第五話 沖田
1
「昼飯だよ」
沖田が無遠慮に障子を開けると、薫と環は身を固くした。
「あれぇ、思ったより全然似合ってるじゃない。新入隊士みてぇだ」
2人は着ていた服を脱ぐように命じられ、替わりに隊士の稽古着に着替えていた。
薫はポニーテール、環はボブカットのせいか、妙に男物の着物が似合っている。
ちょっとした美少年の風情だ。
「女の着物を着れねぇなんて、今までどうゆう暮らししてたのかなぁ」
2人は黙り込んでいた。
着物の着付けなぞ今まで習ったこともない。
「まぁ言いたくないなら仕方ないね」
沖田の手には握り飯とお茶と漬物が載った盆がある。
2人は置かれた皿を見つめていたが、環が突然、核心的な問いを口にした。
「いまは何年なんですか?」
「どうしたの?いきなり。元治元年でしょうが」
「元治・・江戸の人って白米ばかり食べてビタミン不足だったって聞いたことある」
環が握り飯に目を落としながらつぶやいた。
「びたみん?」
薫が慌てて遮る。
「な、なんでもないです」
当の環は素知らぬ顔で、黙々とまだ温みのある握り飯を食べ始めた。
相変わらず味のない白ごはんである。
「あんたら、やっぱヘンだよねぇ」
薄く笑いながら沖田が優しげに言った。
2
見張り番に飽きると、沖田はまた部下に任せて通常の勤務に戻った。
京の町の見廻りや不逞浪士の取り締まりが主だが、隊士の指導もしている。
時間が空けば近所の子供達と遊んだり、あとは屯所で寝て過ごすのが日課だ。
土方が昼行燈と言ったのはこのせいである。
ほかの隊士のように町に遊びに出るわけでもなく、見廻り以外はほとんど屯所の周辺で過ごす。
平隊士の中には沖田を2つ人格の持ち主だと言っている者もいる。
剣の師範をしている時の沖田の檄があまりに激しく、普段のだらけた姿からは考えられない怖さを見せるためだ。
沖田は何事も興味や執着を持たないため、たいていのことは「どうでもいいこと」である。
昨日の夜つかまえた2人の素性にもさして興味は無かったが、沖田は2人に悪印象を持っていなかった。
薫と環の清潔さは好もしい。
屯所内の庭で山南をみかけた沖田が声をかけた。
「ねぇねぇサンナンさん、びたみんって知ってます?」
「聞いたことないわねぇ。なんなのそれ?」
「あの娘達が言っていたんですよ。ここの食事がびたみん不足だって」
「ふぅん?」
「あの2人、面白いかもしれませんね」
3
薫が障子の隙間から覗くと、沖田ではない隊士が廊下の前の庭に立って入口を見張っていた。
「沖田さんはいなくなったみたい」
薫がふぅーと息をついた。
沖田という男は良く分からない。
廊下でグゥグゥ熟睡しているのに、障子に近づいたり手をかけたりすると、突然顔を上げたりアクビしたりする。
こっちの動きを悟られているようで、隙を見つけることは出来そうになかった。
「沖田総司って・・確かものすごく強くて、最期に脚気で死んじゃうんじゃなかった?」
「脚気じゃなくて結核」
環が即座に訂正した。似て非なる言葉である。
「あ、そっか」
薫は時代劇にまったく興味がないのので、教科書に出るほどの有名な話でないと歴史上の事件のことなど知らないのである。
しかし、ついさっき言葉を交わした沖田が結核で亡くなると思うとなんだか沈んだ気持ちになった。
「土方歳三は知ってるよ。修学旅行で北海道の五稜郭に行ったから」
「へぇ、わたしの学校は京都奈良だった」
「あー、あたしも京都行きたかったー」
一瞬、2人は無言になった。
いままさに京の町に来てしまったのかもしれないのだ。
しかも時を超えて。
元治元年。
元治がいつなのか薫は分からなかったが、江戸時代であることは確かだ。
「江戸時代ってゴハンばっかでおかずないの?」
薫の質問に環が答える。
「無いわけじゃないと思うけど・・漬物とかが多かったんじゃない?やっぱり」
「肉とか魚とか野菜とかは?」
「分からない。けど、冷蔵庫も冷凍庫も無いんだから、地場で採れたものしか食べられなかったと思うよ」
「あ~もう、あたしは絶対に現代に戻ってチキンクリスプ食べるんだ」
薫は100円マックが大好きだ。
「わたし、モスのクラムチャウダーが食べたい」
環が言うと、2人はまた黙り込んでしまった。
現代から離れて恋しくなるのはなぜかファーストフードばかりである。