第二十九話 火蓋
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元治元年七月十八日(1864年8月19日)
日没後、鴨川の九条河原に新選組は布陣した。
「誠」の隊旗が夜風にたなびく。
前方の稲荷山に大垣藩、桃山に彦根藩が布陣している。
深夜、稲荷山の方角から複数の銃声が聞こえた。
「おっぱじまったか」
土方が立ち上がる。
「大垣の鉄砲隊ですね」
沖田も立ち上がる。
「山崎」
土方が呼ぶと、監察の山崎が来る。
「ひとっ走りして様子見てこい。大垣だけで落とせんなら、ここにいても仕方がねぇや」
「はっ」
山崎は暗がりに姿を消した。
しばらくすると、山崎が馬で帰陣した。
「副長、援軍の要請です」
土方は少し驚いた。
大垣藩の鉄砲隊は、幕軍の中でも勇名を馳せている。
どうやら長州兵の迎撃が思いのほか激しいようだ。
「近藤さん」
土方が声をかけると、近藤が刀を天に突き上げる。
「行くぞ!!」
腹の底から響く声で叫ぶと、隊士の声がこだまで返って来る。
「うぉぉ!」
この夜、大垣藩が長州軍と遭遇した時に、世に言う禁門の変の戦端が開いたのだ。
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それより前の刻。
新選組が鴨川に布陣した頃に、八木邸屯所の塀を超えて2人の影が路上に降り立った。
薫と環である。
以前と同じ、布団生地で作ったロープを使って屯所から抜け出したのだ。
四条通りに来ると、いつもは賑わっている祇園界隈の様子が一変している。
通りは逃げ惑う人波で、道いっぱいに塞がっている。
戦が始まると聞いた町の人が、我先にと家財を乗せた荷車や風呂敷を持って逃げ出しているのだ。
赤ん坊や子供の泣き叫ぶ声と、あちこちから喧嘩の怒声が聞こえる。
阿鼻叫喚の騒ぎだ。
薫と環は、押し寄せる人波と逆方向に、手をつないで通りを進む。
~ 戦が始まりよったぁ ~ 長州兵が攻めて来ぅ ~ 鉄砲隊がおったでぇ ~
町の人たちが大声で叫んでいる。
薫はつい立ち止まった。
うしろを振り返る。
新選組は出陣している。
これは戦だ。歴史に刻まれた本物の。
もしこのまま、二度と新選組の隊士たちと会えなくなったら・・
「薫?」
突然、薫が立ち止まったので、環が振り返る。
「どうしたの?」
環の顔を見て、薫は思わず頭を振る。
アカギシンは話があると言っただけだ。
いますぐ元の時代に戻るわけではない。
「ごめん、なんでもないよ。行こう」
2人はまた、修羅場と化した通りを進み始めた。
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「禁門の変か」
アカギシンは京の町の灯を、山の麓から眺めている。
よもや自分が禁門の変を見ることになると思っていなかったので、つい言葉に出てくる。
だがそれよりも、シンの頭にあるのはめし屋で聞いた赤鬼のことだった。
赤い鬼が教授だとすれば、ワームループのマシンに異常は起きていないと考えられる。
安全対策のトレース機能で、記録した個体情報は追跡が可能だ。
シンの個体情報は、タイムワープ前に装置に記録してある。
時空間のどこに位置しているか、マシンでトレースできる。
しかし、いまだに迎えも助けも来ない。
予期せぬ事故でなく、計画的に起こされた可能性がある。
しかし理由が分からない。
現象が起きるには原因がある。
作為の裏には動機がある。
それがなんなのか。
その時、シンの目に草むらの中を歩いてくる2人の姿が写った。
薫と環だ。
立ち上がって近づくと、2人もシンの姿を見つけたようだった。
駆け足で近寄ってくる。
息を切らしながら辿り着いた薫と環に、シンが声をかける。
「やっとご到着か。もう真夜中だぜ」