見せる。
「"木蘭の○"っていうの」
「モクレンのナ○○?」
「うん・・逢えない人のことを唄ってるの」
「・・逢えない人」
「死んじゃった人を想って唄う歌」
環は手の甲で涙をぬぐう。
「ごめん・・大袈裟だよねー、死んでなんかないのに」
薫は黙ってしまった。
環は両親に逢いたがっている。
普段はそれを必死に隠している。
新選組の隊士に親切にされても、今まで生きてきた時代を忘れることは出来ない。
環を元の時代に戻してあげたい。
薫は強くそう思った。
だが、自分は。
自分は本当に戻りたいのだろうか?
元の時代に。