第五十四話 剣道
1
次の日の朝、薫と環は腕が上がらなくなっていた。
昨日の素振りで筋肉痛を起こしている。
起き上がる時には背中まで痛い。
「いたた・・」
環は腕をさする。
「・・今日も稽古あるのかなぁ・・」
薫が小声でつぶやく。
「多分・・これから毎日なんじゃない?」
環が答えると、そのまま2人は沈黙してしまった。
昨日あの後、沖田は戻らず、2人はそれでも黙って素振りを繰り返した。
100回終えた頃には、肩と腕がガクガク震えた。
その後も腕の痛みをこらえ、賄いやら洗濯やらの日課をこなしたのだ。
夕飯の後に布団部屋に戻った時には、気絶するように寝入ってしまった。
「なんか、剣道部にでも入ったみたい・・」
薫がゲンナリと言う。
なんでこの年になってから剣道なんか・・という気分である。
薫の学校の剣道部は、ほとんど小学生の頃から習っている部員ばかりで、遅い生徒でも中学校で始めている。
高校に入ってから、新しく剣道部に入る生徒はいなかった。
ちなみに薫自身は、中学の時はソフトボール部の外野手だった。
高校に入ってからは、アルバイト優先で部活はしていない。
環は中学の時、吹奏楽部でフルートを吹いていた。
やはり高校に入ってからは、勉強優先で部活はしていない。
なんだかイヤな予感がした。
沖田は元来飽きっぽいが、言いだしっぺが山南では言うことをきくしかない。
これから毎日シゴかれるかと思うと、薫と環は立ち上がるのも億劫になる。
2
この日も市中見廻りから戻った沖田に呼ばれ、土間で竹刀を握るハメになった。
薫と環のたどたどしい素振りを視て、沖田がボソリと言った。
「・・斜めになってんな」
薫と環がおそるおそる動作を止めた。
「おめぇら、どっちも竹刀が真っ直ぐ振られてねぇ」
沖田は言葉が少ないので、分かりずらい。
薫と環は、困ったように顔を見合わす。
「右手に余計な力入れるからそうなるんだ」
言いながら沖田が、薫と環の間に立って竹刀を構えた。
ヒュン
空気が切られる。
「ほら、やってみな」
沖田の動作を真似て振りかぶるが、薫と環が振り上げた時、すでに竹刀は頭上で左によれている。
振り下ろす時、無理に軌道修正するので斜めになる。
「・・・」
薫も環も、自分たちの振りがなぜ真っ直ぐにならないのか分からない。
「もう時間だ」
沖田が竹刀を肩に乗せて振り向く。
「右手使わず左手で素振りやってみろ。200やったら終わりだ」
「にひゃ・・」
薫と環の顔が歪む。
沖田はそれだけ言って、さっさといなくなってしまった。
正味10分の撃剣師範である。
「時間って・・昼寝の時間かな」
「さぁ・・」
それでも、沖田がいなくなると気楽になる。
2人は諦めたように素振りを再開した。
3
左手だけの素振りはさらにキツイ。
腕の血管が、段々に浮き上がってくる。
「い~た・・い」
薫が竹刀を降ろした。
環は先に止めてしまって、土間にしゃがみこんでいる。
何回素振りしたのかも覚えていない。
「もう腕、上がんないよぉ~」
環が顔を地面に向けて、うめき声を上げる。
薫は腰に片手をあて、もう一方の手で竹刀を杖のようにつく。
息をついてから顔を上げると、土間の入口にシンが立っていた。
しばらく前からそこに居たように、腕組みして頭を入口の柱にもたせている。
「シン・・」
薫の声で、環も顔を上げる。
「よ、ガンバってんじゃん」
シンが薄笑いを浮かべて歩いてくる。
薫と環は眉をひそめた。
「なんなのよ、いつからそこにいたの」
「見物してたってわけ?・・アクシュミ・・」
薫と環が不機嫌な声を出す。
「ああ、悪かったよ。邪魔しちゃ悪いと思ってさ」
「ふん」
2人は何故か、シンには強気だ。
「あのさぁ」
中に入ってきたシンが、2人に声をかける。
「壁のなるべくそばに立って、2人で向かい合わせで素振りするとフォームのチェックがしやすくなるよ」
薫と環が驚いてシンを見る。
「なによ、ひょっとして剣道の経験あるの?」
環が立ち上がる。
シンは曖昧な表情をした。
「・・オレ、洗濯もん残ってっから行くわ」
質問に答えず、それだけ言ってシンは土間からいなくなる。
薫と環はしばらく黙っていたが、先に薫が口を開く。
「やろっか」
「うん」
環も頷く。
壁に沿って向かい合わせで立って、2人で素振りを再開した。