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第三話 環


 一晩明けて朝になってもなにも変わらなかった。


 朝早く、環は人の気配と物音で目が覚めた。

 慌てて障子の隙間から顔を出して様子を伺う。


 大勢の男が廊下に雑巾がけをしたり、薪を運んだりしている。


 環は落胆した。

 自分たちの身に起きていることは現実で、目が覚めたら消える夢などではなかった。


 「おはよう」

 薫も起きていた。

 夕べは余り眠れなかったのだろう。

 目が充血している。


 「おはよう」

 答えた環もほとんど眠れなかった。


 2人は暗い顔で黙々と着替える。


 手首にある腕時計の針だけが元の時間を刻んでいる。

 「時計はしまっておいた方が」

 環が言いいかけると同時に、いきなり障子がスラリと開いた。


 「おっす、目が覚めたかよ。不審人物のお二人さん」

 引き締まった顔と身体の男がズカズカと入って来る。


 昨日あの部屋にいた男の1人だと思ったが、薄暗くて顔も良く見えていなかった。

 「ふぅん。明るいとこで見るとどっちも別嬪だなぁ。こりゃぁいいや」


 「どいてください、新八っつぁん」

 別の男が、新八と呼ばれた男の後ろから声をかけた。

 「朝飯だ」

 男は無表情に握り飯を乗せた皿を持って部屋に入って来る。


 さらにまた別の男が後ろから覗き込んでいる。

 「茶ぁ持ってきたぜ。斎藤」

 「なんだよ、左之(サノ)お前まで」

 「お前こそ何やってんだよ、新八」

 「オレぁ、こいつら起こしに来ただけさ」

 「女を見に来ただけだろう」


 斎藤と呼ばれた男が2人の遣り取りを遮った。

 「オレぁもう行きますよ。近藤さんが待ってるんで」

 その一言で、3人の男はあっさり部屋からいなくなる。


 残された握り飯を見ながら薫が言った。

 「昨日の部屋にいた人達かな」

 「そうかも。でも、夜で暗かったし顔も良く見えなかったから」


 白いおにぎりを見て2人は空腹に気付いた。

 そう言えば、昨日の夜から何も食べていない。


 口に入れると、塩もついていないただの白米の握り飯だった。


 本当にここは江戸時代なのか?

 自分たちはタイムスリップを体験しているのか?


