第四十四話 長屋
1
隊士は翌日から、通常の市中見廻りに戻った。
「アカギシン?誰ですか、そりゃ」
斎藤が訊き返すと、山南が答える。
「身元不明のからくり技師よ。ま、ウソでしょうけど。薫ちゃんと環ちゃんのお仲間みたい」
「薫と環の?」
今度は藤堂が訊き返す。
部屋には、山南、斎藤、藤堂の3人だけだ。
「あなたたちの部屋に入れるわ」
「なんでですか?」
「要するに、見張れってこと」
山南の言葉に、藤堂と斎藤は腑に落ちない顔をする。
「わざわざ見張るほど、危ねぇガキなんですか?そいつぁ」
「そうねぇ・・おそらく。以前、屯所に侵入して薫ちゃんと環ちゃんを連れ出したのは、多分あの坊やよ」
山南のこの言葉に、藤堂と斎藤は黙り込んだ。
「しゃあねぇなぁ」
藤堂が腕をまくるが、斎藤は渋い顔だ。
「んなガキ、預けられてもなぁ。からくり技師なら、山崎さんとこのが良いんじゃねぇの」
山南は首を振る。
「ダメダメ。山崎くんは、監察で昼も夜も部屋を空けることが多いから、見張りなんてムリ」
「諦めようぜ、斎藤」
藤堂が声をかけると、斉藤が息をつく。
「わぁーったよ」
山南はニッコリ笑って立ち上がる。
「良かった。じゃあ、さっそく今日からお願いね。日中は下働きさせておくから、あなたたちの手は煩わせないわ」
こうしてシンは、新選組の屯所に留め置かれることになった。
2
庭に山積みされた洗濯物を見ながら、シンはうんざりしている。
隊士たちの稽古着の洗濯を言い付けられたが、尋常の量ではない。
夏の暑い盛りに全部手洗いしてたら熱中症になってしまう。
「おねがいね」
ニッコリ笑う山南の顔を忌々しく思い出す。
(人使いの荒いオッサンだぜ)
ぶつぶつと小言を言いながら、それでも取りかかろうとするが、よく考えるとシンはこんな大量の洗濯を手洗いでしたことがない。
シンの時代は家電のオートメーション化が進んで、ボタンを押すとクリーニングの仕上がりで洗濯が終わる。
どう手を付けていいのか分からず、呆然としていると後ろから声をかけられた。
「なにやってんの?シン」
環である。
「もしかして洗濯?」
「・・ああ」
シンが答えると、洗濯物を見ながら環が言った。
「すっごい量ねぇ」
(なんか軽いイジメみたい)
シンは環を横目で見る。
「そっちは何やってんだ?」
「うん?これ?ケガした人の包帯変えてたの」
環は腕の中に薄汚れた布きれを沢山抱えている。
「わたしも洗濯するから、一緒にしようか?」
環の申し出に、シンは正直ホッとした顔をする。
シンに水汲みを頼んで、環は灰汁を準備した。
この時代の洗濯は、けっこうな重労働である。
2人でゴシゴシとたらいで揉み洗いしていると、額から汗がしたたり落ちてくる。
「・・なんか悪いな」
シンがボソッとつぶやく。
環は少し驚く。
「大丈夫、わたしいつも洗濯してるから」
表現が下手だが、シンには人に気遣いするマトモさがあると環は思った。
縁側を通りかかった山南が、庭で洗濯している2人の姿に目を止める。
「あら」
軽い笑みを浮かべた。
3
見廻りの後、隊士たちは昼で屯所に戻ったが、沖田は一人で町はずれの長屋に足を延ばす。
鴨川で火が止まり、この辺りは火事から免れている。
長屋の一番端の引き戸を開くと、部屋の中には誰もいない。
どうやらしばらくの間、この家の住人は帰っていないようだった。
隣りの家の戸が開いて、年配の女が出てくる。
見廻りの後で、隊服姿のままの沖田を見て驚く。
そそくさと行こうとする女に沖田が声をかけた。
「この家の人は誰もいねぇのか?」
沖田の言葉で女が振り向く。
「安斎先生かいね?」
「ああ」
(そんな名前だったか)
「そやねぇ・・火事の後見てへんなぁ。ここには戻っとりまへんわ」
女は少し警戒心を緩めたようだ。
「診療所の方で、火事に逢うたんちゃいますの」
女は少し声を潜めた。
「まぁ、鬼に食われたとか言うてるモンもおりますけど・・」
「鬼?」
沖田の目が鋭くなるのを見て、女は素知らぬ顔をした
「せやなぁ、火事の時は長屋のモンはみぃんな山の方に逃げてもうて。ここはもぬけのカラやったしなぁ。分からんわ」
聞いても無駄なようだ。
「そうか・・ありがとよ」
女が去った後、沖田は誰もいない長屋の部屋を見回す。
「ったく・・」
(大助のやつ、なにやってんだ)
沖田は町に引き返した。