第三十三話 彦斎
1
沖田は御所の方角に引き返した。
近辺にはもはや町民の姿はなく、煙たなびく戦場と化している。
「総司、そっちはどうだ?」
探索中に沖田を見かけた斎藤が走り寄って来る。
「あっちはなんもねぇよ。長州の連中、もうみんな逃げちまったんじゃねぇか」
沖田が手を振りながら答える。
煙で咳き込んでいる。
「そっか、こっちもだ。ここの残党狩りはそろそろ終わりだな」
斎藤が言ったその時、燃え上がる鷹司邸の方から小柄な男が歩いて来た。
逃げ遅れた町民かと思ったが、腰に刀の鞘を収めている。
パッと見では敵か味方か分からない。
斎藤と沖田が見定めようと近づくと、男の口から言葉が漏れる。
「そん着物ぁ、新選組じゃなかかぁ。わりゃあ・・」
(来る)
沖田がすぐに刀を抜く。
男は猛然と走り寄ると、先に手前の斎藤に斬りかかった。
居合の達人だ。
斎藤は刀を抜き去ってかわすと、体勢を向き直す。
「どこのもんだ、てめぇ」
斎藤の言葉に男が答える。
「肥後藩、河上彦斎(かわかみげんさい)じゃ」
斎藤の顔色が変わる。
「おめぇ・・人斬り彦斎か」
「わっどみゃにゃあ、人斬り呼ばわりばされちょないど」
男が声を荒げる。
「なに言ってんのか分かんねぇな・・」
沖田がつぶやく。
「総司、こいつぁはオレが殺る。手出しすんじゃねぇ」
斎藤の顔は上気していた。
2
「池田屋の仇じゃ、宮部の敵ばうっちゃる」
彦斎の言葉に沖田が反応する。
「宮部?肥後の宮部鼎蔵のことか」
いったん降ろした刀を持ち直す。
「だったら、相手はオレだな」
斎藤の前に沖田が出る。
「宮部を殺ったのはオレだよ。まぁ、先に自分で腹切ってたけどね」
彦斎の形相が変わった。
「わりゃああ・・名乗らんかい!」
「新選組、沖田総司」
彦斎の顔色が変わる。
「新選組の沖田じゃと?」
「総司、てめぇ邪魔すんじゃねぇよ」
斎藤が沖田の横に並ぶ。
「わりぃな、斎藤。こいつぁオレに用があるみてぇだ」
沖田が言った瞬間、彦斎が突っ込んでくる。
居合は、一太刀目をかわすことだ。
沖田と斎藤が横に跳ねる。
彦斎の剣が沖田の剣に弾かれる。
互いに剣を構え合った。
「チッ」
斎藤が舌打ちする。
キィン
幾度か刀が交わって、力で押す鍔迫り合いになった。
ギリギリと刃先が鳴る。
斎藤はいまいましげに2人を見ている。
「総司、とっとと譲れ」
「イヤだねぇ」
沖田が彦斎の剣を弾き返す。
3
薫と環は、沖田に言われた通り、壬生の屯所に戻った。
壬生村には火が届いていない。
前川邸の屯所内は見張りの隊士がいるだけだった。
「ほかのみんなは火消しに行ったのかな」
「多分・・」
「どうする?」
環が訊く。
「あたし、八木邸の屯所から食べ物かき集めてくる。焼け出された町の人に」
薫が言うと環が頷く。
「わたしも、手当に使えるもの集める。ケガ人たくさんいると思うから」
2人は山南の了解をもらおうと、屯所の中を探した。
「いないね・・」
「八木邸に行ってるのかな」
山南は屯所警備の責任者なので、不在にすることはない。
「八木邸に行ってみよう」
2人は前川邸を出て八木邸に向かう。
京の町は黒煙がさらに増している。
山南は八木邸に来ていた。
池田屋で負傷した、安藤と新田が寝ている部屋に端坐している。
「サンナンさん?」
薫と環が部屋に入ると、山南が顔を上げる。
「ああ・・環ちゃん、薫ちゃん」
顔を伏せて、小さく溜息をつく。
「避難させようと呼びに来たけど、これじゃあ・・」
安藤と新田は、荒い息をしてうめき声を出していた。
傷口がさらに化膿している。
とても動かせる状態ではない。
「安藤さん、新田さん」
環の呼びかけにも答えない。
「しっかり!」