 2人は陰気な顔で黙々と味のないおにぎりを食べた。




 朝飯を食べ終わると沖田が部屋にやってきた。

 「ちょっと来てもらうよ」

 2人に着いてくるように促す。

 「ほら早く。近藤さんたちがが待ってんだよ」


 廊下を歩きながら、思い切って環が訊いた。

 「ここどこなんですか?」

 沖田は振り向きもせずに答える。

 「新選組の屯所だよ」

 「何故わたしたち、連れて来られたんですか?」

 沖田が振り返った。

 薄笑いを浮かべている。


 「新選組は京の治安を守ってる。京の町に不審な輩がいれば取り締まるのが仕事だ」

 そう言うとまたスタスタと歩き出した。

 もう話をするつもりはないらしい。

 環と薫は溜息をついて仕方なく後に続いた。


 沖田が着いて入ったのは、昨日の夜連れて来られた部屋だった。


 近藤と土方とサンナンのほか、さっき2人の部屋に来た3人とあともう1人男がいる。

 2人は障子の前の、上座の近藤の向かいに座らされた。


 「明るいところで見ると、ますます奇妙ないでたちをしておるな」

 近藤が不思議そうに見上げる。

 「西洋人の身なりとも少し違っているようですねぇ」

 隣りのサンナンがにこやかな顔でつぶやいた。


 「膝出してる女なんざ見たことねーぞ」

 新八が言った。

 「でかいし、女のバテレンじゃねーのか?」

 もう1人の男が興味深い目で2人を眺めている。

 「なんだよ、平助。おめぇバテレンなんぞ見たことあんのかよ」

 「以前読んだ本に載ってたんだ。ヘンな顔したヘンなカッコしたオッサンだったけど」


 「静かにしろ」

 2人が部屋に入ってからずっと黙っていた土方が一喝した。

 「サンナンさんはどうだ?」

 「吉利支丹の宣教師じゃじゃないわよ。見たこともない装束だわ」


 「おい」

 土方が今度は直接、薫と環に向かって声をかけた。

 「おめぇたち。昨日から何を聞いても答えねぇが、いつまでもそれだと、こっちも訊き方を変えるしかなくなるぞ」


 「おい、トシ。小娘に乱暴だぞ」

 「近藤さん。こんな風体のもんは小娘じゃねぇ。怪しい不逞の輩だ」

 一瞬、部屋中の視線が薫と環に集中する。


 「わたしたち日本人です。道に迷っただけです」

 環が言った。

 「ほう、生まれはどこだ?」

 「えーと・・関東」

 少し考えて、わざと大雑把に答えてみる。


 「関東のどこだ?」

 突っ込まれた。

 「・・M市」

 「聞いたことねぇな・・京には何しに来た」

 「なにも、知らないうちに連れて来られて」

 「誰にだ?」

 「・・分かりません」

 土方は全く信じていない様子をあからさまに表情に見せた。


 環が困っていると、ずっと黙っていた薫が口を開く。

 「あたしたち怪しい者じゃないし、不逞の輩とかじゃありません」

 ハッキリとした口調に、部屋中の視線が今度は薫に集中した。


 「あたしたちも早く元のところに戻りたいんです」

 自分がいま答えられる真実だけを口にした。


 「近藤局長。しばらくは様子見ません?間者だったらこんな目立つ格好しないでしょうし」

 サンナンが言うと近藤が頷く。

 「そうだなぁ、ナリはデケェが、腕が立つようにゃ見えなねぇな。殺気もねえし手に剣ダコもついてねぇ。なぁトシ」


 「近藤さんもサンナンさんも、ちと甘くねぇか」

 土方は小さく息をつく。

 「総司、おめぇが見張れ。怪しいもんじゃねぇとハッキリするまで目を離すんじゃねぇぞ」

 「なんでオレが?」


 「てめぇはガキの相手がうまいだろうが。適任だ」

 「イヤですよ。オレぁ忙しい」

 「昼行燈のくせに何言ってやがる。おめぇは昼間っから寝てばっかじゃねーか」

 「面倒くさいなぁ」


 すると新八が話に入った。

 「土方さん。オレが面倒見ますよ。犬の面倒も見てんるで慣れてまさぁ」

 「犬と娘っこじゃ違うだろうが、新八。おめぇや平助は女に弱ぇから駄目だ」

 「言われてらぁ」

 左之がゲラゲラと笑う。

 「何だよ、左之。おめぇも同じようなもんだろ」


 「さあさ。それくらいにしましょ、みなさん」

 サンナンが手を叩く。

 「組長方は隊に戻ってくださいな。わたしと土方副長は近藤局長とお話がありますからね」


 3人を残して皆が座を解くと、沖田が薫と環を見た。

 「オレがあんたらの見張り番だって。女を斬ると刀が穢れるから、間違っても逃げ出そうなんて思わないでね」

 逃げたら女でも斬るという意味だろうが、本気なのか冗談なのか沖田の表情からは読めなかった。


 江戸時代の京で新選組に捕まったことは、さらなる不運かもしれない。




 薄暗い布団部屋に戻ると、2人は今度こそガックリとうなだれてしまった。

 沖田の言葉のせいではない。

 江戸時代にタイムスリップしたことが圧倒的な現実味を帯びて来たせいだった。


 「鳥居・・」

 環の声が低く部屋に響く。

 「あの鳥居に戻らないと。あの鳥居が原因だとしか思えない・・」


 「でももう見張られてるし、外に出られないよ」

 部屋の前には人影がある。沖田に見張りを言い付けられた部下だろう。

 おそらく複数人が交代で24時間見張るに違いない。


 「なんとか逃げ出す方法を見つけないと」

 そう言いながらも、環の頭にさっきの沖田の言葉が残っている。

 「こんなとこにいたら、本当に元に戻れなくなる」


 環は制服の胸ポケットから、さっき隠した腕時計を取り出した。

 「お母さんが心配してる。家出とか誘拐とか大騒ぎになってたら・・・」


 環が話し続けるのを薫は黙って聞いていた。

 学校の友達や児童養護施設の先生や子供達は心配するかもしれないが、両親のいない薫にとって環の切実さはどこか縁遠いものだった。


 「見張りにスキが出るのを待とう」

 薫は見張りに聞こえないように小声で言った。

 「見張り番だってトイレとか行くと思うし、スキはあると思う」


 薫の声に環は振り向くとコクリと頷いた。



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