第二十八話 長州
1
~長州藩がまもなく御所に攻め入ってくる~
京の町は不穏な噂が広まって、恐れをなして疎開する者まで出ている。
監察方からの情報では、伏見の長州藩邸、嵯峨の天竜寺、山崎の天王山、この3拠点に長州藩兵が集まっている。
(やつら、本陣はどこなんだ)
土方は、長州の布陣を紙の上に地図状に書き付けて考えている。
(まともに考えりゃあ、家老の福原が大将に収まってる長州藩邸だろうが、裏をかくんなら嵯峨か天王山だぜ。嵯峨の天竜寺にゃあ国司と来島がいる)
土方は嵯峨天竜寺が主力部隊と考えた。
会津藩から来た幕軍の陣割りは違っていた。
幕府は伏見の長州藩邸を本陣とみて、幕軍の主力部隊を伏見に集中させている。
会津藩、京都見廻組、新選組のほか、大垣藩、彦根藩などの諸藩30余りの兵を伏見に布陣させる配置である。
異を唱えることはできないが、土方は舌打ちしたい気分だった。
「トシ、どうしたんだ?」
近藤は、土方がなぜ不満気な顔をしているのか分からない。
「近藤さん。こいつぁとんだハズレクジさ。伏見になんぞ行ったって、おそらく空振りだよ」
土方がいまいましげにに言い放つ。
「なに言ってんだぁ。長州の本隊に攻め入るんだぞ」
「本隊なんかじゃねぇよ。福原なんざ置物みてぇなもんだ。国司と来島がいる嵯峨天竜寺が主力部隊だろう」
「しかしトシ、陣割りはもう決定しちまってんだ」
「チッ」
土方がイライラと舌打ちをする。
(見てろ。様子を見て、嵯峨に攻め込んでやる)
2
環は庭で洗濯をしている。
洗濯機が無いので、もちろんたらいを使った手洗いである。
怪我人や病人の看病をしていると、大量の洗濯物が出てくる。
薫は大人数の賄いで忙しくしているが、環は洗濯物と日々格闘している状態だ。
隊員の大半が前川邸の屯所に集まっており、八木邸の屯所は人少なになっている。
池田屋の時も、こんな感じだった。
(また何かあるのかなぁ)
討ち入り騒ぎでも起きるのかと心配になってくる。
日差しが暑い。
額の汗をぬぐった環は、いつの間にか目の前に立っている人物を見てポカンとした。
アカギシンが立っているのだ。
真昼間に、新選組の屯所にどうやって入り込んだのか。
「あ・・」
驚きすぎて声が出ない。
前置きなくアカギシンが話し出す。
「日が暮れたら2人で鳥居に来てくれ。話がある」
2人とは環と薫のことらしい。
「は、話?や、やっぱりまだ未来に戻ってなかったんだ」
アカギシンは無表情に環をみつめるだけで何も答えない。
そのまま踵を返すと、庭石を足場にして器用に塀の上によじ登る。
「今夜だ」
ひとこと言うと塀の外側に姿を消した。
アカギシンと入れ違いに、門から山崎がやって来るのを見て、環は慌てて洗濯作業に戻る。
3
「環ちゃん、洗濯かい」
山崎が声をかけてくる。
「あ、山崎さん、おかえりなさい」
環は動揺を隠して立ち上がる。
「毎日暑くて大変だろう」
山崎はちかごろ、八木邸の屯所に姿を見せていなかった。
監察の仕事にかかりきりで、医療班の仕事まで手が回らないのだ。
「しばらく外に出ないようにしてくれ。薫ちゃんもだ」
山崎の言葉に環は少し考えてから答える。
「何か起こるんですか?」
「戦が始まるかもしれねぇ。始まりゃあ町が戦場に変わる」
「戦?」
「ああ、長州が御所に攻め入る準備をしてんだ。ま、ここは新選組が守ってるから大丈夫だ」
環は無理に笑顔を作って頷く。
「わかりました」
洗濯を途中で切り上げると、環は炊事場にいる薫をこっそり呼んだ。
布団部屋に戻ると、すぐに話を切り出す。
「さっき、アカギシンが庭に入ってきたの」
「えっ」
薫が驚いて訊き返すと、環が頷く。
「今夜2人で鳥居に来いって、話があるから」
「話・・」
元の時代に戻してくれるとか?
いや、すでにアカギシン自身が、自分の行き来をコントロールできないでいる。
薫はすぐには言葉が出てこない。
「どうする、薫?」
環の心は決まっている。
もちろん行く。
しかし、山崎に外出を禁じられている。
「戦が始まるかもしれないって、山崎さんが言ってた。町が戦場になるかもって」
薫と環は目を合わせた。
それでもアカギシンに会わなくてはいけない。
どうしても。