第三十二話 戦火
1
「起きて、2人とも。町が燃えてるわ」
山南の声で、薫と環は飛び起きた。
開かれた障子の向こうの空に、凄まじい黒煙が立ち昇る。
後に「どんどん焼け」と呼ばれる元治の大火だ。
「火はここまで来てないけど、ねんのため山に避難して」
山南の言葉に環が訊き返す。
「屯所のみなさんも?」
「わたしたちは町の火消しを手伝うわ。壬生村の人を全員避難させてから」
「わたしたちも手伝います」
薫と環が言った。
「ダメダメ、無理よ。危険だから、あなたたちは避難してちょうだい」
2人は黙り込んだ。
「伏見にいた局長たちが京に引き返してきたわ。残党狩りが始まるから町は危険よ」
そう言うと山南は部屋から出て行った。
薫と環はしばらく黙っていたが、薫が先に口を開いた。
「どうする?」
環は考え込んでる。
ケガ人を手当するのが仕事だと思っているので、避難する気にならない。
「火事場に素人が行っても役に立たないと思うけど、なにか出来ることないのかな」
「行ってみる?サンナンさんには悪いけど」
2人は立ち上がった。
屯所の門から出ると四条通へ走り出す。
人波と逆方向に進むと、空は昼間だというのに真っ暗だ。
黒煙が陽の光を遮っている。
泣き叫ぶ女や子供たち、男たちの怒声、裸足で逃げ出す者もいる。
薫がふと立ち止まる。
「どうしたの?薫」
環が振り返ると、薫の様子がおかしい。
(・・この火・・見たことある)
薫は混乱していた。
(・・昔・・これと同じ火を・・見たことがある)
「薫?どうしたのよ?」
2
「真木が鷹司邸から落ち延びたらしい」
土方が近藤に言う。
「長州に抜ける街道や川は押えられてる。抜けるなら天王山だ。あそこはまだ落ちてねぇ」
京の町中では、あちこちで残党狩りが続いている。
「こっちが片付いたら、次ぁ天王山だ。今度こそ逃がさねぇ」
土方は目が血走っている。
不眠不休で働き続けだが、頭は妙にさえていた。
長州藩邸と鷹司邸から燃え延びた火は、瞬く間に京の町を包んでいる。
永倉が探索から戻って来た。
「ひでぇもんだ、あちこち火の海だ。長州兵にも困ったもんだが、慶喜公もどうかと思うぜ」
土方は腕を組んで黙っている。
「残党をいぶり出せなんて言うもんだから、幕軍がいまだに砲火続けてらぁ。もう勝負は見えてるってぇのに」
「勝負は着いちゃいねぇ」
土方が言う。
「最後の一兵まで徹底的に狩り取らねぇと、やつら何度でも同じことしやがる」
土方の言葉を、永倉は黙って聞いた。
(やっぱぁ、鬼の副長だなぁ)
言葉には出さない。
3
薫が突然立ち停まったので、環は困っていた。
「薫?いったい、どうしたの」
「え?ああ・・うん・・」
環の呼びかけにも、まともに答えられない。
火事を怖がっているというより、心ここにあらずという感じだ。
そのまま薫は、通りでしゃがみこんでしまった。
頭をかかえている。
(この火・・どこで見たんだろう)
「あたま・・痛い・・」
薫がつぶやく。
「大丈夫?煙吸ったのかな・・やっぱり避難しようか」
環も薫の前にしゃがみこむ。
そこに頭上から聞きなれた声が聞こえた。
「あんたら、ここで何やってんの?」
残党を探索中の沖田である。
「あ、沖田さん」
環が立ち上がると、沖田はしゃがみこんだままの薫を見下ろす。
「どうしたい、惚けたツラして」
薫が顔を上げると、沖田が薫の腕を掴んで立たせる。
「何か手伝うことないですか」
環が訊くと、沖田がクスリと笑う。
「ねぇなぁ、ここには。屯所に戻っていつもと同じことしてな」
環がキョトンとしている。
「環ちゃんはケガ人の手当、薫ちゃんは賄い、だろ?」
環が薫と顔を見合わせる。
(そっか・・)
「オレたちはしばらく戻れねぇ。留守をたのむぜ」
沖田はそう言うと、また通りに消えた。