第十二話 斎藤
1
次の日、屯所の庭の奥で、薫は藤堂に買ってもらった野菜の種を植えていた。
芽が出る頃にはこの屯所にはいないだろうと思っているが、施設でも家庭菜園をしていたので植物を育てたかった。
すると庭木の向こう側から、ビュッと空気を切るような音がした。
庭木の影から覗いてみると、そこに斎藤が立っている。
脇差に手をかけて立っていたが、いつの間にか抜かれた刀が空中を舞うと、またすぐに元の鞘に収まっていた。
一瞬の技である。
薫は驚いて斎藤の剣技に見惚れた。
突然斎藤が振り返ると、薫の目の前にいつの間に抜かれたのか日本刀が光っている。
「あ・・」
言ったきり薫は言葉を失った。
刀を目の前に突きつけられたのは生まれて初めてのことだった。
「なんだ、あんたか」
一言言って斎藤は刀を下ろすと、また一瞬で鞘に仕舞う。
「声もなく後ろに立つんじゃねぇよ。斬られても文句は言えねぇぞ」
薫は小刻みに震えている。
「まぁ、あんたを斬ったりしたら、おれが副長や沖田に斬られるかもな」
ニコリともせず淡々と斎藤は続ける。
斎藤は年若い。
沖田や藤堂と同じくらいだ。
しかし沖田や藤堂のように、自分から薫や環に絡むことはしない。
「声も出ねぇようだな。悪かったな、驚かせて」
固まったままの薫を見て、斎藤は面倒臭そうに首をすくめると踵を返した。
そのままいなくなるのかと思ったら、思い出したように振り返って言う。
「そうだ、あんた。明日は部屋から出ねぇ方がいいぞ。ウロチョロしてると危ねぇぜ」
斎藤がいなくなった後、薫は一挙に身体の力が抜けて地べたに座り込んでしまった。
2
あの後、薫は半日、布団部屋に閉じこもってしまった。
環が心配したが「なんでもないから」と言うだけで、何も言わない。
新選組の隊士たちは薫や環に優しくしてくれる。
しかし、彼らが腰に差している剣や携えている槍は飾りではなく、れっきとした人殺しの道具である。
殺傷するために作られ、使われている武器だ。
斎藤が薫に突きつけた刀は、おそらく幾人もの人を殺めて血を吸った刀だ。
新選組は京の治安を守っているが、同時に人斬り集団と恐れられている。
薫の目に知らず知らずに涙が浮かんでいる。
薫はいつの間にか新選組の隊士に親近感を持ち始めていた。
だが、人を殺すことを生業としている輩と関わることが怖かった。
ここにいると自分が変わってしまうような気がするのだ。
「環、ここから出よう、早く」
「どうしたの?」
「アカギシンを探そう。そして元の時代に戻らなくちゃ」
薫の泣いた目を見て環が訊いた。
「何かあった?誰かに何かされたの?」
「ううん、何もされてない。何もないよ。ただ、元の時代に戻りたいだけ」
環は、薫が弱音を吐くのを初めて聞いた。
3
実際、元の時代に戻りたいのは環も同じだ。
雨宮の両親のことが気がかりで、時々気が変になりそうになることがある。
環の父親は個人病院の院長で、呼吸器・循環器の診療を1人で診ている。
母は専業主婦で、夫よりも環にベッタリな母親だ。
なんでも手作りするのが好きで、それこそ食事やおやつ以外に石鹸や化粧品なども自分で手作りする。
環の身の回りは、母親の手作りのもので溢れていた。
環がいなくなって母がどれほど心配しているか想像に難くない。
両親のことが頭から離れない環とは対照的に、薫の口からは家のことは一切出ない。
不思議に思ったこともあったが、人それぞれ家庭の事情はある。
環の家も例外ではない。
「今日はお籠りかい」
スラリと障子が開いて、沖田が立っている。
薫の赤い目に一瞬目を止めたが、素知らぬ顔で話し始めた。
「明日はこっちが声をかけるまで部屋から出るなよ」
「何かあるの?」
環の問いに沖田は特有の読めない表情で答えた。
「あんたらには関係ねぇことさ。けど、怪我人が出たら手当頼むぜ」
勝手なことをしゃあしゃあ言ってのける。
それだけ言うと沖田はいなくなった。
そういえば今日は、屯所内が物々しい雰囲気だ。
気丈な薫が泣いている。
明日は屯所で何か起きるかもしれない。
環は沈んだ気持ちになって黙り込んでしまった。