第三十八話 我慢
1
天王山で自刃した長州兵は、真木を入れて17名だった。
ほかの長州兵は山崎で解散したらしい。
最後まで真木に付き従った者だけが天王山に登ったのだ。
「ったく・・骨折り損ってやつだぜ」
土方が不機嫌につぶやく。
多勢を予想していたので、敵の退路を断つために天王山の周辺を囲みこんだのだが、先陣を切った近藤たちだけでケリがついてしまった。
おまけにこの暑さである。
正午になると気温はさらに上がり、隊士たちはみな汗だくだった。
湧水もないので、喉を潤せるならなんでもいいとばかりに、窪地にたまった泥水をすくって飲んでいる状態である。
「これより大坂へ向かう」
近藤の言葉に、隊士たちはすぐには言葉が出ない。
「われら新選組は、大坂の長州藩邸に逃げ込んだ連中を掃討する」
「戦はまだまだまだ続くってわけですか」
斎藤が笑いながら言う。
「いいんじゃねぇの。見せ場もなくて終わっちまうよりマシだぜ」
言いながら、藤堂は目の下が青黒くなっている。
「しかし土方さん。さすがに兵糧確保しねぇと死人が出るぜ」
原田の言葉に土方が低い声で答える。
「ああ・・分かってる」
(仕方ねぇ。寺にあたるしかねぇな)
「京はどうなってんだ」
斎藤が小声でつぶやく。
天王山に来る前、新選組は燃え上がる京の町を背にして伏見に下ったのだ。
この後、大坂に移動した新選組が壬生の屯所に戻ったのは、さらに4日後の25日だった。
2
「沖田さん、夕食です」
薫がおにぎりを乗せた皿を部屋に運んだ。
「ああ、オレぁいい。眠てぇ」
沖田はもう夜着に着替えていた。
「食べないと身体持ちません」
「たいして身体動してねぇ。いいから下げてくれ」
沖田は夜具の用意をしながら、後ろ向きで答える。
「じゃ、お茶だけ置いていきます」
薫は引き下がった。
沖田の気持ちが分かるのだ。
いまも通りには、家を無くして食べる物もない人々があふれている。
薫も環も夕食を食べなかった。
半強制的なダイエットである。
「まもなく米の救済があるはずだから、それまでの辛抱よ」
山南が言った。
「幕府が食料の配給をすることが決定したわ」
「ホントですか!?」
薫は喜びをあらわにした。
食料の配給が始まれば、町の人たちが少しでも助かる。
「環ちゃんは?」
「‥ずっと安藤さんと新田さんに付いています」
「そう・・そのうちあの娘が倒れちゃうんじゃないかしら・・」
山南は溜息をついた。
3
翌日、薫は朝からおにぎりを作っていた。
壬生村の農家からお米を分けてもらって、まだ底はついていない。
屯所の隊士の数も多くないので、十分ではないが賄えている。
隊士におにぎりを渡してから、薫は自分のおにぎりを持って庭に行った。
「パチ、おまたせ」
昨日まで残飯をパチのゴハンにあてていたが、それももうない。
「ごめんねー、パチも一緒にダイエットしよう」
そう言うと、おにぎりをパチに食べさせる。
「だいえっとってなにさ?」
声に驚いて振り返ると、後ろに沖田が立っていた。
つくづく神出鬼没な男である。
「お、沖田さん。おはようございます」
「あんた、自分の分を犬にあげてんの?」
薫は言葉が出てこない。
「そんなことしてるとぶっ倒れちゃうよ」
「大丈夫です。あたし、おにぎり握る時、手の平についたゴハン粒食べてるから。沖田さんだって食べてないくせに」
自分でも何を言っているのか分からない。
「ふぅん・・」
そう言って沖田は、パチが食べている姿を見下ろす。
そして薫に目を移すと、一緒に来るように顔を向けた。
「来な」
炊事場まで来ると沖田が言った。
「おにぎり握って」
「え?」
「オレとあんたらの分」
あんたらとは、薫と環のことらしい。
「え、でも・・」
「やせ我慢したけど、正直ハラ減ってぶっ倒れそうなんだ」
沖田はしれっとしている。
「それに、女がグーグー腹鳴らしてんのも見てらんねぇしな」
薫は一瞬真っ赤になったが、黙っておにぎりを握ると沖田に手渡す。
沖田はニヤニヤ笑って受け取ると、もうひとつを薫に手渡す。
「ほら、あんたも食べな」
薫は素直に頷くと、自分で握ったおにぎりに思い切りかぶりついた。