第百十話 年明け
1
「弥彦じゃねぇか」
沖田が驚いた顔をする。
弥彦と会うのは、異人を拾った日以来だった。
「元気そやね、旦那」
「ああ・・おめぇもな」
「あーあー・・」
弥彦が、井上の方を見て声をもらす。
ミツと一緒にいる娘2人が、井上にピッタリくっついている。
「お名前教えてもらえまへん?」
「あとでお礼にうかがいますよって」
「い、いや・・必要ねぇ。オレぁ、仕事しただけだ」
そう言って、井上が娘たちから逃げ出す。
「おう、総司。片づけたぜー、甘酒オゴれー」
沖田に向かってそう言うと、隣りの弥彦に目をやる。
「お、弥彦。来たか」
「旦那ぁ・・」
そう言って弥彦が指さす。
振り向くと、娘2人が諦めきれない様子でこっちを見ている。
「旦那、男前やから・・若い娘かもうたら、ホレられますでぇ」
弥彦の言葉を、井上が遮る。
「うるせぇ、オレぁもう行くぜ。弥彦、おめぇ・・あのコたち、送ってやれ」
「えーっ?わてがでっか?」
弥彦の背中を、井上が小突く。
「いいから行け、オラッ」
「そろそろ、年明けたんじゃねぇか?」
沖田のつぶやきを聞いて、井上が空を見上げる。
すると・・さっきまで止んでいた鐘の音が1つ鳴った。
ゴォーンンン・・・
年が明けたのだ。
2
隊士たちが屯所に戻ったのは、丑の刻を回ってからだった。
(薫と環は結局、部屋で寝入ってしまった)
仮眠を取って、また早朝から元旦詣の見廻りに出向く。
隊士はみんなアクビが止まらない。
薫と環も早めに起きて、正月料理の仕込みをしている。
炊事場には薫と環、ゴローとレンとシュウがいる。
「お正月って、どこにも出かけないんですか?」
薫が訊くと、ゴローが頷く。
「そうよ、正月はみんな休む日だから、家でゆっくり過ごすの。働くのはゲンキン」
「へぇー、いいですねー。寝正月」
環が相槌を打ちながら、カブの皮を剥く。
「あーあ・・カレー食べたいなー。お正月はカレーだよ、やっぱり」
薫がブツブツ言いながら、豆を洗う。
「なによ?"かれー"って?」
レンが訊くと、薫が下を向く。
「・・なんでもないです」
「うちは毎年、お寿司だったな・・」
環がポロリとこぼすと、シュウが顔を上げる。
「なによ。お寿司なら三ヶ日明ければ、屋台でフツーに食べれるじゃない」
「屋台?」
環が訊き返すと、ゴローが顔を向ける。
「なによ、食べたことないの?アンタたち」
「はぁ・・屋台はないですね。回転寿司ならちょくちょく」
環がついそのまま答えると、ゴローが訝しい顔をする。
「なによ、カイテン寿司って?」
「あーっと・・明日、隊士の人もお休みもらえるみたいだから・・手巻き寿司作ろうかなー」
薫が話題を逸らす。
「手巻き寿司?いーね!」
環がハシャいだ声を出したので、明日の献立は確定だ。
「・・手巻き寿司ってナニ?」
ゴローがまた、訝しいカオをする。
3
仕込みが一段落すると、環は庭に出て笛を吹き始めた。
隊士の数が少ないので、遠慮なく音を出せる。
すると・・笛の音に気付いて、薫が庭に出て来ていた。
「"LOVIN’○○○"だよねー、それ」
環が振り向く。
「うん」
「"モクレンのナ○○"は?・・最近、ぜんぜん吹いてないよね」
薫が首を傾げる。
「あの曲・・死に別れちゃう歌だから」
環が小さな声で答える。
どうやら・・命懸けの戦いに身を置く隊士たちがいる場所では吹けないらしい。
「そっか・・」
薫は、あのノスタルジックなメロディーを聴きたいと思ったが、口に出さなかった。
「江戸時代で新年迎えるなんて、なんだか夢みたいだね」
雪が舞う空を見上げて、環がつぶやく。
「・・うん」
薫も空を見上げる。
「以前、シンが言ったじゃない?タイムスリップする心当たりないかって」
突然言い出した環に、薫が答える。
「うん・・まぁ、あるわけないけど」
「心当たりなんて、ない。でももし・・わたし達3人に共通点があったら、それって糸口になるのかな?」
環は遠くを見つめている。
「・・共通点?」
薫がオウム返しに訊くと、環が小さく首を振った。
「ううん・・何でもない」