第二十二話 宴の後
1
驚いて顔を上げると、土方が障子を開けて廊下に立っていた。
厠にでも行って来たのだろう。
「土方さん、顔真っ赤・・」
薫が言うと、ふらつく足元で座敷に入ってくる。
「あん?そりゃ赤くもなんだろ、酒飲んでんだ」
「土方さん、お酒弱いし」
「ああ、総司。なに言ってやがる」
沖田と薫の間をむりやりすり抜けると、自分の席に戻って行く。
それと替わるように、原田がこちらにやって来た。
「平助、おめぇ。報奨金受け取んの断わったって?」
原田が藤堂の前に座り込む。
藤堂は答えずに一人で杯を傾けている。
「近藤さんが困ってたぞ。いいから黙って受け取れ」
藤堂は黙ったままで答えない。
「平助、おめぇ。面倒くせぇ真似してんなぁ」
斎藤が横から言うと、藤堂が不機嫌な顔で言い返す。
「うるせぇな、ほっとけよ」
「おめぇ、怪我で動けなくなったこと気にしてんのか?」
永倉が言うと、藤堂は答えずまた飲み始めた。
どうやら、比較的早い段階で戦闘不能になったことを恥じているらしい。
「おめぇは十分に働いたんだ。おめぇが受け取らねぇと、他のやつが受け取りづれぇ」
原田の言葉に藤堂は少し顔を上げる。
「ああ・・」
原田は笑って藤堂の杯に酒を注ぐ。
「ま、今夜は飲め。どうせ、近藤さんのおごりだ」
薫と環は、場の空気が和むのを感じてほっとした。
2
「オレぁ、この2人連れて、先に屯所に戻りますぜ」
宴も中盤にさしかかった頃合に、沖田が言い出した。
食べるものも食べてしまって、手持ち無沙汰にしている薫と環を気遣ったらしい。
沖田自身もさほど酒飲みではない。
隊士たちの中には、このまま遊女と夜を明かす者も多い。
「お、総司。おめぇ、送り狼になんじゃねぇぞ」
永倉の言葉に、沖田が苦笑いで肩をすくめる。
「悪い冗談やめてくださいよ、新八っつぁん」
島原は屯所からほど近い場所にある。
帰り道、3人並んで角屋の提灯を持って、てくてくと歩く。
いまの京の町で、沖田総司のそばにいるのは、一番安全と言えるかもしれない。
「土方さんって、酔うと可愛いんですね」
「ええ、どこらへんがぁ?」
沖田があくびをしながら訊いてくる。
「普段はあんなに怖いのに。真っ赤な顔して、千鳥足で」
薫が笑いながら言う。
「土方さん、ちっとも怖くないけどね」
沖田が涼しい顔で答えた。
「ヘタクソな俳句ひねったりしてるしさ」
「俳句?」
「うん、駄作ばっかりだけど」
「ひどいです、沖田さん。そんな風に言っちゃかわいそうですよ」
「じゃあ、今度、見せてもらえば?」
沖田はクスクス笑っている。
もう屯所が見えてきた。
3
屯所に戻ると、環は新田と安藤の部屋に行ってみようと思った。
近付くと、部屋に灯りがついている。
夏場で障子を開けてあるので、渡り廊下の向こうからも部屋の中が見える。
枕元に山崎が座っていた。
そういえば、酒宴の席に山崎の姿は無かった。
もともと、酒も女遊びも興味の無い男である。
「がんばれよ、おめぇら。いまが踏ん張り時だ」
山崎の声が低く漏れ響く。
環はほんの少し廊下で立ち止まっていたが、部屋には行かずに引き返した。
翌日は、変わらない日だった。
前日あれだけ飲んだのに、隊士たちはいつもと変わらず職務と鍛錬に励んでいる。
薫は前川邸の屯所に昼の握り飯を運んでいた。
入口まで来ると、庭の向こうから怒声が聞こえる。
「馬鹿野郎!剣で斬ると思うな!身体で斬れ!」
沖田が隊士たちに剣の師範をしている。
声に驚いて、薫はその場で固まってしまった。
普段の沖田とあまりに違い過ぎる。
別人のようだ。
入口で立ちんぼうしている薫を、通りがかった斎藤が見かけて声をかけてきた。
「なにやってんだ、あんた。そんなとこで」
「あ、斎藤さん。お昼ごはん持ってきました」
「ああ、そこらへんに置いてくれ」
「沖田さんの声、すごいですね。剣教える時ってあんな感じなんですか」
「そりゃ、戦場じゃ命懸かってんだしな」
それだけ言うと、斎藤はさっさといなくなってしまった。
新選組も京の町も、いまだに分からないと薫は思った。