第五十八話 篠笛
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シンの言った通りに練習をして、薫と環の素振りは多少見られるようになった。
次の日、見廻りを終えた沖田がまた稽古をつけたが、2人の素振りがマシになったのを見ると、今度は構えを教えた。
昼飯の後は、環が山崎と薬種問屋に行くことになっている。
環は薫と違って、町まで出かけることが無かったので楽しみにしている。
「環ちゃん、準備できたかい?」
山崎が声をかけると、台所で薫と喋っていた環が慌てて駕籠を携えて出てくる。
「あ、は・・はい。いま行きます」
薫にいってらっしゃーいと声をかけられて、環は山崎と町に出かけた。
天気も良くて散歩日和だが、町の中心部に近づくにつれ火事の爪痕を生々しく目にすることになる。
焼けた廃屋を取り壊して新しく建て始めている家もあるが、大方は焼け残ったまま放置されていた。
桶を担いだり、路上にゴザを引いた物売りの姿がやけに目につく。
通りの向こうから笛の音色が聴こえて来る。
見ると通りの端で少年が横笛を吹いている。
(篠笛だ)
環はつい近づく。
育ててくれた雨宮の父が音楽好きで、小学校からフルートを習っていたのだ。
篠笛も練習し始めていたが、中途半端で辞めている。
篠笛の吹き方はフルートに良く似ているが、フルートより寂れた音色が風情がある。
「囃子方かぁ」
いつのまに後ろに立っていた山崎がつぶやく。
すると笛の音色が止んだ。
少年が2人を見る。
「おめぇ、猿楽士か?」
山崎の言葉に、少年が恥ずかしそうに首を振る。
「・・まだ修行中の見習いです」
「そっか、良い音色だったぜ」
山崎の言葉に環も頷いた。
「ありがとうございます」
少年は軽く頭を下げた。
「環ちゃん、もう行かねぇと。副長にどやされるぜ」
山崎が促す。
「あ、はい。すみません」
環も軽く頭を下げると、その場を後にする。
すると、また笛の音色が再開した。
2
「いいですねぇ、笛の音色って」
環の口は自然に軽くなる。
「なんだ、環ちゃん。笛が好きなのか?」
歩きながら山崎が訊く。
「あ、はい。ちょっと習ってたことがあって」
「へぇ」
まもなく薬種問屋が見えてきた。
問屋で調合してもらった漢方薬を駕籠に入れて屯所に戻る。
帰り道、あの笛吹き少年の姿はもう無かった。
環はガッカリする。
「ちょっと、寄ってくか」
島原にさしかかる辺りで、山崎が店ののれんをくぐる。
環がついて入ると、店先に横笛や尺八、太鼓が並んでいた。
(ここ楽器の店?)
「好きなの選びな、買ってやるよ」
山崎が軽く顎をしゃくる。
「え?」
環は目を見開く。
「い、いいです。そんな・・」
首と両手をブンブン横に振る。
「いいから、遠慮すんなって」
山崎が、少し乱暴に環の腕を引っ張った。
前に押し出される形になると、店主(あるじ)がニッコリと会釈する。
「おいでやす」
環は恥ずかしくて顔が赤くなる。
気を取り直して、陳列された笛を順番にみると、フルートに一番近い大きさの篠笛を手に取って見る。
「それか?」
山崎が訊くと、環は反射的に顔を上げる。
「親父、これくれ」
山崎が袖から財布を取り出す。
すでに環は、笛をしっかりと握り締めている。
3
「ありがとうございます、山崎さん」
環は顔を紅潮させている。
「いや、いっつも頑張ってもらってるからなぁ」
山崎はごくアッサリ答える。
屯所に戻ると、さっそく薫に笛を見せた。
「へぇー。環、笛吹けるんだ。すごーい」
「いや・・篠笛はそんなに上手く吹けないんだけど。どうしてもフルートっぽい音にしかならないんだよね」
環の照れくさそうな顔を見ると、薫は嬉しくなってくる。
「なんか聴きたい」
「え?」
「ねぇ、なんか聴かせてよ」
薫はわざとねだってみせる。
環はちょっと考える。
「そらで吹けるのって、部活で練習してた応援ソングばっかなんだよね」
「なんでもいいよぉ」
薫に促されて、環は久しぶりに歌口に唇をあてる。
環が吹く篠笛の音色は、軽快で澄んだフルートに近い音色である。
「あ、これ知ってる!」
曲調を聴いた薫がつい声を出す。
篠笛に合わせて小声で口ずさむ。
それは薫が小学校のクラスで習ったK○○の「愛○勝○」だった。
東日本大震災の後にもTVで良く聴いた。
新選組の屯所の庭に、平成の音楽が流れる。
最初は小声で歌っていた薫の声も、段々大きくなる。
最後まで歌い終わると、笛の音色が止んだ。
吹き終わった環が縁側の方を見ている。
薫も振り返ると、廊下に永倉と原田と山崎が立っていた。
しかも、土方と沖田と斎藤も並んで廊下に座っている。
どうやら笛の音色と歌声で、集まって来たらしい。
環と薫が固まっていると、永倉が拍手をした。
「良かったぜ」
不思議そうな顔で、山崎が訊く。
「初めて聴いたけど、えらい変わった曲だな。だれの歌だい?」
環と薫が顔を見合わせる。
「・・K○○・・」
沖田がつぶやいた。
「・・知らねー」