第二十三話 病
1
夕餉の後、部屋に戻る途中の廊下で、沖田が立ち止まって咳き込んでいる。
「まだ風邪が治ってねぇのか」
振り返ると爪楊枝をくわえた土方が立っている。
「ええまぁ、夏風邪がしつこくて」
沖田は軽く笑って答える。
手は口元にあてたままだ。
「そうか」
言い捨てると、土方はいま来た方に引き返した。
握った沖田の手の平に、うっすら血がついている。
部屋に戻ると、沖田は片膝をたて座り込んだ。
だるいので、柱に背をもたせる。
日中は平気だが、夕暮れ時になると身体がだるくなる。
労咳(肺結核)はこの時代、死病であった。
長生きしたいとは、もとより考えていない。
ただ、剣を振るえなくなることだけは怖ろしい。
病で朽ち果てるより、戦場で散りたいと思っている。
医者にかかるつもりもないが、どうしたらいいかと考える。
労咳は感染る病だ。
近頃は、壬生寺で子供達と遊んだりもしていない。
ほかの隊士と、柄杓で水をまわし飲みしたりもしない。
それでこのままここにいてもいいのか。
2
「総司の野郎、とぼけやがって」
「なんだ、トシ」
部屋には近藤と土方の2人だけである。
「あいつぁ、病にかかってる。おそらく胸の病だろう」
近藤は眉を寄せた。
「労咳か」
「おそらくなぁ」
「だったらすぐにでも医者に診てもらった方がいいんじゃねぇか」
「あいつがうんとは言うまいよ」
「なぜだ、放っておいても悪くなるいっぽうじゃねぇか」
「胸の病は治らねぇ。医者にかかったところで、それをはっきり言われるだけだ」
土方は幼い頃に、母親を結核で亡くしている。
「じゃあ、どうするってんだ。このままほっとくってのか」
近藤の声が高くなる。
「どうしたもんか、オレも考えあぐねてなぁ」
土方は天井を見上げた。
近藤と土方にとって、沖田は弟のようなものである。
「まぁ、薬は飲ませる。虚労散だ。効いてくれればいいが」
虚労散は土方の姉の夫、佐藤彦五郎の家で作っている結核の薬だ。
土方の実家の家伝薬、石田散薬と材料や製造法はほとんど変わらない。
ちなみに石田散薬は、打ち身や骨接ぎの薬である。
「病は体力勝負だ。総司は食が細ぇ、だから病なんぞにかかるのだ」
夏場も冬場も風邪ひとつひかない近藤にとって、病は縁遠い話だ。
「とりあえず、このことはオレとアンタと2人だけの話だぜ、近藤さん」
土方が言うと、近藤は黙って頷いた。
3
「ねぇ、環。沖田さんって結核で死ぬんだよね」
薫の言葉に、環が驚いて振り向く。
「どうしたの?いきなり」
「沖田さん、自分の病気のことわかってるんじゃないかな」
環は薫をみつめた。
「最近、話す時横向いたり口を手で覆ったりしてるから。感染さないように気を使ってるんじゃないかと思って」
沖田が時々咳をしていることを、環も気付いている。
自分は医者ではない。
医者の家で育っただけで、専門的な知識など持ち合わせていない。
安静にして栄養を取ることしか考えつかないが、新選組の組長が安静にするわけもない。
「ごはん、ちゃんと食べてるのかなぁ」
環の問いかけに薫が少し考えてから答える。
「うーん、おかゆを届けてた時は食べ終わるまで見張ってたけど。最近はもう普通の食事になったから分からないんだ」
薫と環は隊士たちと一緒に食事を取らない。
自分たちの部屋で食べるか、ほとんど台所で食べている。
「美味しい料理作って味見させれば、食欲湧くんじゃない?」
「それじゃまた、カボチャのプリンでも作ろうかな。沖田さん好きだから」
薫の言葉に、環は笑って頷いた。
沖田は肺結核で死に、土方は函館で戦死する。近藤はそれより前に処刑される。
環がドラマなどで観て覚えてるのは、この位だ。
ほかの隊士のことは全く知らないし、知らない方がいい。
不思議なことだが、その人がどんな死に方をするか知っていると、罪があっても許せる気がする。
この先、近藤や土方や沖田がどんな血なまぐさいことをしても、それでも生きていて欲しいと思った。