第四十八話 夷人
1
「どうだ、先生。助かりそうか?」
井上が安斎の手元を覗きこむ。
安斎は、夷人の片目を指で開かせて、ろうそくの火を揺らし瞳孔の反応を見ている。
井上と沖田は、夷人の瞳を見てギョッとした。
薄茶というよりほぼ金色に近い瞳は、禍々しい異形のもののように見える。
「・・ひょっとして、ホンモンの鬼なんじゃねぇか?」
本気とも冗談ともつかない声音で沖田がつぶやく。
ふぅーと息をついて、安斎が立ち上がる。
「命に別状ねさそうだ。まずこのまま様子見るべ」
安斎の言葉で、井上と沖田も息をつく。
「ありがとよ、先生。また借りが出来ちまったな」
井上が礼を言うと、安斎がすぐに返した。
「おお、そのうちまどめて返してけれ」
「ああ」
笑って答えると、井上は玄関のほうに目をやった。
「今日は、先生んとこの小っこいのはいねぇのか」
「童たちぁ、近所の子守りさ預げでる」
「帰って来たらビックリすんだろ。鬼見たら、ひきつけ起こすんじゃねぇか」
「・・このまま置いでぐつもりが?」
「仕方ねぇよ。うっかり外に出したら、今度ぁホンモンの夷人斬りに殺られちまう」
どうやら、安斎は若いが子持ちらしい。
井上の勝手さに、沖田もやや呆れていた。
だが、安斎はこういう井上に慣れているのか落ち着いたものだ。
「まったぐ・・あんたって人ぁ・・」
やれやれと言った感じで、安斎は首の後ろを掻いた。
「総司。おめぇは非番だ。なにも見なかったことにしろ」
井上が、横にいる沖田を見ながら言った。
2
「なんだよ、それぁ?」
沖田が井上に向き直る。
「言った通りさ。おめぇはなにも見なかった。鬼も・・異人もな」
井上の言葉に、沖田は無言で見返した。
「横浜なら居留地があるから異人がいても不思議ぁねぇが、ここは京だ。幕府の客以外、異人はいねぇ」
井上の言葉を沖田は黙って聞いている。
「どっから湧いてきたのか知らねぇが、こいつの身元はオレが洗う」
「どうすんだよ」
沖田が口を開いた。
「居留地見廻役に、失踪した異人の届出がされてねぇか聞いてみるさ。あとぁ密入国の線だな。こいつは役所の管轄だ。新選組の出番はねぇ」
「・・夷人斬りやらかす浪士取り締まんのぁ、新選組の仕事だがな」
沖田がそらっとぼけた口調で言った。
「総司、勘弁してくれ。新選組が絡むと、なんでも話がでかくなるんで困る。どうにも派手好きだからな」
井上の言葉は多少不快だったが、沖田も若干頷けるところがあった。
「白黒つけず、サラッと流した方がいい事もあんだよ」
井上は含むような口ぶりで言った。
「・・廻り方の言いそうなこった」
沖田は一息ついて立ち上がった。
「じゃあ・・オレぁもう帰ぇるぜ。ここにいても、しょうがねぇや」
「ああ、沖田さん」
立ち上がった沖田に、安斎が声をかける。
「いがったらこれ、持ってってください」
小さな風呂敷の中に、紙に包まれた薬が入っている。
沖田が黙っていると、安斎が続けた。
「滋養の薬です。煎じて飲んでみてください」
安斎はニコニコ笑っている。
「先生の薬は効くぜ。オレも風邪ひいた時、一発で治った」
沖田は袖から財布を取り出す。
薬礼を渡すためだ。
「いや、結構ですよ。飲んでみで、いがったらまたいらしてください。お代は次に頂戴しますんで」
安斎は断ったが、沖田は黙って板の間に小銭を置いた。
「わだし、木屋町の南部精一郎先生の診療所で働いでますんで」
玄関に行きかけた沖田に、後ろから安斎の声が聞こえてきた。
それっきり、安斎には逢っていない。
3
あの後、京の町の情勢が不安定になって、沖田は新選組の仕事で忙殺された。
その後、禁門の変が起きて、夷人のことはずっと頭から消えていた。
安斎が働いていた診療所の院長、南部精一郎は会津藩医だ。
おそらく安斎も会津藩の出だろう。
どうりで、沖田の耳に馴染みのある訛りだった。
その木屋町は、禁門の変の大火事で焼野原になっている。
京の町では、焼けた廃屋を打ちこわし、新しく建て直しが始まっていた。
あの火事で、安斎が命を落とした。
井上にそのことを告げられて、沖田は自分でも驚くほど気落ちしている。
(・・良い先生だった・・)
そんなことを考えながら歩いていると、もう屯所の門が見えている。
「あ、沖田さーん。おかえりなさい、遅かったですね。もうみなさん、お昼ゴハン食べちゃいましたよ」
門の中から、沖田の姿をみかけた薫が大声で声をかける。
沖田はなんとなく安堵した。
「・・ああ、ちっと野暮用で遅くなった」
薫は腕に野菜を抱えている。
「見てください。農家の方から野菜分けてもらったんです。夕飯はおひたし付けますね」
「へぇ、そいつぁ豪勢だ」
おひたしを豪勢とはとても言えないが、いまは野菜も貴重だ。
「あ、環。見て見てー、野菜分けてもらったよー」
向こうから歩いてくる環をみつけて、薫がすぐ走り寄る。
「え、ほんと?すごーい。ここんとこ、生野菜なんて食べてなかったもん」
環も野菜を見てテンションを上げている。
沖田はその様子を離れて見ていた。
薫と環がはしゃでいる姿を見ていると、落ち込んでいた気持ちが癒される。
(こいつらも薬みてぇなもんだな)