第四十六話 赤鬼
1
東御役所から帰る道すがら、沖田はあの日のことを思い返した。
禁門の変が起きる数日前。
その日、沖田は非番だった。
「おめぇ、仕事はどうした?」
沖田が、碁盤の向こうであぐらをかいている井上大助に言った。
「まぁ、ぼちぼちな」
井上が、碁石を手の平で弄ぶ。
「ったく」
パチン
沖田が盤の上に石を置く。
「同心のくせに、フラフラしやがって」
壬生村の会所の縁側で、沖田と井上は碁を指している。
どちらも強くないので、相手には丁度いい。
「そういやぁ、初めて駕籠に乗ったけど、ダメだわ。酔ってアゲちまった」
言いながら、井上が石を盤に置く。
「オレぁ、乗ったこともねぇな」
沖田が袖に入れた碁石をジャラジャラと鳴らす。
「乗らねぇ方がいい。揺れて、気持ち悪ぃのなんのって」
どうでもいい話をしながら、2人で緊張感のない碁を打っている。
井上大助は、新選組六番隊組長、井上源三郎の親戚筋にあたる。
その縁で、江戸の試衛館道場によく顔を見せていた。
源三郎の家は八王子千人同心を出している家だが、大助の家は江戸の商家で同心株を買い武家に成りあがったらしい。
同心の中でも廻り方と呼ばれる部署は犯罪者と接するため、ほかの役人から「不浄役人」と蔑まれているが、黒の着流しが粋で町人からはけっこう人気があった。
飄々とした一匹狼の井上は、沖田と馬が合った。
腕も立つので、昔から良い稽古相手である。
京に来てからも、ちょくちょく新選組の屯所に寄っていた。
そしてあの日も、井上はフラリと屯所に現れた。
2
「町はどうだ」
沖田が訊くと、井上は碁石で頭を掻きながら答える。
「あんなもんなんじゃねぇの」
「なんだよ、それぁ」
沖田が不機嫌な声を出す。
なんでも「どうでもいい話」にする悪い癖が井上にはある。
「まぁ、あっちこっちで騒いでんなぁ。戦が起きるんじゃねぇかってよ」
仕方なさそうに井上は話し出す。
「あながちハズレでもねぇだろう。あんだけ派手な騒ぎ起こしちゃあ」
「なんでぇ、騒ぎって」
沖田が目を上げる。
「池田屋さ。総司、おめぇも出張ったんだろう」
「・・・」
「長州の連中、黙ってねぇぞ。おめぇら、火に油注いだんだよ」
井上は盤の上で、碁石を持った手を迷わせる。
「・・早く(石)置けよ」
パチン
沖田に催促されて、井上がやっと盤の上に石を置く。
「そういう、おめぇも。攘夷浪士にゃあ、手ぇ焼いてたろう。大助」
沖田が碁石を手の平で弄ぶ。
「ふん・・」
池田屋事件の前、京の町では過激派攘夷志士による「天誅」と銘打った人斬り行為が頻発していた。
すると、会所に続く田舎道を駆けて来る者がいる。
「旦那ぁ~、井上の旦那ぁ~」
若い男が大声で両手を振りながら近づいてくる。
的屋(てきや)の弥彦( やひこ)だ。
弥彦は井上が使っている目明しである。
的屋稼業をしながら、小遣い稼ぎに御用聞きもやっている。
二束のわらじのチンピラだ。
祭りで酔って喧嘩騒ぎを起こした時、井上に見逃してもらって、替わりに口問いの仕事を引き受けた。
「やっぱ、ここいはったね」
ぜぇぜぇしている弥彦に、井上が座ったままで顔を向ける。
「どうしたんでぇ、やけに慌ててんじゃねぇか」
息を整え弥彦が答える。
「どないもこないも・・」
「どうしたい?」
「あっちゃの山ん麓に鬼が出たぁっちゅうて・・血の気の多いモンが、鬼殺したるちゅうてかちわったらしいて」
「ああ、鬼?」
井上と沖田が笑うと、弥彦が勢いこんで続ける。
「それが、ホンマモンらしいんでっせ。旦那方」
3
井上と一緒に沖田も弥彦に案内され、町の外れから麓に進んで行った。
「組のガキどもが木刀やらなんやらたないで、何人かで行きよったらしい」
まもなくすると、遠くに大きな鳥居が見えて来る。
「あっこや」
弥彦の足取りが速くなる。
高く茂った草の中に、黒い着物を着た人間が横たわっているのが見えた。
「待て、弥彦」
進んでいく弥彦を止めて、井上が前に出る。
沖田も続いた。
そこに横たわる姿を見た時、目を疑った。
身の丈は軽く六尺以上、肩幅も手もガッチリと大きく、ふくらはぎに筋肉が盛り上がっている。
髪の毛は火のように朱くクルクルと巻かれ、後ろで一本に縛ってある。
眉も睫毛までも朱く、肌は豆腐のような白さだ。
鼻は高く鷲の嘴のようにとがって、顎が長く割れ目がついている。
つむった目は、眉の下に影をおとし、深く落ち窪んでいる。
「こいつぁ・・」
井上の口から思わず声が漏れる。
「あわ・・あわわ・・・」
弥彦はあとずさる。
「お、鬼や・・ほ、ホンマモンや・・」
ガタガタと震えている。
井上はかがみこんで、しげしげと見ている。
弥彦が鬼と呼んだ人間は、額から血を流し気を失っていた。
身体中に青あざや裂傷がある。
おそらく数人がかりで、木刀や棍棒の類で滅多打ちにされたのだろう。
沖田もしゃがみこんだ。
「・・死んでんのか?」
「いや・・」
井上は立ち上がると、後ろで震えている弥彦に言った。
「おい、こいつぁやべぇぞ。ホンモンの鬼だ。祟られるぜ」
井上の言葉に弥彦が目を見開く。
「わ、わてはなんも・・」
「死んだら末代まで鬼は祟るぜ」
弥彦はもはや涙目になっている。
「いいか。すぐに町に降りて、診療所から安斎先生を呼んで来い」
弥彦はコクコクと頷いた。
「町の連中に鬼の話はするなよ」
井上が言うと、弥彦は頷いてすぐに走り出した。
沖田がしゃがんだまま、振り向かずに言った。
「角がねぇぞ、大助。鬼じゃねぇだろう。どうすんだ」
井上も振り向かずに答える。
「どうっすっかな・・鬼よりやべぇかな」