第十九話 夜明け
1
「大丈夫ですか?」
環の問いに沖田は軽く笑った。
「なんともねぇよ」
口元に乾いた血の跡がある。
環は何も言わなかった。
ほかに重症の隊士がいる。
安藤と新田は出血が止まらず倒れたままだ。
「夜が明けるまでは動くんじゃねぇぞ」
土方が現場の隊士たちに命じた。
「下手に動くと生き残りの連中に闇討ちされるかもしれねぇ。今夜はここで夜明かしだ」
市中では、会津藩と桑名藩と彦根藩が新選組と残党狩りをしている。
環が安藤と新田につきっきりだったので、その分薫が動いてまわった。
「永倉さん、怪我してるじゃないですか」
永倉の左手から血が流れているのを薫が目に留めた。
近寄ると親指の付け根に深い裂傷がある。
「なんでもねぇよ、こんなもん」
ぶっきらぼうに答えるが、手が赤黒く変色している。
「ダメですよ、消毒しなきゃ。バイキン入ったら大変ですから」
永倉はこの場にいる隊士の中で、もっとも激闘の跡がうかがえる姿だった。
袖は擦り切れて着物のあちこちが刀で切られている。
隊服は返り血でドス黒く染まっていた。
むき出しの腕はいくつも打撲の痕がある。
薫は永倉の手を酒で消毒した。
傷に沁みるのか目を細める。
チッと舌打ちするのが聞こえた。
2
誰ひとり一睡もせずに夜が明けた。
「明るくなってきたな」
土方が立ち上がる。
監察に出ていた川島が戻って来た。
「会津、彦根、桑名藩に死傷者が出ています」
市中掃討の残党狩りがいまだ続いている。
「そろそろ片が付く頃だろう」
その後も待機を続け、昼前になってやっと屯所に引き上げることになった。
沿道には大勢の見物人が集まっている。
明るくなると隊士たちの凄惨な姿は際立って見えた。
この池田屋事件で新選組はその名を轟かせ、同時に攘夷派の憎しみを背負うことになる。
沖田は翌日熱で寝ていたが、次の日には起き上がっていた。
藤堂は2日安静にしただけで、すぐに回復の様子を見せた。
永倉と原田と斎藤は、休まずに動き回っている。
薫と環は逃げ出したことを忘れたように隊士とともに働いていた。
山崎が安藤と新田の看護にあたっている。
「どうだ?」
原田は頻繁に2人の様子を見に来ていた。
「良くありませんね」
隣りにしゃがんだ原田に山崎が答える。
「山崎」
「なんですか?」
「助からねぇなら苦しませるこたぁねぇ。そんぐれぇならオレが引導渡す」
山崎はなにも答えなかった。
新田の腕は環が行った緊縛止血法で血止めをしているが、もし助かっても腕は使いものにならない。
安藤は首に受けた刀傷がすでに膿んでいた。
環が様子を見に来ると、2人はどんどん悪くなっていくように見えた。
輸血も抗生物質もない時代、人は簡単に死んでいく。
ただ見ているしかできない自分に、環は歯噛みしていた。
3
薫は沖田のおかゆを作っていた。
今日はためしに卵を入れてみる。
馴染みのない料理は作らないようにしていたが、滋養のあるものを食べさせたかった。
おかずは里芋の煮ころがしである。
里芋の煮ころがしは、隊士がみな喜んで食べるので大量に作っておいた。
「朝ごはんです」
部屋に行くと、沖田はもう着替えていた。
「おはよう、薫ちゃん。またおかゆ?すっかり病人扱いだねぇ」
クスクス笑いながら、薫の運んできた膳の前であぐらをかく。
「これなんなの?黄色いの」
「鳥の卵です。栄養つきますから」
「鳥の卵?」
沖田はうぇっと言う顔をした。
「そんな顔しないで、食べてみてください」
薫が勧めると、いやいや箸をつけてすすってみる。
「・・おいしいや」
驚いた顔をしている。
「良かったぁ、いっぱい食べてください」
薫がほっとした顔で笑った。
沖田は不思議だった。
薫の顔を見ると、食欲が無くても食べなくてはいけない気になる。
自分に妹がいたら、こんな感じかもしれない。
薫や環といると、近頃そんな風に思えてくる時があるのだ。
朝ごはんはきれいにたいらげた。