第五十二話 師範
1
「沖田くん、ちょっといい?」
山南が朝飯の後、沖田に声をかけた。
「なんですか?」
藤堂が江戸行きで不在の間、八番隊の指揮をほかの組長が持ち回りで行う。
土方が作った新しい勤務割りを沖田は眺めていた。
「薫ちゃんと環ちゃんに、剣の稽古をつけて欲しいの」
山南の申し出に沖田は一瞬キョトンとする。
「はぁ?」
「時間がある時でいいのよ」
山南はにこやかな顔で言う。
「・・冗談。ズブの素人の稽古なんざ、平隊士にでもやらせてください」
沖田はすげなく断る。
「ダメよ。あの2人の見張り役は沖田くんですもの」
沖田は黙って山南の顔を見た。
「2人を新選組の隊士だと思い込んでる人もいるでしょ」
山南が声を低くする。
「隊の人手が足りてないのは分かるでしょ。なんだかんだで、薫ちゃんと環ちゃんは良い働き手になってるの」
山南が腕を組む。
「屯所のお使いを頼んだりもしているから、ほかの隊士と同じく、敵の襲撃を受ける可能性もあるわ」
このところ、薫と環が屯所の外に出る機会が増えている。
必ず誰か隊士が同行はしているが、壬生村の農民は稽古着で出歩く2人を隊士見習いとでも思っているかもしれない。
「いざって時のために、最低限の護身術は身に着けてもらいたいの」
山南の言葉に、沖田が息をつく。
「・・女なら、薙刀術のほうが良くねぇですかね」
やんわり断ると、山南が笑って言い返す。
「ここにあるのは剣と槍だもの。槍じゃ目立って仕方ないわ」
2
実は、山南が沖田に2人の稽古を押し付けた理由はほかにもあった。
沖田は撃剣師範だ。
隊士の剣を指導しているが、どうも教えるのに向いていない。
自身が天才剣士のせいか「なんでこんな簡単なことができないの?」という理屈になってしまう。
デキル人間は、デキナイことが理解できない。
そのせいか、稽古の時に飛ばす檄が凄まじい。
鬼呼ばわりされている土方のほうが、師範の時には沖田よりは全然優しいと評判だ。
沖田のハードルは高過ぎる。
素人の手習いでもやらせれば、少しユルくなるのではないかと思った。
「沖田くんって、極端過ぎるのよね」
山南が良く言う言葉である。
非番の時はダラケきった昼行燈のくせに、稽古に入るといきなりパトランプに豹変だ。
しかし、肝心の薫と環の反応もイマイチだった。
「剣の稽古ですか・・?」
薫が訊き返すと、山南はニコニコ頷く。
「そ。町がますます物騒になってるから、あなたたちにも護身術は必要よ」
「でも・・」
ノリ気でない声が出る。
もちろん死にたくはない。
だが、人を傷つけるのもイヤだ。
沖田に教わると聞いて、余計に腰が引ける。
薫も環も、稽古で激昂する沖田の姿を何度か目にしている。
ハッキリ言って、相当コワイ。
2人が黙っていると、山南が手拍子を打った。
「はい、決まりね。沖田くんが時間がある時、あなたたちに声かけるから」
「えっ・・で、でも」
顔を上げると、山南の後ろにいつの間に来たのか沖田が立っている。
「お、沖田さん」
薫が慌てた声を出す。
「稽古はじめるぜ」
「あら、沖田くん」
山南が振り向く。
「さっそく始めてくれるのね、良かったわぁ」
薫と環の稽古は開始した。
3
「そんなに時間無いからな」
沖田のテンションは低い。
2人に稽古をつけるのが、相当面倒くさいらしい。
炊事場に続く土間はかなりの広さである。
雨天の時などは、隊士達もこの土間で鍛錬をしている。
沖田が2人に竹刀を持たせる。
「まず、持ち方」
沖田が竹刀を握ってみせる。
いきなり始まったのを察して、慌てて2人も沖田の真似をして竹刀を握る。
「左手で持て。右手は添えるだけだ」
「構え」
沖田が刀を構える。
「振り」
上段から振り下ろす。
ヒュン
一瞬、空気が切られる。
上から下に、揺れなく真っ直ぐに振り下ろす。
「ゆっくりやってみろ。背筋を伸ばして、視線を一点にして、真っ直ぐに竹刀を振り下ろせ」
沖田の言葉で、薫と環も人生初の素振りを始めた。
静かに同じ動作を繰り返す。
そのうちに、どんどん腕が痛くなってくる。
額に汗が滲む。
沖田は柱に寄りかかって、フテたように腕組みをして見ていたが、ふと柱から身体を離す。
「そろそろ行かねぇと」
その言葉で2人が素振りの動作を止めると、いきなり沖田に怒鳴られた。
「勝手にやめんな!あと100回だ!素振り100回やったら今日は終わりだ」
そう言い捨てて、そのまま沖田はいなくなる。
薫と環は一瞬迷ったが、仕方なく素振りを再開した。
(なんでこうなったんだろ・・)
幸先不安な面持ちである。