第四十七話 安斎
1
しばらくして、弥彦が萌黄色の甚兵衛姿の男を連れて戻って来た。
「先生、はよう」
弥彦が声をかける。
「やれやれ。いったい、なんなんだ」
弥彦が連れて来たのは、診療所の勤務医の安斎である。
以前、井上が捕り物で怪我を負った時に手当をしてもらって、その後もなにかと世話になっている。
「先生、こっちだ」
井上が手を上げると安斎が気付いた。
「井上くんが」
安斎の言葉には、不釣り合いな東国訛りがあった。
「すまねぇな、いきなり呼びつけちまって」
「いや、いつものこったげど。なにした?」
「これを診てくれ」
井上の目線の先にあるものを見て、安斎は目を見開く。
「こりゃ・・夷人(いじん)でねが」
「鬼だよ、鬼。なぁ、先生。どうだ、助かるか」
安斎はすぐに膝をつくと、首や手首の脈を取り始めた。
弱いが脈はある。
「おい、あんだ。聞げるが?」
夷人の耳元で安斎が声をかけるが、反応が無い。
「危ねな・・すぐ手当しねど」
夷人の額の傷を見た。
「先生の家はこっから近ぇ。運んでもいいか?」
井上の問いに安斎が顔を上げる。
「わだしの家にが?」
「ああ」
安斎は少し考えていたが、目の前の夷人を見て心を決めたらしい。
「わがった。すぐ連れでご」
そう言うと立ち上がった。
2
「弥彦、おめぇ、この鬼担げ」
井上が弥彦に言うと、弥彦は驚いて口をパクパクさせる。
「わ、わてがでっか?」
「そうだ」
弥彦は小柄だが、町でも指折りの力自慢である。
米二俵を軽く担ぐ。
「か、堪忍やで、旦那。鬼なんて担げへん」
弥彦が断ると、井上が声を潜める。
「ここでおめぇがやらねぇと、この鬼ぁ死んじまう。祟りはこえぇぞぉ」
弥彦は目を見開いて、ガタガタと震えだした。
単純で疑うことをしないので、井上の言うことをなんでも鵜呑みにする。
結局、弥彦が夷人をおぶって、町外れの安斎の家に運ぶことになった。
井上と沖田と安斎が3人がかりで、かがんだ弥彦の背中に夷人を乗せ、井上が羽織で夷人の頭をスッポリと隠した。
先頭を歩く井上の後に、震えながら夷人を背負った弥彦が続く。
両側に分かれて、沖田と安斎が続いた。
「泣いてんじゃねぇよ」
目からボロボロと涙を流している弥彦に、沖田が声をかける。
「・・うっ・・ううう・・」
「涙ってぇのは縁起が悪ぃもんだ。祟られるぜ」
沖田の言葉で、弥彦のうめき声がピタリと止まる。
(なんか、おもしれぇな)
「あまり脅すもんでねぇよ。弥彦さんかわいそうだで」
安斎が苦笑する。
「お侍さま、井上さんと同じ廻り方ですか?」
沖田に問いかけた安斎に、井上が答える。
「違うよ、先生。新選組だよ、こいつは。沖田総司ってぇ、聞いたことあんだろう」
「ほう・・」
安斎が沖田の方を見る。
京の町で鳴り響いた新選組の沖田総司が、意外にも優男なのに驚いているようだ。
その時、沖田が咳き込んだ。
3
ゴホゴホと咳き込む沖田に、井上と弥彦が立ち止まって振り向く。
「おい、総司。大丈夫か?」
「ああ、大丈夫だ。かまわねぇで行ってくれ。すぐ追っつく」
咳き込みながら、沖田が答える。
言われた井上と弥彦は、そのまま先に進んで行く。
安斎は咳き込む沖田を立ち止まって見ている。
「夏風邪でも引ぎました?」
背中を丸める沖田に、安斎が声をかける。
「・・ああ・・」
「咳を抑える薬がありますから、煎じましょう」
「いや・・必要無い。薬ならある」
そう言って口元を拭う沖田の手の甲には、薄っすらと血の痕が残っている。
「・・どうやら、あんた。胸を患ってるようだ。無理せんことだ」
安斎は医者らしい落ち着いた口調で言った。
沖田は何も答えなかった。
もう、咳は止まっている。
麓を抜けて町外れに入ると、長屋の一番手前にある安斎の家に着いた。
井上と弥彦は先に着いて、板の間の上に夷人を寝かせている。
「おう、総司。大丈夫か?」
沖田が玄関から入ると、井上が振り返る。
「ああ、なんともねぇ」
沖田は寝ている夷人を見下ろす。
安斎が箪笥の引き出しから真新しい布を持って来る。
湯を沸かし、濡らした布で血を丁寧に拭き取り、酒で傷口を洗う。
薬草を煎じた汁を布に付けて傷口を抑える。
井上は立ち上がると、玄関先に立っている弥彦に低い声で耳打ちした。
「夜までに、鬼退治した連中を探し出して番所の裏に連れて来い。鬼は死んだことにしろ」
弥彦は顔を上げて頷くと、すぐに走り出した。