第六十話 建白書
1
薫と環は基本のすり足を習った。
沖田の真似をして、2人で縦に並んですり足で土間の中を歩く。
素振りとは違う意味でけっこうキツイし、意外に難しい。
沖田は相変わらず、説明が終わると練習メニューだけ言い残していなくなる。
ほとんど自主トレの状態である。
だが、部活の気分になってきて、薫も環も稽古がさほどイヤでなくなっている。
少しでも剣道をかじると、新選組の幹部がいかに凄いかが分かる。
稽古をのぞいて見ると、同じ人間と思えない早業で技を繰り出す。
気魄もすごい。
ふと見ると、入口に雑巾を手にしたシンが立っていた。
シンは近頃、山南の小間使いと化している。
薫と環はすり足を続けながらシンの方を見る。
「なにやってんのよ?」
薫がシンに声をかける。
「・・掃除」
「サボッてるとサンナンさんに怒られるわよ」
環が言う。
「いいよ・・別に」
シンが土間に入ってくる。
「右足からでも、気持ち的には左足から出す感じで・・右はあくまでストッパー。上半身を動かさないスキップをイメージするといいよ」
シンのアドバアイスに、薫と環が動きを止めた。
「やっぱり剣道やってたんでしょ」
薫が訊いた。
「・・・歴史オタクでサムライかぶれのオッサンに育てられたからな」
シンが曖昧に答える。
「ガキの時から剣道習わされた」
頭を掻いてそっぽを向く。
「歴史オタクって、お父さん?」
環が訊いた。
「いや・・オレ親いないから」
環は失敗したと思った。
親の話題は薫もあまり出されたくない話題なのに・・。
だが、シンも薫もいっこうに気にしている様子はない。
「ちょっとやってみてよ」
薫が手招きすると、シンが首を横に振る。
「やだ。オレもう行く」
そう言って、あっさり土間から出て行った。
「なーんか・・よく分かんないヤツだねー」
薫が笑って言うと、環も頷く。
「うん」
2
藤堂が江戸に下ってから1週間が過ぎた。
到着までに、さらにもう1週間はかかるだろう。
藤堂がいなくなってから、斎藤はシンと2人部屋になっている。
実は、斎藤はだんだんシンを気に入ってきていた。
気に入るというより、邪魔にならないのでいいと思っている。
空気のようで、一緒にいても苦にならない。
無口だが、気を遣わせないので、2人でも1人のような解放感がある。
逃げる様子も無いので見張りも楽だ。
斎藤は考え込んでいる。
どうやら、永倉と原田と呑んだ時に余計なことを言ったらしい。
「建白書だよ」
原田は言っていた。
本気で近藤を糾弾するつもりらしい。
「近藤さんが弁明できなきゃ腹切ってもらう。逆ならオレたちが腹切るまでだ」
物騒なことを言っている。
「左之さん・・何かっていやぁ、腹切るーだもんな」
斎藤はぶつぶつひとり言を言う。
シンの存在はもはや頭にない。
「どうすっかなー・・・」
止めるべきか同調すべきか、斎藤は決めかねていた。
いつでも死ぬ覚悟は出来ているが、近藤の糾弾に命をかけるのもアホらしい。
すると、いきなり障子が開いた。
原田が入っている。
「斎藤、ちょっと来い」
「え?いやぁ・・オレぁ、こいつの見張り・・」
言いかけて原田に遮られる。
「見張りは尾関にやらせる」
(行くしかねぇかぁ・・)
あーあ、という顔で、斎藤は立ち上がった。
3
部屋の文机で、永倉が墨で紙に書き付けている。
「おう、斎藤。来たか」
永倉が顔を上げた。
「見ろ」
「なんすか?」
斎藤が手に取ってみると「非行五ヶ条」という文字が見える。
「新八っつぁん、字ぃヘタだなぁ」
「うるせぇ、黙って読め」
永倉にどやされて、斎藤はしぶしぶ読み始める。
(・・読みづれぇー)
近藤の専横を書き連ねたものであるが、内容としては、近藤の傲岸不遜さをおおむね5つに分けているらしい。
「ふーん・・」
斎藤は最後まで目を通すと、紙を永倉に返した。
「どうすんですか、これ」
「会津候に渡すんだよ」
「ほんとに?」
斎藤が永倉に訊くと、替わりに後ろの原田が答える。
「ったりめーだろ」
「はぁ・・」
斎藤は頭をかいた。
「オレ思うんすけど・・・」
「なんだよ?」
「こんなに字がヘタだと・・なんか・・ガキのいたずら書きにしか見えねぇ」
斎藤の言葉に、永倉と原田が顔を見合わせる。
「・・そんなにヒドイか、これ」
「まぁ・・」
斎藤が深く頷くと、永倉と原田は一緒に紙を覗きこむ。
「じゃあ、斎藤。おめぇが書けよ」
永倉が斎藤に紙を押し付ける。
「え、オレ?ダメっすよ。寺子屋でも書き取り苦手だったし」
斎藤が手を横に振る。
「いいからやれ。おめぇ、オレの字がヘタだと言ったじゃねぇか」
永倉が刀の鍔に指をかける。
「明日までに仕上げとけよ」
永倉と原田に両側から肩を掴まれ、斎藤は黙って紙を受け取る。
こうなるともう逃げられない。