第六話 シン
1
薫と環は布団部屋から逃げ出すスキを伺っていたが、付かず離れず誰かが部屋のに前にいてずっと見張られている。
到底逃げ出すことなど出来ない。
夕方、沖田が夕飯の膳を持ってきた。
「はい、びたみん不足のメシだよ」
2人はその時の沖田の姿に驚いた。
水色の着物の袖口は山形の三角に白く染め抜かれている。
額には鉢金の入った長いはちまきを締めていた。
時代劇で目にする新選組の衣装である。
初めて沖田に出会った時は、夜で暗くて着物の柄など良く見えていなかった。
「新選組だ・・」
薫がつぶやくと、沖田がプッと吹き出す。
「なに言ってんの?いまさら」
2人分のお膳を置いた。
今度はお椀に盛られたごはんと漬物、それに小さな干魚がついている。
「残念だけど、今日は会合があるから、あんたたちの夕飯のお相伴はできないよ」
いたずらっぽい笑みを浮かべて、そのまま沖田はするりと布団部屋からいなくなった。
「なんていうか、本当に江戸時代なのかな」
「夢見てるんじゃないならね」
それから夜になって、2人は諦めて寝ることにした。
またあの魚臭い行燈の灯をつけるのはイヤだった。
電気の無い時代、人間は日の出とともに起きて日暮れと同時に眠る生活だったのが良く分かる。
その時、庭の方から声がした。
「誰だっ!そこに誰かいるのか!?」
誰何するその一声で、あとは静かになった。
賊が押し入ってきたのかと2人が身を固くして布団の影に隠れると、障子がスラリと開かれて、月明かりを背に黒い着物の男が部屋の前に立った。
「オレは敵じゃない。出て来てくれ。キミたちを元の時代に戻すために来た」
その言葉に驚いて、2人はすぐに布団の影から転がるように飛び出た。
「説明してる時間はない。黙って着いて来てくれ」
2人は無言で頷いた。
部屋から出ると、見張りの男が廊下に倒れている。
「まさか死・・」
「死んじゃいないよ。気を失ってるだけ。ショックガンさ。いいから早く」
低い強い口調で急かされて、2人はその男について奥の庭石を足場にして塀によじ登った。
塀の外側に縄梯子が架けられていた。屋敷に侵入する時に男が使ったものだろう。
男に続いて縄梯子を降りて屋敷の外の道に降り立つ。
あとはひたすら走った。
屋敷の中から大声が聞こえたと思ったが、振り向かずににひたすら走った。
2
辿り着いたのは、昨日2人が出会ったあの鳥居の前だった。
「間に合った」
男が腕時計を見る。
「あの、あなたは?」
環が訊ねると男が答えた。
「オレの名前はアカギシン。君たちよりさらに100年先の未来から来ている」
「100年先・・・?」
「そう。君たちが生きてる平成よりもね」
薫と環はボーゼンと顔を見合わせた。
非日常的な展開に、もはや頭がついていかない。
「じ、じゃあ・・この鳥居はタイムマシンなの?」
「ちがうよ」
アカギシンはちょっと笑っているように見えた。
「これはただワームホールの座標として使っているだけだ。ただの鳥居だよ」
「ワームホール?」
「時空間を超える穴さ。光より早く地点と地点をつなぐ」
時代劇のど真ん中に落とされたと思ったら、突如SF染みた話になってきたため薫と環はポカンとした。
環がつとめて平静に訊く。
「どうして・・鳥居が座標なの?」
「神社仏閣は何十年何百年と形も位置も変わらない。移動する先がどうなっているか分からないと事故が起きる」
「はぁ・・なるほど」
環はなんとなく理解しているようだが、薫はシンの言っていることはさっぱり分からない。
「良く・・分からないけど・・未来じゃタイムワープが実用化されてるんだ?」
「実用化はしてないよ。試作のままさ、何十年も。危険すぎて」
「危険?」
「宇宙旅行よりも人体への負荷が大きい。おまけに計算式は不安定解だ。ワームホールの安定した運用は今のところ望めない状態だ」
・・どこか辻褄が合わない。
「だって、あなたは未来から過去に行き来してるのに?」
「オレはただの大学生だよ。君たちが江戸時代に来たのは、オレの大学の研究チームが行ったテストのせいだ」
「テスト?」
「ワームループ人体テストのね」
シンは顔を少し下に向けた。
「初歩的なミスがあった。信じられないが座標の計算ミスさ。誰も気づかなかった」
淡々と続けた。
「君たちはタイムワープ事故に巻き込まれた。オレたちは速やかに事態を収拾し元通りにしなくてはいけない」
2人は腹立たしかった。
シンの声には薫と環に対する悪びれた様子が微塵もない。
「じゃあ、わたしたちが引き込まれた鳥居は間違って座標になっただけだけなの?」
「そうだ」
あっさりと認められて言葉を失った2人の耳に、シンのつぶやきが聞こえる。
「変だな・・。時間はとっくに過ぎているのに開かない・・」
暗闇で文字盤が光る腕時計と鳥居を交互に見ながらブツブツつぶやいている。
「どうしたの?元に戻れるんじゃないの?」
怒りを忘れて不安気に2人は訊いた。
「まさか・・また座標に狂いが生じたのか?」
シンの言葉に、2人もはや祈るように鳥居を見上げた。
その時、遠くから灯りが徐々に近づいて来ていた。
3
「追手が来たようだ」
突然、シンが冷静な声で言った。
提灯の灯がいくつか近づいてる。
「よりによって君たちが新選組に捕まるなんて予想もしなかったが」
シンは腰に差していた小型の銃のようなものを手に持った。
「オレはこの時代の人間に深く関わることは許されていない」
そう言うとシンは、鳥居をくぐって神社の奥深くの闇に走り去り、姿を消した。
薫と環は暗闇に取り残され、環がつぶやく。
「どうしよう・・」
薫が環の手を握った。
その時、草をかき分けて男が現れた。
「見つけた」
沖田の声だ。
ほかにも数人の男が後ろに着いて来ていた。
「無事か?」
沖田はキョロキョロと周囲を見回した。
「ほかに誰もいないのか?」
「・・いません」
2人は目配せしてから同時に答えた。
「ふぅん・・。屯所を怪しい男が襲撃して、あんたらを連れ去ったと聞いたが」
2人は黙っていた。
「まぁいい。あとは戻ってから聞くことにするさ。失態もいいとこだなぁ。土方さんから大目玉だ」
昨日と全く同じく、沖田の部下に両側から抑えられて屯所に連れて行かれることになった。