第百十六話 脱走
1
山南が脱走したのは、21日の夜半すぎから22日の早朝だったと思われる。
朝いつまでも起きてこない山南を呼びに行った薫が、部屋で置手紙を見つけた。
"江戸にもどる"
それだけの短い文だった。
部屋はきれいに片づけられて、山南本人と刀だけが無くなっていた。
イミが分からずボーゼンとしていると、そこに土方が通りかかった。
「どうしたんだ?サンナンさん、いねぇのか?」
いきなり声をかけられて、驚いた薫は慌てて振り返る。
山南の手紙を胸に握り締めている。
「なんだ、それ?」
目ざとい土方がすぐに目を留める。
薫の手から文を取り上げると、目を通した土方の形相が変わった。
一瞬山南の部屋を見渡すと、すぐに廊下に駆け出して行った。
(・・ったく!)
土方は焦った。
(何がなんでも連れ戻す)
脱走は隊規で切腹死罪となっている。
公になる前に、秘密裡に連れ戻すしか救う道がない。
過去の脱走者はすべて、どこまでも追われ、粛清されているのだ。
「総司、おめぇが行って連れ戻せ」
土方の指示に、沖田が無表情に答える。
「"行って"って・・どこへ?」
「おめぇなら・・サンナンさんの行きそうな場所も心当たりがあるだろう」
「・・・」
その後、沖田は山南を追うために、光縁寺そばの馬小屋から一頭連れて屯所に戻った。
門の前に、永倉と原田、藤堂と斎藤が険しい表情で立っている。
山南の脱走は、いまのところ幹部しか知らされていない。
「総司・・連れ戻す気か?サンナンさんのこと」
永倉が低い声で言った。
「・・・」
すると、そこに薫の声が聞こえた。
「沖田さん、あたしも一緒に連れてってください」
2
いきなり現れた薫に、永倉たちが驚いて振り返る。
沖田はア然としている。
(そーいや、こいつが置手紙見つけたんだっけ)
「サンナンさんのこと、探しに行くんですよね」
薫は沖田に近づき、声を強めて言った。
「あたしも一緒に連れてってください」
「あのなぁ・・ガキの家出探しじゃねーんだ」
「足手まといにならないようにしますから」
「足手まといにならねぇワケねぇだろう」
2人でやりとりしていると、いつの間にか土方が玄関から出て来ていた。
「総司、いいからコイツも連れてけ」
「はぁ?」
沖田だけでなく、永倉たちも驚いた。
(ガキが一緒にいた方が、サンナンさんの態度が軟化するかもしれねぇ)
土方は、とにかく山南に思い直してもらうことを最優先に考えていた。
山南は新選組の大幹部であり、結党以来の同志である。
そして、一緒に闘ってきた仲間なのだ。
山南がどうしても新選組を離れたいというなら、脱走でなく別の方法が取れる。
沖田は黙って鞍を外し裸馬に跨ると、身体を傾け薫の脇下に手を差し入れて馬上に引き上げた。
薫は沖田の前に横向きで座るカッコウになった。
「しがみついてねーと振り落とされるぜ」
沖田の声がすぐ耳元で聞こえる。
薫は慌てて片足をズラして前向きに跨ったが、前向きになると掴まるところが何も無いことに気付いた。
「なにやってんだよ。足戻せ」
沖田が息をつく。
言われた通り横向きに戻すと、沖田が薫の手を取って自分の胴体に回した。
「しっかり掴まってろよ」
沖田に抱きつくようなカッコウになって薫はバツが悪かったが、沖田の方は気にも留めてない。
「じゃあ、行ってきます」
沖田は土方に向かって言い置くと、馬の腹を軽く蹴った。
3
「沖田さん、どこに向かってるんですか?」
しばらく馬を走らせると、京の町並から抜けて田舎道になった。
手綱を緩めると、馬の歩みが遅くなる。
「大津・・」
「大津?」
「宿場町だ。東海道と中山道の分かれ道になる」
「そこにサンナンさんがいるんですか?」
「・・・」
沖田は何も答えない。
すると薫がヘンな顔をしている。
「なんだ?」
沖田の問いに、薫はうつむいて黙ったままだ。
「腹でも減ったのか?」
薫はフルフルと顔を横に振る。
「・・お尻が痛くて・・」
なるほど、裸馬の背中は骨が当たって痛いものだ。
2人乗り用の鞍など無いので裸馬に乗るしか無かったが、初心者にはキビシイだろう。
沖田は息をつくと、馬を止めて背なから飛び降りた。
両手を差し出しすと、おそるおそる沖田の肩に手で掴まる薫の脇下を支えて降ろす。
意外だった。
沖田のことだからどーせ「ひとりで降りれるだろ」とか言うと思っていたのだ。
「ここで待ってろ」
そう言い置いて、沖田はいなくなった。
しばらくしてから戻ると、手に座布団を2つ持っている。
「ホラ。これ、敷いとけ」
座布団を1つ手渡す。
どこかの民家から調達して来たらしい。
もう1つは自分用のようだ。
座布団を敷いて座るとかなり楽になった。
「行くぜ」
そう言って、沖田はまた馬を走らせた。