第五十三話 鬼退治
1
井上は部屋で晩酌している。
奉行所の官舎の一室で、一人で手酌をするのが寝る前の日課だ。
枡を口にあて、酒をすすりながら、異人を襲ったチンピラ連中の言葉を思い出す。
弥彦と同じ組の若い衆で、祭り時には我物顔で夜店を練り歩いている連中だった。
あの夷人を助けた日の夜。
弥彦に引っ張って来られた4人は、番所の裏にある樹の下に大人しく立っていた。
「・・で、誰が最初に見つけたんだ?」
井上が低い声で訊いた。
腕を組んだ手には十手が握られている。
右端の小男と、右から2番目の色黒な男がオズオズと手を上げる。
「わ、わてらどす」
井上が男を眺める。
「・・そん時のこと、話してみろ」
「へ、へぇ・・ほな」
井上に言われて、右端の小男が話を始めた。
猪が里に出て畑を荒らしたり人を襲ったりするので、麓を捜索して捕まえることになったのが事の始まりだった。
町役に頼まれて、組で若い連中を出すことにした。
先ず、罠を仕掛ける手筈だった。
猪は日中良く動き回るが、夜間でも活動している時があるので、日の出前に捕獲活動を開始した。
町外れから麓まで歩いているうちに、東の空が白々と明けて来る。
2組に分かれ、猪が生息している痕を探す。
泥地や擦れた木肌などがそれにあたる。
「ウリ坊め・・どこおるんや」
色黒の男がつぶやく。
すると、小男が突然立ち止まった。
「どしたん?」
色黒が振り向くと、小男が指を指して何かを見ている。
「なんや、おったんか?ウリ坊か?」
「・・お・・お・」
小男は言葉にならない声を漏らす。
「なんやどしたんや?」
視線の先に顔を向ける。
そこに目を疑う光景が見えた。
2
神社の参道にある鳥居の門が、そこだけ夜の闇色に切り取られている。
その闇の中から人影が現れて、徐々にハッキリとした姿を現す。
遠目に見ても、自分達の倍もあろうとかいう身の丈。
燃える火のような朱い巻髪。
高い鷲のような鼻。
目は闇の中で、金を帯びた薄茶に光っている。
「お・・鬼や・・」
小男から声が漏れる。
「に、逃げ・・逃げ・・」
色黒も声を出す。
2人はしゃがみこんで、林の中を這うようにして逃げ出した。
しばらく這って進むと、分かれたもう1組の2人が見えた。
罠を仕掛けているらしい。
「に、に・・にいさん、にいさん」
「なんや?どしたんや?出たんか、うりっこのヤツ」
「お、鬼や。鬼が出たんや」
「鬼?」
2人が軽く笑う。
「なに、けったいなことゆうてんねん」
「ほ、ホンマや。鳥居から鬼が出て来たんや」
2人は真顔になった。
小男と色黒の顔が恐怖で歪んでいる。
4人は鳥居の方に移動した。
身体を低くして、ゆっくりと進む。
すると鳥居の前に、六尺を上回る丈の人影が立っている。
頭は頭巾でグルグル巻きにしていた。
「あ、あれや。血ぃみたいな赤い髪やったんや」
すると、黒い頭巾が振り返った。
顔の中心に金色に光る目が2つある。
「あ・・あわわ・・」
3人は腰を抜かした。
しかし1人は、持っていた棍棒を強く握り締める。
「な、なに腰抜かしとんのや。あ、あんなもん、殺ってまうんや」
「せ、せやかて、にいさん」
「いくでぇ、うぉぉー」
3
奇声を上げて打ちかかる。
鬼はその場で無防備に立ちすくんだままだ。
棍棒でむこう脛を一撃すると、ギャとうめき声をあげて鬼が倒れる。
そこに、さらに打ち込む。
頭を庇っている鬼の腕をしたたかに打つ。
それを見ていた3人も、鬼がやられっぱなしと見て、一緒に棍棒でたたき始めた。
頭を庇う腕がダラリと下がったところで、額に一撃を打ち込むと鬼はそのまま気を失った。
閉じた瞼で瞳は見えないが、頭巾から朱い髪がこぼれて広がっている。
「し、死んだんか?」
「ど、どうすんのや?これぇ」
「頭にゆわんと・・」
「うり坊どころやないで・・」
4人は、目の前で倒れている鬼を囲んで立ちすくんだ。
鬼を退治したら、その後どうすればいいのだ。
鬼の仲間がいたらどうなるのだ。
もしかして、とんでもないことをしたのか?
いや、これは物の怪なのだ。
退治されて当然の鬼なのだ。
自分たちは鬼退治した英雄なのだから、堂々と組の頭に報告すればいいのだ。
しかし結局、4人は組に報告はせず、町で武勇伝を吹聴して回っただけだった。
これが、番所の裏でチンピラ4人が語った内容である。
「なるほどな」
事の顛末を聞いて、井上は4人の顔を順番に眺めた。
「おめぇら、とんでもねぇことしたな」
井上の言葉で、4人がビクッと顔を上げる。
「昔っから、鬼は祟ると言われている。末代までな」
4人が大きく目を見開く。
「このままじゃあ、おめぇらそのうち原因不明の病でポックリ逝っちまうかもなぁ」
4人が青ざめる。
「だ、旦那ぁ、堪忍やぁ。た、助けとくれやす」
泣き声で井上にすがりつく。
「・・分かった」
井上がわざとらしく頷く。
「オレに任せな。あの鬼、手厚く葬ってキッチリ祓ってやる。おめぇらこの事は他言無用だ。人の口に登ると良くねぇ噂も出てくるからな」
「お、おおきに、おおきに」
4人は何度も井上に頭を下げた。
ところで、あの鬼は死んでなどいない。
そのことを知っている弥彦は、井上の小芝居を複雑な顔で見ていた。