第百二十話 涙
1
沖田は部屋で刀の手入れをしている。
山南に少しでも痛みを与えたくない。
目を伏せると、思わず息をつく。
もともと介錯は好きではない。
動かない対象を斬るのが、性に合わないのだ。
だが・・山南の頼みだ。
おまけに・・以前、口約束で山南の介錯を軽く引き受けてしまっている。
「総司、入るぞ」
返事をしないでいると、土方が障子を開いて部屋に入って来た。
「準備はできたか?」
「ええ・・」
「近藤さんたちが、向こうの部屋で待ってる」
「わかりました」
そう言って、沖田は立ち上がった。
土方の後に続いて廊下を歩いていると、さっき振り始めた雪が薄く積もって白い雪景色になっている。
山南が仙台の出身であることを思い出す。
(北国は、雪が深いよな)
雪が降って良かったと、沖田は思った。
そして・・
山南の切腹は、見事なものだった。
沖田の介錯も。
山南は片腕に後遺症を残してると思えない刀さばきで、腹に突き立てた刀を真横に引いた。
「首を落とすのはギリギリまで待ってね」とクギをさされた沖田は、山南の手が動かなくなるまで刀を降ろさなかった。
皮一枚残した状態で首を斬り落とした後、畳に転がった頭についている開いたままの目を沖田は見ていた。
伊東が白い布をかぶせて山南を悼む歌を詠むと、やっと目を離すことが出来た。
(極楽なんてホントにあるのかなぁ・・わかんねぇや)
その場に立ち尽くしながら、そんなことを考えていた。
2
山南の切腹が終わった後も、沖田は涙ひとつ見せなかった。
永倉と原田は、部屋に籠って号泣している。
藤堂と斎藤も、部屋で泣いているらしい。
土方は無表情のままだった。
「総司・・」
土方が声をかけるが、沖田は応えず部屋に戻っていった。
沖田の後を追った土方が障子に手をかける。
「入るぞ」
言うなり、スラリと開けた。
沖田は・・ボンヤリ目を開けたまま柱に寄りかかっている。
「・・・」
どう声をかけたものか思案した。
結局、一言だけ言って部屋を後にする。
「総司・・今日はもう休んでいい」
しばらくすると、玄関で外履きを履く沖田の背中をみつけた。
「総司・・どこに行く?」
普段なら詮索もしないが、今は沖田のことが心配だった。
もう陽は暮れている。
「ちょっと出かけてきます」
立ち上ると、羽織を手にする。
玄関の灯篭に照らされた沖田は、ヒドイ顔色をしている。
土方は直感的にヤバイと思った。
「どこに行く?」
もう一度繰り返す。
沖田が羽織を肩に引っ掛けて振り返った。
「オンナを抱きに」
意外な言葉に土方は驚いたが、顔には出さなかった。
「門限までには戻れよ」
一言だけクギを指した。
「わかってます」
そう言って、玄関から出て行った。
3
フトン部屋で薫と環がまんじりとしていると、いなくなっていたシンが戻って来た。
「サンナンさんの切腹がさっき終わった。介錯は沖田さんがしたらしい」
そう言って、後は黙ってしまった。
薫は思わず耳を塞いだ。
頭を抱え込む。
昨夜、山南と沖田と3人で大津の宿で料理を食べたことを思い出す。
目から涙がドンドン溢れて来る。
頭に山南と過ごした時間が、次から次に蘇る。
"走馬灯のように"という言葉を、初めて経験した。
環の嗚咽が耳に入ってきて、余計に苦しくなってくる。
シンは黙ったままだ。
なぜ山南が死なねばならないのか、皆目理解できない。
なぜ腹など切らねばならないのか。
シンが言った通り・・"この時代の人間を理解することができない"のだ。
環は座ったまま、両手で顔を覆っている。
指の隙間から、涙が流れて手の甲を濡らす。
肩を震わせ、声を上げないように堪えているらしい。
しばらくしてから、環が顔を上げてポツリと言った。
「笛、吹いてもいい?」
薫がゆっくり顔を上げる。
「いいよね。みんな・・前川邸に行っちゃって、こっちには誰もいないみたいだし・・怒られないよね」
そう言って、立ち上がる。
部屋の隅の荷物入れから篠笛を取り出すと、壁の隅に立って歌口に唇をあてた。
流れるメロディーは「木蘭のナ○○」だった。