第三十四話 火炎
1
彦斎の剣法はかなり独特だった。
身体の重心をギリギリまで低く保ち、片手で抜刀する見たこともないスタイルだ。
「どうもやりずれぇ」
沖田の声が漏れる。
自分より二回りも小さい彦斎が、さらに低い位置から斬りかかってくるので勝手が違う。
「まぁいいや・・」
相手が何者だろうが、敵であれば倒すだけである。
沖田は剣を構えた。
相手が小さい場合は、剣を振り上げるより、ふところに飛び込んで来るタイミングに突きを入れた方が良い。
火の粉が飛び散り、さらに煙が増していく。
炎の熱さと、目と喉の痛み、呼吸するたびに苦しくなる肺の腑。
早めに勝負をつけたいが、彦斎はなかなか斬り込んで来ない。
沖田が先に斬り込んでくるのを待っているようだ。
「チッ」
沖田が舌打ちする。
「こうなりゃ、いくしかねぇな」
剣を低く構えて斬り込む。
その時、力を入れた沖田の身体に異変が起きた。
突然むせて、咳き込んだ沖田の剣を彦斎が弾く。
「総司!どうした」
咳き込む沖田に斬りかかる彦斎の剣を、斎藤が受け止めた。
「ヤロー・・てめぇの相手はオレだ」
2
激しい斬り合いになった。
少しずつ彦斎が後ずさる。
その時、斎藤の耳にバキバキという音が聞こえた。
そばの民家が燃え落ちて、大きな柱が倒れて来た。
斉藤が火柱を交わすと、倒れた柱の向こう側から彦斎の声が聞こえる。
「今日んとこはこんまでばい」
そう言うと、クルリと向きを変えて走り去る。
「待ちやがれ!」
斎藤が叫ぶが、炎に遮られて追いかけられない。
斎藤の後ろから沖田の声が聞こえた。
「悪ぃなぁ、斎藤。オレのせいで取り逃がしちまった」
着物の袖で口元を拭っている。
「ったく、勝負の最中に咳き込みやがって」
そう言うと、斎藤は沖田の口元に目を止めた。
薄く口の端に血が付いている。
「総司、おめぇ・・」
沖田は黙っている。
火柱はさらに燃え上がる。
「ここはもう危ねぇ。近藤さんたちと合流しよう」
沖田が咳をしながら言葉を出す。
「蛤御門に・・」
そう言いかけた沖田の言葉を斎藤が遮った。
「総司、おめぇは壬生の屯所に戻れ」
沖田が一瞬黙り込む。
しかし、すぐに笑いながら踵を返した。
「なんで?もう咳は止まったよ」
3
その後も火の勢いは衰えず、夜になっても京の空は真っ赤だった。
環は安藤と新田の部屋にいる。
薫は炊事場で明日の準備をしていた。
あるだけの米と薪をかき集める。
焼け出された町の人を屯所内に受け入れることを提案したが、山南に禁じられた。
取り締まり切れないためである。
だが、食べ物を配ることは了解をもらえた。
明日、日が昇ったらおにぎりと水を持ってでかけるつもりだった。
監察の報告では、火事から逃げた町の人は、南側の九条竹田方面で野宿しているらしい。
「がんばらなきゃ」
知らず知らずに独り言が出てくる。
正直、身体はもうフラフラだったが、弱音を吐いている場合ではない。
薫はとりあえず、屯所の隊士の分のおにぎりを握った。
山南が壬生界隈の見廻りから戻って来ていた。
「おかえりなさい、サンナンさん。食事の用意できてます」
「ああ、薫ちゃん。おつかれさま。わたしはいいわ。あなたたち食べなさい」
「あたしたちもういただきましたから」
ウソを言った。
「外はどうですか?」
「ひどい状態よ。逃げてきた人が道端に寝転がってるけど・・水も食べ物も無くて」
「明日、明るくなったら、わたしおにぎりを持って行きます」
「ダメ!火が収まるまでは外出しないで」
「でも・・」
「今のところ、ここまでは燃え広がってないけど、どうなるか分からないわ」
薫は山南の言うことを聞くことにした。
山南の顔には疲労の色が濃く出ている。
部屋に戻った山南にお茶を出す。
「ありがとう、薫ちゃん。あなたたちがいてくれて良かったわ」
薫は食事の替わりに睡眠を取って、体力を養うことにした。